齢83才を迎える父。


おおよそ二十年間に渡る(布団メーカーの)サラリーマン時代を経て、(布団小売店の)自営業へと転身した職歴を残す父だが、実はそれより遥か以前、若き日にいくつかの職業を経験している。


今から60年ほど前。大学を卒業して最初に入社したのは、映画のパンフレットを制作する出版社だった。仕事柄、映画館への出入りもフリーパスで、洋画邦画を問わず年間に300本以上は観ていたと言うのだから、それなりの通だったのだろう。確かに戦後の映画に関してはかなりの博識を持っている

先日も、そんな思い出話の雑談の中で、ふと……「俺なぁ、前にも言うたかもしれんけどなぁ、むかし、映画のエキストラに出たことがあってなぁ」と語りだした。「市川歌右衛門が主演でな、阪東妻三郎も出ててな、俺はその時に侍の役でな……」と続けた。

市川歌右衛門と言えば、北大路欣也の親父さんだ。

阪東妻三郎と言えば、田村高広や正和の親父さんだ。


そんな話、前に聞いたっけ?


“人前に出たがり&演じたがり”は、父方家系の血なのかもしれない。


例えば、

大正生まれの私の祖母の妹さんは、その昔、岸田國士らが立ち上げた文学座の一期生だったというから、きっと杉村春子氏らと共に稽古に励んだのだろう。久保田万太郎の薫陶を受けていたのかもしれない。


或いはまた、私の従弟は昔、子役としてドラマに出ていたこともある。田村正和氏主演の学園ドラマだった。


父の実弟は今でもプロとして結婚式の司会をしているし、末の弟は10年ほど前に明治座がシニア劇団の研究生を募集した一期生として銀座で舞台に立っている。


さらに血縁を遡れば、狂言師の和泉元彌氏も遠い親戚ということらしい。(実際、和泉氏の本名は私の苗字と同じであり、したがって氏のパートナーである羽野晶紀氏とも同姓の間柄ということで、関西演劇人の私としては、ちょっと嬉しかったりする)


祖母の家系を更に更に遡ると、遥か源平の時代にまでたどり着くことができる。

ご先祖様には佐々木四郎高綱という武将がいて、この人は“宇治川先陣争い”なる歴史舞台で、良く言えば演技心を発揮した“役者”として知られている。(悪く言えば、大舞台で姑息なアドリブをイケシャアシャアと言い放った卑怯者か……)


こうして“出たがり”の血は、黎明期の新劇界やバブル期のテレビドラマ、伝統芸能へと多岐に受け継がれており、かく言う私も、末席ではあるが、その“血”を受け継いだ一人ということになる。


が、父に関しては、どうだろう。

息子の私から見ても、お世辞にも演技心があるとは言えない。

「出たがり」の性分であるには違いないが、どちらかと言うと批評家っぽいところがあり、作品への感想を「言いたがり」のタイプなのだ。

出るほうではなく、観るほう。

その父がエキストラに出たという。


タイトルは『大江戸五人男』。


果たして、どんな映画なのだろう。

沸々と興味が湧いてくる。

よし、こうなったらダメ元でレンタルビデオ屋を探してみよう。

二軒回った。

が、予想通り置いてはいない。やはり映像を観ることはできないのか。残念。

それでも、一応は誰が出演しているのか知りたくて、ネットで調べてみた。

と、これが凄い。

当時のオールスターキャスト。

先の市川歌右衛門。阪東妻三郎。

山田五十鈴、高峰三枝子、高田浩吉、月形竜之介、花柳小菊、大友柳太郎……。

そして監督は、あの名匠伊藤大輔。

1951年作品。

まだ“戦後のドサクサ”と呼ばれていた時期に創られた時代劇。

二時間以上の長編だ。


これは観たい。

どうしても観たくなった。

そうだ。ネット通販だ。

あるかな? ないだろうな……アマゾンを検索だ。


うわっ、あった!

あったぞ!

よっしゃ。注文だ。




という経緯で、やっと先日、ゲットしたDVD『大江戸五人男』を、父と共に視聴する。

この作品、当時の白黒映画にしては画像はかなり鮮明で、これは後に何かデジタル処理を施して解像度を上げたのかもしれないが、とにかく、映像が乱れるということは一切なかった。

視聴開始。

間もなく10代の父に会えるのかと思うと、不思議な高揚感と気恥ずかしさがこみ上げてきた。写真ではなく、動く姿として邂逅するわけだから。

80歳を過ぎた父は背中を丸めてテレビ画面に身を乗り出し、固唾を飲んでいる。


「あ、芝居小屋のシーンや。ここに、ワシは侍姿でいるんや。出てるんや」


どこだ? 父はどこにいるんだ。


映画では以下のようなシーンが流れている。

町衆たちの娯楽である芝居。一定下級武士たちも桟敷席で歌舞伎を楽しんでいる。と、そこへ羽振りを利かせた旗本たち数十名がなだれ込んできて、上演中にもかかわらず、特等席に割り込んでくる。まるでヤカラのように。

『俺様たちに席をあけろ! あけんか!』みたいな横暴ぶり。逆らう町衆に対して暴れ始める腐れきった旗本たち。

劇場はパニック状態に。

逃げ惑う町衆。下級武士。


この中に、逃げる観客の一人に父がいるという。


わからん。どう観てもわからん。

だって、これって全くのモブシーン。大群衆シーン。

松竹映画30周年を記念して創られたこの映画は、かなりのお金が掛かっている。

それは(まるで南座のような)歌舞伎小屋をそっくりセットで再現していることでもわかる。

立錐の余地もない芝居小屋に集められたエキストラは、ざっと500人くらいか。

その内の一人が、父なのだ。

これではわからん。

まるで豆粒だ。

しかもチョンマゲ頭の豆粒だ。


が、父は言う。

「昔、映画館で観た時はハッキリと自分が映っているのがわかったんや。後姿で逃げていく姿やけど、ハッキリとわかったんや」


で、その辺りのシーンだけを何度もポーズボタンで静止してみるが、

わからんのです。


私は諦めるしかなかった。

しかし父は、後日に改めて映像をゆっくりと観直して、若い日の自分を必ず発見すると言っている。意外と満足そうな表情を浮かべながら。

私は朗報を待つしかない。



それにしても……と、感慨は全く別な方向へ向いてしまった。

当時の時代劇に掛ける制作費と映画人の熱量には圧倒された。

作品の内容自体は、オールスターキャストに配慮してか、ストーリが拡散していて間延び感もあり傑作とは言い難かった。

しかし、当然CGも無かったあの時代に、あれだけの豪華なセットと数百人のエキストラを擁して演劇シーンを再現するとは。

これはつまり、当時の日本が日本人が時代劇映画を娯楽の中心に置いていた証左だろう。多くの国民がスクリーンに映る別世界を渇望していたからに他ならない。

遊びが多様化し、戦後という鬱屈もない現代では、こういった熱は起こりようがない。


戦後、生きることに精一杯な時代。裏を返せば文化に飢えていた日本人。

洋画にはまぶしいくらいの憧れの世界があり、邦画には自らのアイデンティティや自尊を喚起する因子が多量に含まれていた。

その熱の中に、父がいた。

そう考えると、父のエキストラ体験は特殊なことではなく、ある種、時代の象徴だったのかもしれない。その後、映画からは距離を置いて布団稼業に専念したのも、高度経済成長のウネリの中で自然な流れだったような気もする。

例えば上述した祖母の妹さんにしても同様のことが言える。

晩年に何度かお会いしたことがあるが、お歳の割に(と言っては失礼か)とてもチャーミングな方で、大正デモクラシーの当時はハイカラさんと呼ばれていたのかもしれないし、婦人参政権獲得や雑誌青鞜の熱の中、相当の跳ねっ返りだったのかもしれない。築地小劇場の後に誕生した文学座に女優を夢見て青春を掛けたのも、これも一つの時代の象徴だったと言える。

彼女は後に軍医の妻となり戦後は開業医となった旦那を支えて切り盛りしていたと聞く。



誰もが何らかの特殊な世界へと突如“血迷う”わけではなく、時代の熱に影響を受けながら、世の中の大きな轍に身を置いているだけなのかもしれない。

父方の我が家系では、それがたまたま芸能事に偏っていただけとも言える。


私も己の意志で演劇を特殊な体験として継続しているように見えて、俯瞰すれば、もっと大きな社会の流れにただ身を置いているだけなのかもしれない。

映像の中に若き日の父の姿がリアルに見えなかった分、時代性と娯楽の関連を考える良い契機となった。


しかし、けれどやはり、

10代の父の姿をハッキリと確認できなかったのは残念至極なことだった。