私の所属する劇団が先週の日曜日、「文化のつどい」なる催しの一環としての公演を無事に終えました。
そう、まさに“無事に”という副詞表現がドンピシャの公演でありました。
2014年8月16日、午後1時。受付が始まった時間。
窓の外では雷鳴が轟き視界ゼロの土砂降り状態。この辺り一帯を観測史上2番目となる集中豪雨が激しく襲っていたのです。
こんな悪天候、誰がわざわざ足を運んでくださるだろうか……。
ところが不安な想いを打ち消すように一人また一人とお客様の姿が。開場時間になると先ほどまでのゲリラ豪雨が嘘のように小雨となって、客足はドンドン伸びてゆく。第一部のクイズが終わり、間もなく第二部の芝居が始まる頃、会場は立錐の余地もなく、80名を越す殆どがろう者のお客様で埋まったのです。“満員御礼”とはこのことを言うのでしょう。
さて「文化のつどい」と銘打った催しは、地域の聴覚障がい者協会が毎年主催されまる「大文字を見る会」のプレイベントとして位置づけられています。ろう者のお祭り行事の一つです。夜に建物屋上から送り火を見るだけでは何だか勿体ないので、昼間も屋内でバザーやら出店やらで盛り上げようといったところでしょうか。通例ならば、その年のNHK大河ドラマの主人公(今年であれば黒田官兵衛のはず)についての室内講演があるらしいのですが、今年は趣きを変えて寸劇の発表となったのです。したがいまして会場には緞帳や照明といった舞台設備はなく、パーテーションを取り外した会議室二つ分の広さ、いわゆる素舞台での公演です。入場は無料。ですので前売りチケットを購入されている義理があるわけでもありません。つまり観測史上二番目の悪天候のなかを無理を押してご来場くださる理由は特になく、しかもこの頃の天候は様々な災害を誘発する恐れもあります。危険を避けて雨が止むのを待ってから、夕方にでも送り火観賞を目当てに来場されるのだろうと、悲しいけれども後ろ向きな推測を立てておったのです。何よりも安全が第一ですから。
が、あにはからんや、さにあらずでした……開園直前の満員の、目の前のお客様の熱気に鳥肌が立ち、武者震いをすることとなったのです。
今年の「文化のつどい」のテーマは“手話言語法”。
二か月前に聴覚障がい者協会から私たちの劇団への依頼があり、それを受けての公演です。その台本というか土台というか輪郭というか、を私が書くこととなりました。
与えられた課題を物語りに起こしていく作業は、もともと嫌いではありません。「○○をテーマに書いて欲しい」「○○をモチーフに形にして欲しい」……○○が自分にとって未知の領域であるほど気合が入ります。リスクはあるけれど、ひと文字ひと文字に依頼者の期待に応えていく充実感があります。
ただ、今回は手強かった……というか私の認識が甘かった。
手話言語法。
今、ろうの方が全国的に法制化を目指しておられる喫緊で最も重要な運動の核。
ここ一年ほど、名称は度々聞いていますが、どんな法律かは正直、恥ずかしながら全く知りませんでした。唯一、鳥取で条例化されたことを知る程度でした。そうした不埒者の存在を知ってかどうかは一切関係なく、条例化の勢いを全国に広げようと、ろう者の団体があちらこちらで講演やパネルディスカッションをされています。国や地方自治体に対してだけではなく、ろう者がより多くのろう者に向けて法制化の重要性を説いておられるのです。
手話言語法を地域のろう者にわかりやすく伝えるために寸劇化して欲しいという主催者側から期待値大の、そして絶対に失敗は許されない劇団あての依頼……つまりこの責任重大な台本を私が書くことになったのです。しかも本番まで二か月を切っている……どうする、私。書くの? 書かないの?
が、こんな時に限って必ず言ってしまうのです。「二週間もあれば十分です。楽勝、楽勝」……って、どこが一体楽勝なのか……むしろ勝算ゼロの背水のスタートじゃないか。
とにかく勉強をするしかない。さっそく手話言語法制定に向けたパンフレットを読んでみる。寸劇で表すには深くて大き過ぎる内容……意味はつかめても私の心の底の部分にカチッっとスイッチが入ってこない。一体どんな切り口で舞台化すればいいのか、イメージが全く浮かんでこない。
続いてろうあ連盟が発行する冊子を読む。その冒頭、
【2011年夏、「改正障害者基本法」が衆議院参議院とも全会一致で可決・成立しました。「全て障害者は、可能な限り、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が保障される」と定められ、手話が日本でも法的に言語として認められたのです。このことはろう者にとって大きな一歩です。しかし、ろう者がこの「機会の確保」を確実に得るためには、手話が言語としてろう者に活用されるための具体的な施策が必要です。つまり、そのための法律が「手話言語法」なのです。改正障害者基本法の理念をしっかりと社会に反映させるためにも、手話が言語として認められる法律をつくりましょう】
とあります。
そして言語が持つ当然の権利として、
①手話を獲得する。
②手話で学ぶ。
③手話を学ぶ。
④手話を使う。
⑤手話を守る。
以上の【手話の5つの権利】が保障されることを説いています。
全部わかります。ただ何というか……もうこれは私に対する非難の嵐を覚悟で言いますと、舞台化するにあたって、心底の実感として私の内にある創造の種火になかなか引火してこないのです。
原因ははっきりしています。それは、
私はろうの方と20年近く演劇を創ってきました。ただ、私の不徳の致すところに尽きるのですが、例えば現在ろう学校でろう児がどのような教育を受けているのか生の現場を見たことがありません。また例えば、役所や銀行や病院など生命や財産に関わる場所で、聞こえないがゆえに付きまとう“社会的に生み出される障害”がどのようなものなのか肌で感じることが少なすぎるのです。
5つの権利の根底にある、やむにやまれぬ想いを、痛みを、口惜しさを想像する力が弱いのです。そんな私が啓発のための芝居を書いていいものなのか。
「ダメだろう。普通」です……。
執筆を引き受けてすぐ、自己嫌悪と焦燥感に包まれてしまいました。
何日か経って団員の一人が私に、参考資料として財団法人全日本聾唖連盟による“「手話言語法(仮称)制定推進事業」報告書”を読むように勧めてくれたのです。ネットからプリントアウトをすると百数十ページにも及ぶ分厚いものでしたが、藁をもすがる思いで、現場仕事の休憩中、昼休み中、車での移動中(助手席にて)と読み込みました。
手話言語法案の第一章総則の第一条に、目的として次の一文があります。
【この法律は、日本手話言語(以下「手話」という。)を、日本語と同等の言語として認知し、もってろう者が、家庭、学校、地域社会その他のあらゆる場において、手話を使用して生活を営み手話による豊かな文化を享受できる社会を実現するため、手話の獲得、習得及び使用に関する必要な事項を定め、手話に関するあらゆる施策の総合的かつ計画的な推進を図ることを目的とする。】
この最初の部分。日本語と同等の言語とあります。
報告書、パンフレット、冊子の全文を改めて、「手話」と記載されている文字を「日本語」と置き換えて再度読んでみました。すると実にスルスルと私の心に入ってきたのです。
例えば【5つの権利】……。
①日本語を獲得する。私は物心つく前から日本語を獲得するために“苦労”をしただろうか。いつの間にか覚えていた。身につけていた。
②日本語で学ぶ。私は小学校、中学校とずっと学校教育は日本語で受けてきた。外国人教師という特殊な例を除けば、先生は全員日本語で教えてくれたし、日本語がおぼつかない教師というのはいなかった。
③日本語を学ぶ。私は国語教育を受け、日本語の文法や小説の読み方、自己表現の仕方、古典文学や作者の生い立ちまで習って、母語を日本語とする日本人としてのアイデンティティを育んできた。
④日本語を使う。私は役所や銀行や病院で日本語が通じなかったという経験はないし、窓口の人も当然日本語で話しかけてくれた。
⑤日本語を守る。私は知らず知らずのうちに例えば祖母などからこの地域独特の“方言”を聞かされてきたし、やがて外来語の氾濫する状況には異を唱える者となった。また私自身、戯曲を執筆することで日本語を伝え残すことに少しは寄与しているのかもしれない。
日本で生まれ日本で育った人にとって、その大半は上記の権利は空気のように保障されています。だからこそ見えにくい権利だったのかもしれません。権利の主語を改めて「手話」に置き戻してみました。すると何故ろう者が今、全力でこの法制定に向けて運動されているのかが、私の心の底の部分でやっと実感することができました。
当たり前の権利を勝ち取る戦いだったのです。そういう思考プロセスを踏まないと理解できない私の鈍感ぶりに呆れつつ、なんとかシナリオ化の方向が定まりました。
私は次のような設定で台本を書きました。それは、言語保障がされていないことを直接的に訴える芝居ではなく、むしろ逆に、全てが保障された後の世界を描こうと。言語法が制定されてから10年後の近未来のろう者の生活を描こうと。
ろう者も社員で参加している一般企業の企画会議の様子、(息子の授業参観という設定で)ろう学校での“手話”の教科の授業風景、病院に完備されている手話通訳の様子、テレビから突発的に流れる緊急放送でアナウンサーの隣にいる手話通訳士。一日中、どこにいてもどんな状況でも手話言語が保障されている世界。
二週間で書き上げた土台のシナリオを叩き台に、ろうの団員や運動に関わる聴の団員が、セリフや状況に肉付けをし、或いはそぎ落とし、感涙するくらいに原型を膨らませてくれました。その結果、私の書いたひ弱な土台は、遥かにリアルに、遥かに切実に、遥かに面白く変貌したのです。
私たちの劇団の、他に類を見ない強みがここにあります。
そうしてあっという間に本番の日を迎えたのです。記録的豪雨の中、ご来場いただいた沢山のお客様からは「とても面白かった」との多数の感想を頂きました。本番中、役者と観客席との間で何度も掛け合いがあって参加型の芝居となったことも要因だったのかもしれません。
怒涛のような二か月を“無事に”終え、ホッとしているキョウコノゴロです。
【追記:この時に上演した作品「手話でGO! GO!」は、同じ年(2014年)の秋に宇治市手話通訳者協会主催の公開学習会でも再演を致しました。】