映画『風が吹くとき』(英国アニメーション映画~日本語吹き替え)原作:レイモンド・ブリッグズ | 北十字の旅と音楽会記録が中心の日記

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連日、オリンピックで『しっかり』放送される種目のうち、私の専門の陸上競技以外に、日本ではマイナーな競技中心に見ています。
この1週間は、東京オリンピックで一気にメジャーに上りつめたスケートボードと自転車の サーカスのような『曲芸技種目』を面白く見ていました。でも これらの競技の採点、果たしてどこまで正確にできるのか かなり疑問を感じてもいました。
一昨日、昨日は、フェンシングの団体戦にテレビ前で大騒ぎ、そしてこの数年で やたら増えた男女混合競技は メジャーな競技でも思わず見てしまいます。陸上のリレーはまだまだバトンパスが笑えるレベル。そんな中、水泳と柔道の混合種目は疑問や問題はなく見れると思いきや、柔道は なんか怪しすぎました。最後の決定戦の『CP籖』は「えっ!?」って思ったのは私だけではないのでは?
国や地域に関わらず 公平な評価ができるようにならないのか…と考えてしまいます。

そんな中『日本の8月』に向けての映画を観てきました。
英国のアニメーション『風が吹くとき』


横浜のミニシアター系の 良質な作品を提供してくれている
『横浜シネマリン』
で 観てきました。


下に配給元のこの作品についての紹介文がありましたので、それを貼っておきます(↓)🤳

≪アニメーション映画『風が吹くとき』は、1986年に英国で制作され、翌1987年に日本でも劇場公開された。「スノーマン」や「さむがりやのサンタ」で知られる作家・イラストレーターのレイモンド・ブリッグズが、マンガのようなコマ割りスタイルで描いた同名の原作「風が吹くとき」(あすなろ書房刊)を、自らも長崎に住む親戚を原爆で亡くした日系アメリカ人のジミー・T・ムラカミ(『スノーマン』)が監督。音楽を元ピンク・フロイドのロジャーレイモンド・ブリッグズウォーターズが手掛け、主題歌「When the Wind Blows」をデヴィッド・ボウイが歌っている。さらに『戦場のメリークリスマス』(1983)で生まれたボウイとの友情から、日本語(吹替)版を大島渚監督が担当。また、主人公の夫婦ジムとヒルダの声を森繁久彌と加藤治子が吹き替えたことでも大きな話題を呼んだ一作だ。
本作はしかし、ブリッグズの愛らしいキャラクターと温かみのあるタッチからは想像がつかないほど、核戦争の恐怖を強く訴える物語でもある。日本での初公開から37年を経た現在でも、SNSでは「当時鑑賞してトラウマになった」というファンも少なくない。ブリッグズはなぜ核の恐怖を描いたのか?原作が描かれた1982年当時は、米国とソ連(現ロシア)が数万発もの核兵器を保有し、軍拡競争を繰り広げた冷戦時代の真っ只中。本作で観客を唖然とさせるシーンの一つに、「3日以内に核戦争が起こる」というニュースを聞いたジムとヒルダ夫妻が、政府が発行する「PROTECT AND SURVIVE(守り抜く)」というガイドブックを参考に、自宅でドアとクッションを使った核シェルターを作る場面がある。今見ると、あまりにもナンセンスな内容だが、実は、この冊子は現実に存在し、1974年から80年まで英国政府がテレビCMやリーフレットなどの形で配布していたものである。こうした政府の姿勢に強い憤りを抱いたことも、ブリッグズが『風が吹くとき』を描いた理由の一つとなっている。
図らずも、今年2024年はアカデミー賞7部門を受賞した『オッペンハイマー』も日本で公開された。1970年生まれのクリストファー・ノーラン監督は、オッペンハイマーという人物を映画の題材に選んだ理由を問われると「私が育った1980年代のイギリスは核兵器や核の拡散に対する恐怖感に包まれていたんです」と語り、子供時代に本作を観ていたとも話している。これはブリッグズが『風が吹くとき』を描いた時期とも重なり、いかに当時、多くの人々が核戦争の脅威を身近に感じていたかが分かる。国際情勢が大きく揺らぎ、再びリアリティを増す核戦争の脅威について警鐘を鳴らすべく、唯一の被爆国であるこの日本でも『風が吹くとき』が蘇る。≫

1986年制作で 87年日本公開という作品が、今年(8月2日)再公開。アニメーションということも気になって、暑い中、歩いて伊勢佐木町まで出掛けました。

私的には 1986年、大学で働いていて 帰り道に ちょっぴり遠回りの(小田急線の)駅に行く途中にある 大きな家に『森繁』という表札があったのが わすれられません。この映画の老主人「ジム」の声を担当していたのが、その森繁久彌さん。
そんなことまで思い出してしまいました。

作品ですが、今の目で見ると、その画質は日本のカラーフィルムの黎明期って感じ。私のチェコのアニメーション映画が好きな目で見ると、とても懐かしく「ホッ」とする温かさが良かったです。

声を担当している森繁久彌さんと加藤治子さん、「ちょっぴり台詞が棒読みかな?」と 今の感覚からすると思えるのですが、仕事をリタイアした夫婦2人の家庭の会話だとすれば、これが普通になるのかな?

ストーリーは、日本人の今の知的レベルで見ると、主人公2人の会話の無知ぶりと、天真爛漫さぶりに 笑ってしまいますが、ここで語られている あまりに稚拙な原子爆弾への対処法が、なんと当時、英国から本当に出されていたというのに、思わず「あんぐり」でした。
その部分を差し引いて見ますと、子どもを独立させた夫婦の穏やかな生活の温かさに「今の日本(先進国)では忘れられかけている空気なのでは?」と感じられました。

「原爆が英国に落とされた」と、仮定された その時の、英国郊外の老夫婦家庭を描いたもの。
日本と英国の地理的条件の違いがわかっていないと、ちょっぴり違和感を覚えるかもしれません。
英国の農村地帯は 散村(1つ1つの家が独立している)ということからはじまり、
最後の場面、映像が 夫婦の絵から 雲に切り替わったあとの 夫婦の会話は キリスト教の思想の理解が必要でしょう(観ている私たちも そこがわかると救われます)。

そのような流れで作られた この作品のテーマは、
『戦争、それも「原子爆弾」は、小さな幸せな市民を普通の生活を「一瞬で破壊」する』
と、いうことのように思えました。