ついに上演されました。

 劇団あしたの会、久し振りの新作公演。

 『歩きはじめる時』

 

  所は鳥取。

 全国高校生・手話パフォーマンス甲子園。

  あしたの会がゲストパフォーマーとして登場したのです。

 私は客席最後列で見つめながら、知らぬ間に涙していました。

  理由、よくわからんのです。

 もちろん演じる役者さんたちの姿に感極まったわけですが。

 やはり舞台芸術は本番舞台が最高なのだということでしょう。

 お客さまがいてくださること、その前でお芝居ができること。

 出会いが生む、その場だけのエネルギー。

 

 

 ……このブログを書いている今、演劇状況は戦後最悪になっている。前回のブログの段階では思いもよらなかった急転の事態に胸が痛い。 

 

 コロナウイルスによって、今や全世界の人々が、経済が生活が閉塞状況にあり、パンデミック(世界規模の感染症の大流行)やオーバーシュート(爆発的な患者の増大)に怯え……その渦中にあって、演劇界も自粛を余儀なくされている。演者や演劇人の幸福とは、お客様とライブでしか成立しない心の交流にある。本番があってこそ、舞台人は感極まって最大の涙をする。幸福を感じる。観客もまた、生身の役者がそこにいるという一期一会を一生の思い出とする。二度と再生することができないからこそ、その日その時が宝の時間となる。

 そのような舞台を目指して、私たちは日々努力する。

 

 ……鳥取や京都公演の思い出を書き込みながら、演劇ができることが当たり前ではなく、上演できるだけでそれはもう至福なのだと痛感している。

 

 トリギン文化会館。梨花ホール。

 観客の息遣いの中、役者は自分の積んできた稽古を信用して、観客に身を委ねながら、その時間に生きようとしている。役に生きようとしている。映画のように繰り返すことはできない。今この時だけに全神経を集中して。

 そして、役者を支えている照明さんや装置さん、舞台監督さん、小道具さん、衣装さん、制作さん、それにあしたの会ならではの字幕班や、様々な表方裏方スタッフがこの舞台の一瞬一瞬に持てる力を結実させようと一心になっていることが強烈に感じられた奇蹟の瞬間。

 その姿を、お客様が固唾をのんで観てくださっているということ。

 私は最後列で見ています。

 泣けてきますよ、そりゃ。

 

 本番を終え、楽屋に帰りますと、主役を演じてくれた客演の女優さんに対して、小道具や衣装で頑張ってくれた(女優さんの実の)お母さんが「良かったよ。良かったよ」と、これまた感極まっておられて。嗚咽されておられて。

 続々と楽屋に戻ってくる役者さんたちも、充実感に溢れた表情で。

 主催者様が、本番後に集計して下さったお客様へのアンケートでも、上々の評価があって。

 

 「この芝居を書いて良かったのだ」と、作者の私もシミジミ思ったのでした。

 ホッとしたのでした。

 

 「さ、あとは片付けをして、ホールさんに挨拶をして、そしてJR鳥取駅前の打ち上げ会場へ直行だ!」。

 本来ならば、その流れなのだけれど、私は翌日が月曜日なので仕事があって宴会もそこそこに京都へ帰らければならない。他のメンバーは殆ど、数日の有給休暇をとっているらしく、鳥取での打ち上げは夜遅くまで続くことが予想され、宿泊しているホテルに戻っての延長宴会も更に続くことが予想され、更に更には、翌日は砂丘へ行ったり美術館を訪れたりと鳥取観光をされる予定のようで……。

 地方公演は、こういうオマケがあるから尚のこと楽しいのです。

 しかし、そんな団員を羨ましがる暇はない。私には今すぐにでも、やらなければならないことがある。それは……来年2月のKyoto演劇フェスティバルに向けての台本執筆。

 

 実はこの日、トリギン文化会館での本番公演前、楽屋での最後の通し稽古を終え(その件は前回ブログに記した通りですが)、あとは数時間後の本番を待つばかりとなった時点で、作者であり演出であった私は何もすることがなくなってしまいました。やることは全てやりました。後は役者さんが精神を集中するだけ。役者さんが本番の舞台に立つだけ。役者さんの世界。邪魔をしてはいけない。楽屋にいても私は何もすることがない。私の仕事は終わったのです。本来ならば、スッと肩の荷が下りてもいいはずの時間帯。

しかし、あにはからんや、さにあらず……。

 私は書かねばならないのですよ。

 寸暇を惜しむとは、まさにこのこと。

 

 

 

 少し話がそれてしまいますが、

 通し稽古の後、昼食の楽屋弁当が届きました。

 ガッツリ食べる人もいれば、本番前で自制する人もいる。なかなかに緊張感の高ぶるランチタイム。

 このお弁当が凄かった。

 燕尾服に蝶ネクタイのイデタチのホテルニューオオタニのジェントルマンが運んでくださった仕出しお弁当。木箱の折の蓋を開けると、食に貧しい私には食材が一体何なのかよくわからないけれど、見るからに手の込んだ高級そうな料理の品がセンスよく盛り付けてある!

 いいですか。

 コンビニのお弁当とかを想像しないでくださいよ。

 木箱の折詰に入ったビジュアルが食の芸術品とでも言うか、手間暇の掛け方が半端じゃないと言うか……「と言うか」「と言うか」で、ああ、やっぱりうまく表現できない……けれども、

 こんなお弁当、今まで見たことないし。

 そして美味いし!

 演劇に携わって35年。かつて食したことのない最高級のお弁当! お値段だって相当はるんじゃないでしょうか。

 やっぱりあれですかね。皇室が参加する式典というのは、お弁当もハイレベルになるのでしょうかね。凄いですね。

 で、その最高級弁当を食した後、役者さんたちは、いよいよの、本番までの精神集中タイム。50人くらいで会議できそうな広々とした楽屋では、それぞれが台本を読んだり、鏡に向かってメイクを始めたり……ランチタイムの後に訪れる静寂。

 

 はい。閑話休題。

 話を元に戻して、

 楽屋に居ても手持無沙汰な私は“ホールの中でも散策するか” “高校生たちの午後の部のパフォーマンスでも鑑賞しようか”……って、そんな余裕はないのです。各楽屋前の廊下という廊下、ホールのいたるところに沢山のSPが警備しているから気が抜けないとか、そういうことではありません。

 はい。繰り返しになりますが、来年2月のKyoto演劇フェスティバルに向けた台本執筆を開始しなければならないのですよ。

 すぐにでも。

 でも、どのように作品を膨らませばよいのか……。

 

 実は、私の中には少しだけ構想がありました。

 主役の看護学生さんの生い立ちというか、何故“看護婦”を目指そうとしたのかの背景を描く必要があるのではないかと。

 鳥取公演に向けた稽古が始まった頃、主演の女優さんに作者として伝えたことが一度だけありました。

 「この看護学生さんの役は熊本が出身です。それはモデルとなった方が実際に熊本から京都に来られた人だったからです。作者の私は、彼女が看護婦になりたいと思った動機は、当時大きな社会問題となり、病の苦しみや訴訟は今なお続いている“水俣病に接したから”だと思っています」

 あくまで私の推察です。しかし昭和38年、看護婦を目指す熊本出身の実在の彼女が、公害病である水俣病のニュースに大きく影響を受けたことは想像に難くないと思うのです。

 これは余談になりますが、私が大学に入学したての頃、某教授から推薦されて読んだ本に石牟礼道子さんが書かれた「苦海浄土」があります。水俣病を描いた“小説”で、病魔に犯された人たちやご家族の苦しみは衝撃的であり、同時に利益追求の企業の悪を思い知らされた最初の本でありました。人間の幸福と社会の在り方の矛盾。私の、後に続く劇作の起点の一つとなった本でした。経済原理は人間性を蝕んでいくという視点。小説を読んだだけで私は息苦しくなりました。

 昭和30年代。“高度経済成長”がもたらした闇。

 やがて日本初の手話サークルを立ち上げることになる、当時まだ10代だった主人公のモデルとなった女性には、もしかしたら地元熊本の知り合いなどに水俣病を発症した人がいたのかもしれません。

 そんな設定を台本に書き込みたい。

 しかし鳥取では上演時間25分厳守で、とてもそこまで描くことは無理でした。断念するしかありませんでした。

 でも、1時間枠の京都公演では掘り下げるべきじゃないか。

 そんなことを本番前の楽屋の片隅で考えていますと、

 看護婦姿へと着替えを終えた主演の女優さんがお母さんによって髪型を手直しされている姿がボンヤリと目に入ってきました。衣装担当でもあるお母さんが娘さんの髪型を直している。

 「ああ、やっぱり実の母娘だなぁ……」。

 母娘……母娘……母娘……、

 ……母娘か。

 そうだ、

 次回の演劇フェスティバル用の台本には、主役の看護婦さんと故郷で暮らす母親との関係を浮き上がらせるような展開にしてはどうだろうか。役として母親を登場させるのではなく……娘が母親に不定期に送る手紙。娘が故郷のお母さんへ送る手紙の文面を、幕間の転換時に字幕として投影することで、彼女の本音を(看護婦への憧れや情熱を)観客へ知らせるような構成にしてはどうだろうか。

 この手法、実は私の戯曲ではよく使う手法なのです。景と景の転換のための暗転時、真っ暗な舞台空間に主人公の書いた手紙や思考を文字として舞台上に字幕で投影する方法。それを今回も使ってみよう。

 そして“水俣病”。

 水俣病への想いが彼女の看護婦を目指す起点となったことを手紙の中に挿入することで、構成上の強引さもなく観客へ伝えることができるのではないか。

 

 鳥取での本番前の楽屋。私はプロット帳に、思いついた構成を走り書きしました。

 

 そして鳥取での本番が無事に終了し、鳥取駅前の居酒屋での打ち上げに少しだけ参加した私は、同じく明日仕事のある舞台監督と共に京都行の特急列車におっとり刀で乗車したのでした。

 帰途の長い車中、私は隣席の舞台監督に問いました。「鳥取公演を終えてすぐ、こんなこと尋ねるのもあれなんだけど……京都公演に向けて作品を膨らませるとしたら、どんなことが思い浮かびますかね」。

 舞監さんは若干思考した後、「看護婦さんの背景と、胃潰瘍で入院されたろうの患者さんの背景を深めてみてはどうでしょうか」と言うのです。

 そうか。看護婦さんだけでなく、患者さんの背景もか……。

 ろうの患者さんの背景。なるほど。

 モデルとなった当時入院された患者さんは、実際には聾学校の先生としてだけではなく、ろうあ協会の会長もされたり聴覚障害者新聞を編集されていたりと、ろう者や手話関係者の世界では全国区の方でありました。自伝のような書物も遺されています。色んな資料もあるので史実に基づいて役を深めることは可能でした。

 

 という訳で、鳥取本番を終えた翌日から、京都公演に向けた台本の改訂作業を本格化したのです。

 

 基本的には登場人物の数を増やさない方向で考えていましたが、看護婦さんと患者さんの背景を深めようとすると、どうしても、もう一人登場人物を増やさなければならなくなり……つまりは、主役の(看護学生の)先輩役という設定なのですが、この先輩看護婦さんが患者さんと接するシーンがあれば、当時の病院でのろうあ者の“一般的な扱われ方”を無理なく表現できるし、看護学生と先輩の看護婦との、同じ職業でありながら思考の違いも観客へ伝えることができるのではないか。

  主役の看護学生さんも準主役のろうの患者さんもそれぞれにセリフとしての想いが強くて熱くて、だけどそれだと1時間続く芝居の間に、観客との距離が開いていきそうで……もう少し観客寄りにと言うと語弊があるのですが、中間に位置する人、問題意識があっても時代に流されている人(=先輩看護婦役)を登場させたほうが、お客様も芝居の世界に入りやすくなるし舞台にも厚みが出ると思えたのです。

 

 更に台本執筆は続きます。

 

 ここで一つ、鳥取公演では取らなかった手法、音楽を使うことも検討を始めました。

 劇団内では、お芝居に音楽を使用することに対して様々な意見があります。

 私自身、長い演劇経験の中で音楽を作曲制作し、様々な劇団に提供したことがあります。ギターとかシンセとか鍵盤型サンプラーだとかを使ってのマルチレコーディングで。

 が、あしたの会を立ち上げてからは、楽曲創りは止めました。舞台で音楽を流しても、ろうのお客様には聞こえない。すると聞こえるお客様にだけ効果があることとなり、芝居の伝え方に差が生じてしまう。ならば一切の音楽を使わないことがお客様に対して平等ではないかと。

 しかし、その考えも徐々に変わってきました。

 勿論ろうの観客も沢山観に来られるのだから、音楽だけが浮き立つような効果があってはいけません。そこは以前のままの私の考えで今も変わりません。けれども音楽が全く無いお芝居だと、逆に聴こえる観客にとって心理的にプレッシャーが掛かるのではないかと思い始めたのです。

 つまり、こういうことです。

 聴者には音楽が無いことで、ストーリーの意図とは全く別の“効果”が生じてしまう。音が無いという“緊張感”や“圧迫感”が生じてしまう。緊張感を伝えることが芝居として必要ならばよいのですが、そうではない場合、無音が過剰となり過ぎた場合、聴者には居心地が悪くて落ち着かない生理を生じさせてしまうのではないか。

 初演の鳥取公演の時には、心情を伝える曲としてはラストだけ、既成の曲をBGMとして使用したのですが、無音ではなく観客の心を、観劇しているというスタンスを穏やかに維持できる音(音楽)が欲しいと思ったのです。

 そこで音楽を流すシーンを、上に記した「主人公が母親に送る手紙を字幕で投影する幕間だけに限定して、劇伴を使用したい」と劇団員に計ったところ、意外と誰からも異論反論は出ずで、劇中の数か所にBGMを流すこととなったのです。

 では具体的にどんな音楽を流すのか……出来合いの音楽をあれこれと選択する余裕は無いし、まして私が作曲する時間など取れようはずもない。どなたか劇伴の作曲制作に精通されていて、できればろうの方とも接点のある人がいてくれれば……って、そんな方が都合よく見つかるはずがないと思いきや……おられたのですよ。

 ビックリですよ。

 鳥取公演に続いて京都公演でも客演してくださる男優さん(この方は自主製作の映画監督でもある方なのです)が、彼が(映画制作で知り合った)横浜で音楽活動をしている男性を紹介してくれたのです。この音楽家さんは神奈川のFM局用にずっと音楽を提供されていたプロのミュージシャンで、今は横浜で独立して司法書士をされているという変わった経歴の持ち主でした。実姉さん(聴)が京都の城陽で、ろうのシェフのお店で共に働いておられるため、以前から“ろうの世界”に感心を持たれていたそうです。しかも後で知ったことですが、この方ご自身が司法書士としてろうの方の担当もされているという。

 何という奇遇。

 何という適任者。

 音楽を任せられる方は、もう、この方以外には考えられないという方との出会い。

 さっそくにご依頼をし、書きかけの台本をメールに添付し、音楽制作の了解を得、その後、彼とはメールで細かく何度もやりとりが続くことになるのですが、当方の不躾で無理なお願いも随分と聞いて頂き、最終的には10曲近い楽曲を提供してもらったのです。

 作曲して頂いた音楽に関して、聴の劇団員がスタッフからは否定的な声が一切ありませんでした。みんな大納得してくれた模様です。

 

 演出は、今回も消去法なのでしょう。結局誰からも手が挙がらずで……私が引き受けることにしました。ま、これが自然な流れなのでしょう。

 

 そんな中、まだまだ台本執筆は続きます。

 

 そしていよいよ最後の難題。

 京都公演で主役をしてくれる女優さん探し。

 そう、主役がまだ決まっていない!

 大変なことだ。

 前回の鳥取公演に出演してくれた女優さんは、翌年の春(つまり今年の春)に東京に行かれて声優となられるため、2月中旬の京都公演の参加は無理だということは最初から確認していました。

 誰か次なる主役を探さねばならないのです。

 

 劇団員は、この間、京都ローカルのテレビ番組(手話の啓発スポット番組)の「しゅわしゅわ京都」の撮影に挑みます。以前のブログにも書きましたが、番組は今年で3年目で、あしたの会が今回もまた役者で参加。京都の各所で撮影が行われました。

 私は、今回は出演をパスし、台本執筆に没入しておりました。

 しかし、セリフを書き進めながらも、やはり主役が決まらないことに焦りを覚えていました。

 「大丈夫か? 主役、本当に見つかるのか?」

 

 と、ここでまたまた関係者から「主役を引き受けてくれそうな女優さんがいます」との一報が。鳥取公演でも照明を担当してくださったプロの照明家の“姐御さん”から、2月に参加してくれそうな若い女優さんがいるというLINEが届いたのです。

 吉報です。

 LINEには、その女優さんは「自身の劇団の公演を11月3日に終えると、あとは時間がありそうなので来年の2月が本番ならば参加してくれるかも。一度頼んでみたら。私からも声を掛けておくから」と。

 これで良し。

 可能性が見えましたよ。

 そうして、新たな主役候補の女性が出演されるという11月の公演を観に行くことにしたのです。

 観劇する直前に京都公演用の台本の第一稿はやっと何とか書き上げました。

 なので、顔も知らない主役候補の女優さんにメールで事前に台本を送らせて頂きました。彼女にとっては本番前の大切な時期であるにもかかわらず。

 

 11月3日、彼女の演技を小劇場で拝見した時、「ああ、これは鳥取公演の時とは全く違う看護学生像が生まれそうだ」と直感したのです。前回の主役とは個性が全く違う役作りになると。

 上演が終了して私は客出しが終わるまで小屋の客席に残らせてもらい、その後に彼女にお願いをしたのです。

 「忙しい時期に申し訳ありませんでした。送らせて頂いた本は既に読んでもらっていると思うのですが、あれは私が書いた本でして演出も私が担当しています。演出に関しては、まだまだ未熟でご迷惑をお掛けするかもしれませんが、うちの劇団のスタッフは強力です。安心してください。少なくとも、あなたに出演して頂いて、『ああ、あしたの会に参加しなければよかった』だとか『人生の貴重な時間を無駄に過ごしてしまった』だとか、絶対に思わせませんから。後悔はさせませんから……どうか私たちのお芝居に出てください」と。

 彼女は以前に照明家さんから依頼があった時点で既に、役を引き受けることを前提にしてくれていたらしく、ここであらたまって私が依頼していること自体が不思議な感じのようでした。

 「本当に私でいいんですか」との返事でした。

いいんです。いいんですよ。

 

 主役は決定しました。

 よかった。

 本当によかった。

 

 ここで一つ不思議に思わているかもしれませんが、例えば昨年の鳥取公演での主役にせよ、今回の音楽担当者にせよ、そして京都公演での主役にせよ、見ず知らずの方への依頼の根拠は一体何だろう?と。

 主役と言えば、これはもう絶対的センターです。それをパッと見ただけで決めてしまっていいのか?と。

 いいんです。

 パッと決めていいんです。

 本当に困った時に出会える人は、出会うべくして出会った方なのですよ。

 こと演劇に関しては私、出会いにハズレタことがありません。

 

 残る看護学生の先輩役も、以前にあしたの会に所属してくれていた女優さんが快諾してくださり、これで体制は整いました。

 芸術センターでの稽古の開始です。

 怒涛の稽古漬けです。寸暇を惜しんで。

 

 

 ところが……12月に入ったある日のこと。稽古が無く自宅に居った私の携帯に一本の電話が。 

 掛かかってきたのは、先のブログに書いた西日本劇作の会の大御所さんからでした。

 はて? 私なんかに何の御用なのか?

 この大先達さんは自身が立ち上げられた劇団が来年(つまりは今年)50周年を迎える節目とのことで、戯曲を広く一般に募集されていました。そのことは先の『西の風戯曲賞』の表彰式の折にお聞きしており、戯曲募集のチラシも頂いていたのです。その時に「良かったら君も作品を書いて応募してみてよ」と仰っていたのです。

 しかし、ここに記している通り、自劇団の京都公演用の台本の改訂やら何やらを超バタバタでやり繰りしていた頃で、戯曲賞の表彰式でお会いした時も、社交辞令として「はあ、考えてみます」と曖昧な返事をしただけでした。

 ところが、この電話でまたもやプッシュされたのです。「書いてもらっていますよね」と。

 

 書いていませんから。時間ありませんから。応募するのは無理ですから。みたいなことを遠回しに言うのですが、大先達の大御所さんは「応募、待ってるからね。じゃあね」と笑って電話を切られてしまいました。

 

 

 「……」

 書けるはずないもん。だって締め切りは12月31日でしょ。だって今日って、既に12月になってますから。1ヶ月弱で書けるはずないもん。無理だもん。

 

 「……」

 本当に書けないのか? せっかく大御所自らがわざわざ電話でプッシュしてくださったものを。これ、縁かもしれんし。本当に書けないのか? 縁をスルーしちゃうわけか?

 

 「……」

 西の風戯曲賞で何十年振りかでお会いできたのも縁。こうやって直々に電話を掛けてくださったのも縁。

 忙しいからと縁を自ら断ち切ってもいいわけか?

 

 ……書こう。

 

 だって書くしかないじゃないか。

 そりゃ没になるでしょうよ。

 通るわけないでしょうよ。

 資料を調べたり推敲する時間なんて無いわけだし。

 何にも準備してないわけだし。

 そもそも、一次審査に通ろうとする熱いものが今この瞬間の私には無いわけだし。

 書けない理由をあげたらキリがない。

 でも、書くしかないじゃないか。だって「書いて欲しい」って言われたんだから。

 言われたんだから。

 書く。書く。書く。何を書く。

 ないか? ないか? 何かネタはないか?

 

 大御所さんからの電話を切った後、2時間くらいは何か書けないだろうかと腕組みのまま……悶々と思考が続いていき……、

 「そうだ! 以前書いた一人芝居用の台本。これを複数の登場人物が出てくる芝居に書き直せばいけるんじゃないか! もともとお蔵入りしている未上演作品だし、内容もセリフも新作として書き直せば、一ヵ月弱でも書けるかもしれない!」

 ちょうど劇団の稽古も年末はお休みだし。書く時間が全くないわけではない。

 そうと決めたら善は急げだ。

 その夜の内に数ページを書き始め、翌日からも寸暇を惜しむ。

 仕事の昼休みも休憩時間も全て執筆に使い、夜な夜なパソコンにセリフを打ち込み、何とか締め切り日の12月31日、当日消印有効ギリギリのタイミングでセーフの投函。約束守れてよかった。

 最新作のタイトルは『空蝉が鳴いている』。

 はたして結果や如何に。

 ちなみに電話をくださった大御所さんが審査をされるわけではありません。劇団代表者として、思い当たる方に片っ端から電話をしまくっておられたのでしょう。一本でも多く応募作が集まるように。

 審査委員長は劇作家であり女優である渡辺えりさん。一次審査を通過すれば読んでもらえるわけですが……さて、どうなりますやら。

 

 さあそして……いよいよ年も改まり令和の2年。2020年が明けました。

 劇団あしたの会の稽古も佳境に入り、役者さんのテンションも相当に上がってきています。

 前回の主役の女性と、今回の女性は全く個性が違うと先に書きました。

 前回の女優さんは、私が執筆中にイメージしていたキャラそのもので、もうこれ以上のはまり役は無いだろうと思えたくらいに。

 ところが今回の女優さんは、私のイメージをことごとく覆すキャラクター。「え? そうくるか!」の驚きの連続。

 『ガラスの仮面』に例えるならば、前回が姫川あゆみタイプなら、今回は北島マヤタイプ。

 演出している私自身、同じ役でありながら、こうも演出指示を変えていいものだろうかと思うくらいに幅が広がっていき……戸惑いながらも実に楽しめました。稽古中も彼女だけに多くの演出を出すものだから、本人からは「スパルタ!」と言われる始末で。

 

 本番の三日前。

 私は100円ショップで五個の写真用の額を購入しました。

 全てL版サイズ。

 あしたの会は本年で結成25年となります。

 その間、沢山の方と出会ってきましたが、活動が長い分、永遠のお別れも何人かの方としてきました。

 結成10年目くらいまで、ずっと演出を引き受けてくださり劇団を支えてくださった、プロの役者であり演出家でもあった芦田鉄雄先生。

 旗揚げ公演から、ずっと怪演を見せてくれていた反骨スピリット溢れるろう男優の三井博茂氏。

 イカツイ風貌とは真逆の人情派で、個性的な演技で観客を惹きつけた山下昇氏。

 旗揚げ公演から、ずっと照明を引き受けてくださったプロの明り屋さん。竹本秀昭氏。

 手話学習会みみずく初期会員の経歴を持ち、拙作「火群の時代」の主人公のモデルの、そして、あしたの会にあっては団員としてだけではなく演技においても抜群の魅力を発揮された吉田富一氏。

 5人が5人ともにそれぞれ皆、演劇を愛し、あしたの会を牽引してくださった方々。本番当日は是非とも今回の上演を観て頂きたくて、L版の“遺影”を字幕投影室に並べさせてもらいました。

 

 

 そして、

 令和2年2月15日。

 ついにこの日がやってきました。

 

 第41回Kyoto演劇フェスティバル参加、劇団あしたの会第16回公演「歩きはじめる時」。

 開演。

 

 お客様は400名の大入り満員。

 緞帳があがり幕が降りるまでの1時間。

 

 私は客席で見守るだけ。

 

 考えてみれば、昨年の今頃は影も形も無かった作品が、1年後には……手話パフォーマンス甲子園への参加をキッカケに、客演として二人の主演女優さんの力を借り、何人もの知人が協力してくださり、役者だけを見れば客演の数が劇団員役者数を上回るというあしたの会にとって初の取り組みも、こうやって無事に成功裏におさめさることができたのです。

 また遠路はるばる沢山のお客様に起こしいただいたことも舞台の成功に結び付きました。お客様の熱が舞台の役者に響いていたはずです。

 こういう感覚は人生でそうそう得られるものではありません。

 舞台創りに関わってくださった人、観劇してくださった人、本当にありがとうございました。

 

 これからも戯曲を書いていく勇気を頂きました。

 

  と、私が万感の想いを募らせれば募らせるほど、2020年の春の現状と心が乖離していく。あしたの会の公演が終わったあと、いくつかの劇団の公演を観に行く予定にしていた。当日清算券を申し込むという形で、予約を入れていた。しかし、全ての公演が中止になってしまった。電話やメールで、その旨が伝えられた。

 ブログで二回に渡って書き込んできた鳥取と京都での公演は、私にとって宝物のような思い出になっていくだろう。

 しかし、その後の演劇同胞たちの公演中止報告は、積み上げてきたことがゼロになったことを意味する。金額ベースで言えば、明らかにマイナスにしかならない。中止を伝える電話やメールや封書など手間だけでなく更なる通信費も掛かっている。

 会場費、印刷代、稽古場に掛かる費用、大道具への出費……人件費に換算すれば膨大な労働への対価。何も返ってこない。全て回収不能。

 外注先のフリーランスの裏方へお断りを入れる苦しさ。精神面での疲弊。

 次が設定できず先の見えない不安。

 

 少なくとも、本書きとしての私ができることは、それでも寸暇を惜しんで戯曲を書くこと。コロナが終息した時に、みんなが打ち込めるような台本を書くことだと思っている。

 「ああ、この台本を舞台化したい。役で出てみたい」と思ってもらえるような台本を書くことだと思っている。

 演劇人の殆どが身動きとれない現状にあって、劇作家だけは唯一創作の手を止めなくても良いポジションだから。

 

 私は新作に向き合っている。

 そうでないと落ち着かない。

 自分を落ち着かせるためにも、新作を書いている。