殺陣を習って三年余り。

 ついに、とうとう、映画の、キャメラの前で、私、生まれて初めて斬られました!


 自主製作映画の時代劇。

 タイトルを「すもも」と言います。

 監督はテレビ「水戸黄門」等を撮られてきた井上泰治氏。

 氏が東京や名古屋や大阪で主催された時代劇ワークショップの受講生などが役者として登場されるわけで、友情出演される里見浩太朗さんを除いては、おそらく著名な俳優さんは出演されない、観客にとっては真っ白な布陣の幕末時代劇。

 私の知人が、このワークショップを経て役がつきました。その彼から、「エキストラが足りないので、手伝って欲しい」と連絡が入りました。何でもアームストロング砲という当時のイギリスから取り寄せた大砲をブっぱなすシーンの【腕のアップ】が必要とのこと。ストーリー上では、火薬の配合が間違っていたため、直後のシーンで大砲は暴発。主人公が大火傷を負う悲惨な映像に続くのですが、私がやったのは照準を定めるまでの腕の動き。手の動き。


 知人には二つ返事で快諾をし、それから何日か経って、時代劇のメッカ、聖地、太秦の撮影所へ向かったのでした。

 エキストラは私も含めて二人。

 腕だけのアップなのでスタジオやロケ地ではなく撮影所内の一角に、ドーンと置かれたアームストロング砲。長さが2メートル以上あって両側に大きな車輪がついている。

 「おお、これかぁ」と感心していると、助監督さんに促されて着替えのためにスタッフルームへ。腕のアップだけでも、当然全身に衣装をまとうわけです。

 途中、助監督さんから、

 「エキストラは初めて?」

みたいなことを聞かれまして、

 「時代劇は初めてです。ただ……殺陣を三年ほど前から習っていまして……」と、よせばいいのにチャンバラの本場でホンマモンしか相手にしていない助監督さんに口走ってしまいました。ただ、決して自分を姑息にアピールしようとしたわけではなく、予算の掛かった映画に時代劇に全く興味もないズブの素人が迷い込んだわけではありませんと、それだけを伝えたかったわけです。

 「誰に習ってるの?」

 「東映剣会のМさんです」

 「ああ。僕何年か前にМさんの奥さんがやっているカレー屋にいったことあるよ」

 みたいな会話が続いて、ちょっと安心。

 「時代劇の本場に右も左もわからない奴が来たらアカンやろが」と、冷たい視線を投げかけられたらどうしようと、そこ結構不安だったわけで。


 衣装は架空の小藩の足軽のもの。着付けのスタッフさんが手際よく着替えさせてくださり、最後の草鞋を履いたところで私の気持ちはかなり高ぶってきました。


 そして撮影。

 監督、助監督、カメラさん、音声さん、レフ版を持った方等など10人ほどのスタッフに囲まれるとテンションはさらに上昇。

 井上監督の指示が飛びます。

 「ベントを開けて!」「もっと重そうに持ち上げて!」「火薬を詰めて!」「慎重に、かつ手際良く!

 「ヨーイ、スタート」


 撮影はアッと言う間に終了。

 

 で、実は私、この「すもも」のシナリオを、かの知人から直前に読ませてもらっていました。シナリオは井上監督ご自身が書かれています。

 あらすじを私なりに要約すると、

 【幕末の小藩。砲術指南役の主人公は不慮の暴発事故で身体に障がいを負い、武士としてのアイデンティティを喪失。生きる希望を無くし自暴自棄となって彷徨う。ところがある縁で彼は村の寺子屋の先生となって、百姓の子どもたちや、自分を支えてくれる女性と出会い、彼らと共に時間を過ごすうちに、もう一度生きる意味を見出す】というヒューマンストーリー。

 チャンバラ活劇ではなく、あくまで人間をみつめるストーリーに私は大変共鳴をしたのです。

 だから仕事を休んで会社のシフトに穴をあけてでも、参加できるものなら参加したいという想いはあったのです。


 撮影が終わったあと、スタッフルームで何と監督自らが私にギャラを払ってくださるではありませんか。続けて監督が仰るには、

 「来月から、いよいよ本格的にクランクインするわけですが、戦闘シーンなど人がまだ足りません。参加してもらうわけにはいきませんか」


 私はこの台本が好きだし、書かれた監督のそばで、更に何かお手伝いさせて欲しいと考え始めていたので、この言葉はまさに渡りに船。

 「わかりました。私などで良ければ、よろしくお願いします」


 それから三週間が経って、いよいよ戦闘シーンの撮影の日。

 朝から太陽が照り付け、日中の酷暑を予感させる午前七時。撮影所に到着すると、すでに沢山のスタッフさんや順次着替えを終えた本役さん、エキストラさんなどで部屋は一杯の状況。

 私も着替えの部屋へ直行。今度は新政府軍側の衣装。官軍兵であっても、ちょっと愚連隊っぽい「赤報隊」の役。詰襟の学生服に着替えて、次に向かったのはメイク室。野戦のシーンなのでファンデーションは濃いめの茶色。

 ところがメイクさん。私の顔に少しだけメイクしたものの、

 「君はメイクの必要なしや。顔がごっつ焼けてるから、メイクしてもせんでも変わらへん」

 「そうですか。そうですよね。ハハハ」

 確かに大きな鏡に映る私の顔は、日ごろの造園の仕事で真っ黒クロ。


 もう一度待合の部屋へ戻っていると、殺陣師のSさんが待機する皆の前で挨拶をされました。「今日はかなり気温があがります。しんどいと思われたらすぐに遠慮せずに申告してください」と。

 このSさんには私、一度だけ以前に殺陣を習ったことがあります。もうお忘れかと思っていたのですが、私を見るや名前を呼んで頂き、

 「アームストロング砲の撮影に参加されていたんですね。ありがとうございました」と仰るではありませんか。

 何て言うか、

 この映画の監督、助監督、殺陣師の方、みんなとてもいい人で気配りができて、高みから見下ろすことがない。

 器が違う。

 これが本当のプロなんだ。


 「出発しますのでエキストラの方はロケバスに乗車してください」と指示が出る。

総勢20人くらいのエキストラと衣装などスタッフの方が乗り込む。

 別の車には役付きの人10人ほどが分乗しています。

 あとで聞いた話なのだけれど、スタッフの方に随分若い人(特に女性)が多いのには理由がありました。彼らはみな大学で映像を学んでいる学生さんで、音響や照明それぞれのポジションで撮影の技術を学ばれているそうです。時代劇が斜陽と呼ばれる昨今にあって、専門職の方が次代に技術を継承したいという熱意の表れが、ここにありました。


 太秦の撮影所を出発し、どこへ向かうのか。

 名神の東インターから名古屋方向へ。滋賀県石山インターで降りると、そのまま瀬田カントリークラブを過ぎて南郷へ。

 到着したのは山の中の採石場。

 山肌が剝き出しになって、戊辰戦争のロケ地としては最適かも。切り立つ断崖。むき出しの大岩。まさに渓谷。

 京都からおよそ1時間強で、こんな凄い場所があるんだ。


 平地にすぐにテントが組まれ、カメラや、かのアームストロング砲が設置されます。そして私たちには刀が支給されたのです。刀と言っても全て小刀。赤報隊はスナイドル銃という鉄砲を使用するために大刀はささないということらしいのです。役付きの俳優さんだけが大刀と小刀の二本差し。

 私も小刀の支給で並んでいたのですが、どうしたわけか私の前の人で小刀の配布が終わってしまいました。数が足りなかったのか、

 「じゃ、あなたには大刀を」

と、エキストラの中で私だけが大刀をさすことになったのです。


 行軍の様子の撮影開始。何カットか。繰り返し繰り返し。

 「赤報隊です。大人しくすることありません。喧嘩しにいくような感じで。ヤクザの集団だと思ってください」

 と助監督の声。


 続いて噴煙の中を赤報隊が突入してくるシーン。私は衣装の着替えの関係で、このシーンには参加できませんでしたが、着替えながらリハの様子を横目で見ていますと、どうやら火薬で地面を爆発させ、その中からエキストラが突入してくるという段取りみたいで。

 火薬を使うのは本番のみ。それまで何度か動きに対するカメラテストがあって、いよいよ本番。

 「ヨーイ、スタート!」

 ややあって地面が二か所、突如爆発しました。幕府軍のアームストロング砲が着弾したという設定です。粉塵舞う中、突入してくる新政府軍。

 この粉塵が凄い。火薬の勢いで舞い上がった砂だけではなく、小石くらいの軽石のようなものが飛んでくる。火薬の上を覆っていた非常に軽量のセメントのようなものでしょうか。

 傍で見ている私の視界のほぼ全てが煙で覆われます。その中から官軍の役者たちが怒涛の如く走りこんでくるのが浮かび上がってくるのです。

 一番先頭の人は絶対においしい。


 撮影は順調に進んでいきます。

 太陽が雲の影に隠れるときは、太陽待ちですが、好天に恵まれてそんなに長く待つということはありませんでした。


 いよいよ主人公たちが大砲を諦め、抜刀して新政府軍と斬り合うシーンとなりました。

 「誰か殺陣に自信のある人、名乗り出てください」と助監督が言うのです。

 え? 殺陣をする役者をこの場で決めるの? 前もって決まってないの?


 すると殺陣師のSさんが、個別に役者さんの名前を呼ばれます。

 「○○さんと○○さん、お願いします」

 あ、赤報隊の中の役付きの人たちだ。みんな大小を帯刀している。

 殺陣師さんがテキパキと動きをつけていきます。「ここをこうして、こっちにはじいて、ここでズバッと」みたいな。

 そしてカメラテスト。

 うわ、みなさん、上手い!

 やっぱり役付きの人たちだけあって、みんな慣れている。これも後で知るのですが、東京から来られている役者さんはみな殺陣やアクションの勉強をされていて、レベルが高い。

 戸惑っている人なんか誰一人いない。(それが当たり前なのでしょうけれど)


 ところが、ここで一つ問題が起こるんです。

 殺陣が上手い人はどんどん斬られていくわけです。死にゆく役者さんの顔もカメラに写っているわけだから、もう二度と登場するわけにはいかない。4人5人と斬られていくうちに、段々と殺陣の経験者の数が減っていくんです。


 監督が、

 「このシーン、もう一人欲しいな」

の言葉に続いて、助監督、

 「我こそは!と思う人、いないの」

とエキストラを挑発するんです。


 みんな気持ちは後ずさりしている感じです。


 私、スルスルと助監督に視界に入っていきます。

 いや、こうなったら、ままよ。

 そして助監督と目が合った。

 以前、「殺陣を習っています」の私を覚えておられていたのか、

「はい。キミ」

 とご指名。

うひょー。私、呼ばれた。こうなったらやるしかない。

 

 ここから私の記憶は曖昧になります。

 テンションがマックス過ぎて、詳細が思い出せません。

 それでも記憶の断片をつなぐと以下のような感じです。

 

 まずは殺陣師のSさんが私の技量にあった動きをつけてくださいました。

 これは本来もっと上手い役者さんであれば、自在な動きになったのかもしれません。けれど立候補者がいなかったのも事実ですから、負い目もそこそこにしておきます。

 三人がかりで斬り込む。私は三番手。一人目が斬られ、二人目が斬られ、私が三番目に斬り込んで、胴を払われる。タイミングが勝負。

 「カメラが回ったら、二歩相手に歩み寄って、そこから斬り込んでください」

 Sさんが砂地にラインを引いてくださる。ここがカメラに映り込む位置だと。


 「カメリハ行きます。ヨーイ、スタート!」

 一人斬られ、次が斬られた。

 行けー、私。

 ズバッ!

 胴斬りに合い、悶絶する私。

 「ウッ!」

 すると殺陣師さんから一言。

 「(カメラの前で)立ち止まらずに走り抜けてください。すっと行ってください」



 「じゃ本番行きます」

 「本番。ヨーイ、スタート!!」





 私、生まれて初めてカメラの前で斬られました。



 「カット! オッケー!」の監督の声。



 この日、このシーンで官軍の撮影は終了。

 撮影所へ戻り、服を着替え、原付バイクで帰途へ。


 現実の平成の街並みと、ついさっきまでいた虚構の世界。


 時代劇映画、日常にはない何か。

 けれども人間の感情がダイレクトに描ける世界。

 映画の街。

 京都。

 文化。

 技術。

 時代劇は、人に訴える力を持っている。


 それぞれすごいスタッフがいて、次代につなごうとする熱があって、吸い寄せられるように全国から役者が集まってくる。


 いろんな想いがグルグルを駆け回る一日でした。

 

 

 それともう一つ。

 劇団で一緒に殺陣を習っているろう者の役者さんたち。みんなにも、この心の高揚を味わってもらいたいと、想いました。

 みんな仕事が休めるかどうかわかりませんが(雨が降ると撮影日が順延になったりとか)、けれども次回、機会があれば誘ってみようと心に決めた次第です。


【追記:映画「すもも」は、その後2018年にDVD化され、「すもも」制作委員会から販売されています。】