『NEC古楽レクチャー』:HAKUJUホール | 北十字の旅と音楽会記録が中心の日記

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~誰そ彼~

今日は
『NEC古楽レクチャー』

14時30分~
HAKUJUホール

講師:鈴木秀美(オーケストラ リベラ クラシカ音楽監督)

題目は
『ハイドンの黄昏』

晩年のF.J.HAYDNの生活を、代表的な音楽を通して偲ぶというもの。
実演もあり、弦楽四重奏にリベラクラシカのメンバー。それにフォルテピアノに上尾直毅さんという強力態勢。

内容はF.J.HAYDNが エスターハーズィー以外からの仕事ができるようになった、1779年(47歳)以降のことから。

・当時 F.J.HAYDNはW.A.MOZARTを凌駕する人気。それはF.J.HAYDNが訪れたことのないパリの公開演奏会で、F.J.HAYDNは181/335で演奏会に乗ったのに対して、W.A.MOZARTは17/335。そんなF.J.HAYDNは1790年 と1794年に2回ロンドンに招かれる。1回目のロンドンの帰り、ウィーンへの途中、F.J.HAYDNはボンに寄り そこでBeethovenに逢う。つまり F.J.HAYDNがロンドンに行かなければBeethovenに逢うこと、つまり BeethovenがF.J.HAYDNに教わることは無かったということ。
などなど…

そのような話の中で印象に残ったのは
・F.J.HAYDNの作品の中で一番有名な『皇帝讃歌』(ドイツ国歌)ですね。それを第2楽章におく 弦楽四重奏曲作品76-3(1796年の作品)その第1楽章の冒頭に F.J.HAYDNは皇帝を讃美するしかけをしているという見解。
📝ハ長調の弦楽四重奏曲の冒頭は第1ヴァイオリンはソ-ミ-ファ-レ-ドとなっている。つまりG-E-F-D-Cですね。皇帝讃歌「神よ皇帝フランツを守りたまえ」と言っている歌詞の原題は『Gott Erhalte Franz den Kaiser』そこでKをCに読み替えします。そうこの弦楽四重奏曲は冒頭から皇帝を称える作品となっていると…

・ロンドンから帰ってからは、再びエスターハーズィー家に仕えて ミサ曲 弦楽四重奏曲 そしてオラトリオを作って、自らの衰えに身をまかせて、1809年5月31日に亡くなったということ。

・F.J.HAYDNは1800年過ぎには、自らの衰えを感じつつ、作品『天地創造』『四季』を作っていた。W.A.MOZARTなどは若くして亡くなっているのだから、W.A.MOZART自身は 晩年を意識して作品を作ってはいないだろう。しかし F.J.HAYDNは晩年を十分に意識して作品を残していたであろうこと。よく 晩年の作品と言うが、果たしてW.A.MOZARTにその様なことばは当てはまるのか。

まだまだありましたが、この様なレクチャーを聞いてきました。

演奏された曲は
フォルテピアノ独奏で
🎵『皇帝讃歌』変奏曲
弦楽四重奏で
🎵『皇帝』四重奏曲の第1楽章提示部
🎵弦楽四重奏曲 作品103『未完成』全曲
フォルテピアノ伴奏の弦楽四重奏で、晩年のF.J.HAYDNが名刺に刷ったことで有名な 
🎵四重唱曲『老人』

日本のトップが集まって これだけしか演奏されなかったのはちょっぴり残念でしたが、演奏家独特の視点からのお話が聞けて良かったです。