年が改まったからと言って何かが突然変わるわけではありませんが、カレンダーも新たに付け替えたことだし、今年一年という期限を決めて、戯曲執筆の目標について、つらつらと書いてみようかなと思います。
今日は、自分が生きている意味を考える日でもありますから。
2015年、本年は3本の戯曲に挑戦します。
☆一本目の戯曲執筆。
昨年「手話言語法」制定に向けての啓発芝居を短く書きました。そのクダリは先のブログでも紹介しています。昨年の8月のことでした。その折の同じ担当者さんから、今年三月にも再演をしてほしいとの依頼が入りました。ただし、"昨年観劇した方がまた見に来られる可能性もあり、全く同じ内容だとガッカリされますので若干の内容変更をお願いしたいのです"との要望が含まれていました。しかし、"若干の内容変更"を施したところで、所詮は大筋で一緒なわけで、そもそも昨年の内容を事細かく覚えておいでではないだろうから、結局、終演後の印象としては「なぁんだ。昨年の芝居と同じじゃないの……」と落胆されるかもしれません。勿論、生身の役者による演劇は、記録された映画などとは異なり、セリフや設定が変わらずとも演出方針や役者の発見により新たな命が吹き込まれ、作品をパワーアップすることはできます。再演とはそういう意味です。しかし、私としては、前作とは別の切り口から「手話言語法」に迫りたいと考えました。"若干の内容変更"という中途半端な依頼に甘んじたくないという思いもありました。劇団の心意気、見くびっちゃいけないよ、と。
さて前作の設定は、言語法が制定された10年後、ろう者を取り巻く環境が果たしてどのように変化するのかという近未来の日本。会社、病院、学校、メディア……それぞれのシチュエーションでの変化を、こうあって欲しいという願望も込めて、短くわかりやすく描くという言ってみれば解説芝居、説明芝居でした。しかし稽古期間中、私にはどうにも物足りなさがあったのです。芝居が発する熱量の問題です。解説が主軸となっているため、役者がギラギラしてこない。10年後の日常の断片を示すだけで、役者の対話に葛藤が生まれない。これは台本の問題です。終演後、その原因を考えていたところへ、上の再演依頼が入ったわけです。
そこで今回は、自分たちの先輩や大先輩にあたる、ろうの先人たちの痛みや苦しみを時折映像で映し出すことにしました。昭和の高度成長期へ向かう時代、けれども、ろうの人の置かれていた環境は実に厳しかった。この時代の様子を、手話言語法が制定された後の2030年に生きる青年が見てしまう内容。学校や職場など生活の場で生じる昔のろう者の抱えた悩みを、一定改善された時代に生きる近未来のろう青年が果たしてどう受け止めるのか、直視するのか、心に揺れを生じるのか……過去、今、未来を行き来する時空を超えたドラマを目指したいと考えました。
では、そのような昔の時代の映像があるのか。どこかのアーカイブにあるのか。探せばあるのかもしれません。が、私たちの劇団は既に懐に持っているのです。私たちが過去20年で上演した作品群の中に、そういったシーンが含まれており、それらのシーンをカットバックとして挿入することで今回の芝居を成立させよう。と考えたのです。
台本自体は、団員の具体的な提案をどんどん取り込みながら、実はほぼ完成しています。作者は私個人ではありません。劇団員の総力を持って結実したわけです。しかし、まだ"本読み"を一度しただけで、ここから細かな修正を施さなければなりません。
どのような舞台になるのか、本当に楽しみでもあり、怖くもあります。この感覚は毎度のことで慣れることはありません。
【追記:この作品は「昨日・今日・明日」というタイトルで脱稿し、その後、この年(2015年)3月の京都市聴覚言語障害センターでの手話言語勉強会を皮切りに、大阪で開催された第31回全国ろうあ者演劇祭典(2018年)で上演する等、関西の各地で再演を繰り返しています。】
☆二本目の戯曲執筆。
構成段階から数えて足掛け三年間に渡り執筆を続けている作品です。
『異聞「瞼の母」 ~Silence is truth~』……タイトルは既に決まっており、戯曲もおよそ半分は書き上げました。
時は大正、無声映画の黄金時代。耳が聞こえない斬られ役者たちの青春群像劇です。そこに、極度の舞台恐怖症を持つ聞こえる若き映画監督や"神聖な舞台に女が立ってはいけない"と子どもの頃から叩き込まれた元旅歌舞伎一座の"女優"志望の娘。あまりの人相の悪さから村歌舞伎を追い出され銀幕の世界に最後の活路を求めたあぶれ者……などなどの青春の熱と痛みが交差します。
自分の産みの母親を探すために活動写真の役者となった、ろうの主人公。彼を支える元旗本の家系で剣の達人のろう者。偏見や差別の強い聞こえる社会を嫌い、ひっそりと田舎で暮らす想いを捨てきれないろう青年……やがて訪れるトーキーまでの僅かな期間。ろう者と聴者が入り乱れての剣劇映画は、字幕の存在もあって、私たちの劇団の在り様と重なる部分があります。
この戯曲を書こうと思ったそもそものキッカケは、私の住む町内にたまたま東映の斬られ役者さんが引っ越して来られ、その方に劇団として殺陣の指導を依頼したのが始まりでした。せっかく習っているのだから、何か殺陣を活かせる芝居を私なりに書きたいと思ったのです。が、これがなかなかに難しい。殺陣と言えば時代劇、時代劇と言えば江戸時代や幕末の動乱期、戦国の群雄割拠や源平合戦etc……剣術を扱う時代を芝居の設定として置いたとき、では手話を軸とするろう者のコミュニティーが存在したのかというと、そうした史実を安易に見出すことができず、整合性がとれないのです。
それをゴリ押しで進めても、例えば幕末、日本を明治維新に導いたのは長州藩でもなく薩摩や土佐でもなく、実は聞こえない人たちが暮らす小さな藩の働きだった……という芝居を書こうとした場合……まずは、何故そのような藩があったのか、身分制度は? 何故その藩では手話という言語が普及したのか、教育制度はどうなっていたのか、などと前段のドラマが必要になってきます。これを無視して、「あったんです、そういう藩が」「いたんです、そういう藩士が」と開き直ることは可能でしょうが、物を書く立場からすると逃げでしかありません。
史実と史実の隙間に、もしかしたらそういう人がいたのかもしれないと思わせる構成。聞こえない観客にも聞こえる観客にも、物語りの世界へ入ってもらうためには、一見荒唐無稽なフィクションであってもリアリティを伴った説得力は必要なのです。
故に構想段階で、なかなか先に進まず、プロット帳だけでノート3冊になりました。殺陣や映画文化の本を読みあさり、やっと上に記した"無声映画"の10年間にたどり着いたのです。
せっかく、粘りに粘って書き進めているのだから、これはもう何としてでも脱稿したいのです。
【追記:この作品はその後、「異聞『瞼の母』 –Silence is truth–」というタイトルで脱稿し、未上演ではありますが、第45回部落解放文学賞で入選作となりました。詳しくはブログ記事「2019年戯曲賞①」に掲載しています。】
☆三本目の戯曲執筆。
私どもの劇団に在籍されていた最年長の団員Yさんが、昨年の二月に急逝されました。そのことに関しては、以前のブログにアップした通りです。
この方の青春時代を書いてみたいと、強く思っています。
今から50年以上前、日本で初めて、京都の西陣で小さな手話サークルが誕生しました。全国から集団就職で京都に出てきた若者たちが、貧困と訛りという言葉の壁にぶつかりながら、やがて「聾唖者」の痛みや孤独に共鳴し手話学習会を立ち上げるまでの経緯と、愛媛から京都西陣の織屋へ就職したY青年が、この出来立ての手話学習会に参加し、ろうの女性と出会い、結婚するまでの物語り。これを、なんとしてでも書き上げたいのです。
昨年、Yさんが亡くなられてから3か月後、数名の有志が偲ぶ会を催しました。私もそのうちの一人に加えて頂きました。当日、会場には本当に沢山の方が集まってくださいました。Yさんが京都に出てこられた頃のご友人のスピーチから始まり、晩年の演劇活動の様子まで、人生の時間軸にそって、愛情のこもった思い出話を沢山伺うことができました。伺いながら、私の知らないYさんの青春時代のお姿が浮かび上がってきました。
「高度経済成長」や「金の卵」といった響きの良い言葉の陰で、実際には今でいうところのブラック企業に酷使された若者たちが、だからこそ、人の痛みを分かち合い社会に訴えていこうとした姿が、時代が、私の脳裏に実像として立ち上がってきたのです。
この戯曲を書くには、沢山の人の証言が必要で、今年のうちに書き上げることは無理でしょう。長ければ数年はかかる覚悟もしています。書き上げたところで、関係者から「これは実際とは全く違う」と言われれば、作品としてはお蔵入りしてしまうかもしれません。
が、Yさんと共に過ごした何年かの時間、それから劇団としてろう者と共に創造をしてきた20年間。更にYさんが愛した手話学習会に私も数年は在籍していたこと、そして手話学習会発祥の地の西陣に、私は生まれ今も住んでいるということ。何本もの縁が、この戯曲の完成を後押ししてくれそうな予感がしています。
【追記:この作品はその後、「火群(ほむら)の時代」というタイトルで脱稿し、未上演ではありますが、第45回部落解放文学賞で入選作となりました。詳しくはブログ記事「2019年戯曲賞①」に掲載しています。】
以上、本年の目標を徒然なるままに書き記しました。
一方通行のブログで誠に申し訳ありませんが、読んでくださっている皆様、今年も何卒宜しくお願いします。