今から40年ほど前。1970年代。要するに私の中学生時代のことなのだが、作家“星新一”氏のショートショートという短編SFが、クラスで突如爆発的ブームとなった。「これ面白いよ」と、学年一の秀才君の一言が火付け役となり、それが女子に瞬く間に広がり、普段は活字アレルギーを公言しグラウンドを走り回っていた体育会系男子までもが休み時間にこぞって読み始めた。私も数冊は読んだ。
これは局地的現象ではなかった。日本中の至る処、至る学校で愛読されていた。
言わずもがなのベストセラー作家であるからして、今更私が声を大にする必要もないのだけれども、それでもあえて注釈を挟むとすると、星新一氏の作品は、おおむね設定が近未来の短編で、従って登場人物の数も限られており、複雑な人間関係を読み解く労もいらないし、難解な言い回しもない。しかも小説としては珍しいくらいにセリフが多いのだ。地の文章よりも。
初期のテレビアニメや漫画世代だった私たちにとっては、だから、すんなりと受け入れることのできる小説形態でもあった。
ただし、氏の作品の虜となったのは、そんな表層の理由だけではない。
私たちを夢中にさせたのは、それが例え2~3ページの短編であったとしても、最後には予想外の、読み手をオッと思わせるオチが必ずあったからだ。そのオチは多くの場合、結構ブラックだったりする。
私たちが青春にさしかかった頃、活字に触れることや小説の妙を知るキッカケ、ファーストコンタクトは星氏の作品群を通してだったと言っても過言ではないだろう。(多分)
さて、ここからが本題。
先のブログ、『アテレコ』でご紹介をした「目で聴くテレビ」という番組。ここに9月から月一回の新コーナーが設けられた。ろう者の白石弘さんという方が星氏の大の愛読者で、彼が手話で星氏のショートショートを表現することになり、その声の部分を私が担当することとなった。つまりは小説の“朗読”。
これは実にやりがいのある仕事だ。
で、早速先々週にスタジオに行き、第一回放送分の録音をすませた。
ディレクターさん曰く。「著作権は新潮社にあります。今後6作品に関しては許可を得ました。ただ、この企画は更に継続したい思いがあります。今回の6作品を星さんの娘さんがご覧になって、納得して頂ければ続行ということになりそうです。彼女はアメリカ在住で、ASL(アメリカ手話)を学ばれたご経験もあって、手話には理解を示されています」。
と言うことは今後も期待できそうなのだが、しかし、発語の部分。私の朗読がマズければ6回で打ち切りという可能性だってあるわけだ。責任重大だ。
緊張するぞ。これはかなり緊張するぞ。
一回目の収録中に、私は発声でサ行が弱いことを改めて自覚した。舌と歯の間、空気の抜けが悪い。そこで収録から数日後、サ行の音が通りやすくなればと、歯医者へ行って前歯を少し削ってもらった。先生は60代後半のベテラン医師で、それこそ私が中学生の頃からお世話になっている。その先生をして、発声のために歯を治療?するのは初めてだと仰っていた。
次回の収録は10月。朗読すべき作品は決まっている。読み込むしかない。
白石さんの手話は、とても映像的だ。
手話の間、表情、緩急、語彙、語順……音声言語とは異なる表現に、どう声をあてはめるのか。勿論小説は、当然文章のままに読まなくてはならない。
星新一作品と手話……ハードルは高い。
そしてついに第一回の放送が一昨日に放映された。
うまくいったのか、いかなかったのか、自分では判断がつかない。
元来ビビリの私にすれば、聴者のテレビ感想を知りたくもあり、けれども知りたくも無しといったところだ。
テレビには朗読者の名前はテロップでは表示されない。だから、私が読んでいることなど誰も知らない。
このブログを読んだ人以外は知らない。