19年間使い続けていたガス給湯器。

室外の壁に掛かっているタイプの、その底面からポタポタと水が漏れ始めるようになったのが、一か月前。

内部のパッキンがスリ減ったのだろうと得意の素人判断を下して放置。そのまま、例えば風呂を沸かす時にだけ、給湯器に直結している水道を開栓し、余分な水漏れ量を抑えていた。

そうこうしている内に、今度は浴室のリモコンを「運転」状態にしても、水は出るのだが、お湯にならなくなってしまった
それが8月の末。


しかたなく三日間くらいは水でシャワーをし我慢をしていたのだが、これが想像以上に冷たい。今年が冷夏とはいえ、まだ8月だ。日中は摂氏30度を超える真夏日が続いていて皮膚細胞はヒートアップしているはずなのに、夜になるとこの水行は体が凍るくらいにこたえた。洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸がカタカタ鳴った。


ちょうど○阪ガスの「法令に基づく設備調査」のお知らせが数日後であったから、とにかくその日までは水行を続けた。(それ以降は実家のシャワーを利用した)


調査当日、水ポタ状況を伝えると、ガス担当者は以下のように言った。

「これはパッキンじゃないですね。おそらく部品の耐久限度を超えての症状だと思われます。いわゆる劣化です」

「すぐに修理の会社を見積もりに寄越します。私は給湯器の内部を開けることができません。見積もり業者に故障原因の確認をさせて、取り換えのご提案をさせて頂くことになると思います。見積もりは勿論無料です」

「しかし、いくら一人暮らしとは言え、よくも19年間も持ち続けたものですね。たいしたものですよ」

で、仮にこれまでのタイプと同じメーカー製で同レベルのパフォーマンス機種に変更するとして、いったいいくらくらいかかるものなんでしょうかね、おおよそ、大雑把に見積もってくだされば……の私の問いに、

「これは1分間に24リットルが出るタイプです。リ○ナイ製ですよね……本体はざっと30万円です。工賃は別ですけど」


げ、げ。


さ、さ、さ、さんじゅうまんえん!


「あ、それから浴槽とキッチンとでリモコンが二つ要りますので、更にあと数万円はかかります。そこに消費税が加わることになりますので」


おいコラ。ちょっと待たんかい。

なに言うとんねん!

ほんなら何かえ。

全部ひっくるめたら、40万円近いっちゅうことかえ!


私は咄嗟に暗算を試みる。

仮に40万円で最寄りの銭湯に何回入れるのかを。

我が家から歩いて五分くらいのところに船岡温泉という名湯?がある。

公衆浴場の入浴料は現在420円。これを計算しやすく400円に四捨五入して……ざっと1000回か。

毎日銭湯通いをしたとしても、40万円だと3年にも満たないのか。

それに比べれば給湯器は3年くらいでは壊れやしないだろう。

現に19年間も持ったじゃないか。

だいたい日々の暮らしでは入浴以外にも、お湯を頻繁に使うわけで、銭湯通いだけの帳尻で比較はできない。

給湯器が壊れたままの生活は考えられない。

うーむ。

とにかく、

銭湯代金を考えただけでも、My給湯器への一括支払いのほうが、間違いなく安価だ。


ここはやはり40万円を払ってでも新品をゲットするしかないのか。

けれど定価で買うのは嫌だ。

私は○阪ガスの担当者に食い下がる。

「機材なんて色んなタイプ、性能のものがあるんでしょ。スペック、スペックですよ」と。

一人暮らしなら1分間に24リットルではなくて20リットルのものでもおそらく大丈夫で、それだと本体だけで30万を少し切ります。

「値段って定価通りなんでしょうかね。割引ってないんですか。あるでしょ、普通」

その辺は業者の見積もりになります。

指定業者は何社もあります、もしも見積もり時に対応が悪いのであれば、他の店に変えられても構いません。

「対応とかもありますでしょうけど、値段ですよ。値段……これね、発注先は指定業者でないと絶対ダメなんですかね」

そうではありません。例えばホームセンターなどのリフォーム事業でも扱っています。或いは家電量販店でも。ただし、小さな便利屋みたいなところに頼まれると、資格もない業者だったりしますので、その辺はお気をつけてください。



私は、親方日の丸路線を信用していない。

言われるままに言われる値段、言われる機種に買い替えるのは耐えられない。しかし、ガスの知識なんぞ何も持ち合わせていない私は、これから経験するであろう全てのいきさつを録画することにした。

全てをビデオカメラに。

「こっちは逐一の行為を映像に収めますんで、いわゆる言い値が買値になるボッタクリ商法は通用しませんからね。いい加減なことでダマクラかすのはダメだからね」のオーラを発することに腹を決めた。

我ながら実にいやらしい戦法だ。


数日後、今度は下請け?のガス専門店の業者さんが、故障原因の確認と見積もりのためにやってきた。

、水道を開栓するとすぐにボタボタ滴り落ちる。

カメラを回す私の前で、専門業者は状況を解説をし、「19年前の機械なので買い替えしかありません。早急にこちらのポストに見積もりを入れさせて頂きます」とカメラ目線で言い放った。

よーし、カメラにはビビらないわけだな。よくわかったよ。


翌日、私は家電量販店に出向いた。本田望結ちゃんとチュートリアル徳井君のお店だ。こうなったら思い浮かぶ取り換え業者全てにアイミツと取りまくってやれ、という作戦だ。

リフォームのブースがあり、即行見積もり額を提示してもらう。

「21万6千円」

はぁ? 何でそんなに安くなるの?

本体だけで12万円も値引きされているじゃないか。


更に翌日。帰宅すると一昨日の業者から見積書がポストに入っていた。

工事全部まるまる込みで、

「24万円」

本体価格は量販店よりは高いけど。

リモコンだけを比較すると、こちらのほうが安い。


値段とは何だろう。定価とは何だろう。


そしてその次の日、帰宅すると今度はポストに、

近くのホームセンターのリフォームに関する厚手のパンフレットがドサッと投函されていた。

このタイミングの良さは何だ? きっと見積もりに来た業者が、おそらく○阪ガス以外にも、このホームセンターからも受注がとれる仕組みになっているに違いない。だから間髪入れずに、ポストに入っていたわけだ。

私はパンフレットを開いた。

同じメーカー。リ○ナイ社製で20リットル。自動湯はりと追い炊きに自動保温が可能なタイプ……あ、あった。工事費込みで、えっと、

「16万円」


これはすごい

当初、「40万」と提示された定価が、「21万6千円」「24万円」となり、ついに「16万円」まで下がってきたぞ。

工事費はだいたいどこも同じなのだが、本体価格の値引き率が凄い。


よーし、こうなったら、行けるところまで行ってやれ。


実はそれまでに、激安をうたう会社をインターネットで検索していたが、余りにも安すぎるためコンタクトを取ることに躊躇していた。一旦電話なりの連絡をとると怖いお兄さんが何度も家に押しかけてくるだの、工事が終わっても追加料金を繰り返し請求されるだの、マイナスのイメージしか持てなかったからだ。

しかし、この値段の暴落ぶりを身近に知ってしまうと、まだまだ価格は下がるんじゃないかという欲目が出てきたのだ。


そこでとりあえずホームページが一番しっかりしていそうなガス給湯器取り換えの専門会社に日曜日の朝一で電話を入れた。

年間の施工件数。資格の有無などを参考にしたが、ネット情報だから、いくらでもハッタリは効くだろけれど。

私はまだ半信半疑だ。

その日の午後、約束通りの時間に見積もり者は我が家にやってきた。


私は何となくだが、ちょっと小太りのオジサンが見積もりに来るものだと思い込んでいた

軽トラックかなんかでやって来て、

汗をかきかき、

「すんません。遅うなりました」とか頭をかきながら。


ところが、この想像は全くもって吹き飛んでしまった。


我が家の扉を開けると、そこに立っていたのは、

モデルのようなベッピンさんだ。


これはブログを盛り上げるために誇張しているのではなく、本当に、それはもうベッピンさんだったのだ。

私は用意していたビデオカメラを回せなくなってしまった。セクハラで訴えられるかもしれないじゃないか。購買者の一方的な正当性が一気に崩れてしまったのだ。

私はこの人の何を撮ろうと言うのだ。

25歳くらいか。もうちょっと上か。タレントで例えると誰になるのか……満島ひかり? いや、そうじゃない。石原さとみ? 違う違う、などと頭はもう完全に給湯器とは別な方向にスイッチオンだ。


私はニヤケた顔を悟られまいとした。

堅物な表情のまま機械的に一通り状況を説明すると、彼女は「一度車に戻ってから15分後にもう一度、チャイムを押しますので」と優しく言った。

「え?」

「車の中で見積書を作成しますので少々お待ち願えますか」と続けたのだ。

「ああ。どうぞどうぞ」


待っている15分の間、私は「そうだ、彼女のためにコーヒーを煎れよう」とひらめいたのだが、それはしかし、流れとして余りにも不自然だ。だって、さっき思いっきり堅物を演じたじゃないか。「おたくのお店、いい加減な商いをするお店じゃないでしょうね。値段ボラないでしょうね」という強面路線を押し出したじゃないか。ニヘラ顔を悟られぬよう、それはもう必死で取り繕って。

それを突然、「もし宜しければワタクシとコーヒーでもいかがですか」とは、どの面さげて言えっていうのだ。

言えまへんやろが。



10分後、

まるでお蝶婦人の登場のように、何百の蝶々を戸口一杯に舞わせながら、彼女は見積もり額を提示した。

「10万8千円」

機械本体がリ○ナイ製の定価30万以上で、リモコンが2個付いて、工事費と消費税込みで10万8千円……。


安い。

メチャクチャ安いではないか。


わかったぞ。

これは、間違いなく、噂に聞いた、


ハニートラップだ。


私は何か大きな組織に騙されかけているんだ。

やばいぞ。これはやばい。

こんな小市民に罠をかけて、どうするつもりだ。

絶対に引っかかってはダメだぞ、俺。

男が騙される典型的なパターンじゃないか。


それなのに私の口からは

「お願いします」と即決の言葉が漏れていた。

そしてあろうことか私は、私の名刺を差し出していた。

なんの下心やねん。

「劇団をされているんですか……すごいですね……」と彼女は言った。

「うむ」と私は答えた。


それから4日後、私が早く帰宅できるその日に合わせて、激安会社の工事作業者がやってきた。

見るとまだあどけなさが残る若い男性だ。25歳だと言う。「手に職をつけたくて、この世界に入りました」と。

私はカメラを回し続けた。「何でも撮影するのが私の趣味でね」とか言いながら、内実は、ちょっとでも手抜き工事をしたらダメだからねの監視態勢をとった姑息なやり方だ。

しかし、値段が値段だけに、そこはどうしても気になる。

俺、やっぱり騙されてるんじゃないか。


何でそんなに安いの?

「よく聞かれます」

「実際は給湯器の本体価格にどれだけ上乗せをするかなんです」

「○阪ガスさんとかは、たぶん相当乗せられてます。機械自体がリ○ナイ製でも、生産者名だけを付け替えて、値引きを抑えて販売されていますし」

「例えるのなら100円ショップで販売している物を500円で売る店だってあるわけで」

「うちの見積もりを見て、安すぎて不審がられて契約なされない方もおられます。結局○阪ガスさんに工事を頼まれたのだと思います」


私はその言葉をカメラ越しに聞き、彼の言葉をそのまま信じていいものか迷っていた。

作業は進み、二階のキッチンのリモコンを付け替えている時だった。壁面に貼ってあった劇団の公演ポスターを彼が見たので、ここでまた私は「お芝居をやっていてね」と始めてしまった。

「役者さんですか?」

と聞くので、

「台本を書くほうがメインでね」と答えた。


すると彼は次のようにつないだ。

「この間お宅に寄せてもらいました見積もりの女性」

―ああ、彼女が?―

「実はホリプロのバラエティー部門のオーディションを以前に受けまして」

―ええ?―

「落っこちちゃったんですけど、その時にホリプロの人に言われたんです

―ホリプロって、あのホリプロに?―

「バラエティーの作家になる気はありませんかって」

―作家って構成作家?―

「それを彼女の親が大反対をしまして、泣く泣く断念したみたいです」


私はカメラを回すのをやめて、突然松岡修造になってしまった。

「夢を諦めるなよ!」

「やって後悔するのなら良し。やらずに後悔はだめだぞ」

私はどのスタンスから、こんなことを言っているんだろう。

しかも聞いているのは本人ではない。


「ですよね、でも他にも色々理由があったみたい」で……と、彼はリモコン取り換えの作業を続けている。

そうして約2時間、取り換えの全作業をそつなく終えて、彼は帰っていった。



私の目の前には、私が撮り続けたカメラがある。それをボンヤリと見ながら、「ああ、俺は一体何を録画したんだろう。人の何をも撮れていないじゃないか」と当初の目的とは全く支離滅裂な自虐の感情が湧いてきた。


値段、値段、値段……。


ここ何日かで何人もの専門職の人と出会っていながら、

40万円という値段に驚き、20万円で驚き、10万8千円に驚くだけで、値段だけに揺さぶられてしまった。

自分の関心ごとが、金額だけに縛られて……、

激安給湯器で良かったと思っているのは確かだが、この「得をした感100%」の感情に、人間を見る目が丸っぽ抜け落ちていたことに。




しょうもない自分にしらけてしまっている。

カメラの使い方を間違えてしまった。

自分の視点はそこじゃないだろうと。


なんだか、あーあ、だ。