藍川 由美日本のうた編年体コンサート 第12回日本國民歌と國民歌謡:東京文化会館小ホール | 北十字の旅と音楽会記録が中心の日記

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そして、クラシック音楽も好きなもんだから、音楽会を理由に、日本国内を旅しています。
音楽と旅を中心に、日記を書いていきます!

~琉球語の鷹山~

大荒れ予想の首都圏でしたが、出勤時は小雨。早上がりの16時過ぎには雲が飛び、快晴。傘を勤務先に置いて ゆっくりと藤沢駅に行くと、改札口が大混雑。何が起こったかといえば、馬入川(相模川)が増水したため 東海道線がストップ! 長時間かかりそうなので、小田急利用に切り替え、都内に向かうことに。
上野公園の散歩を予定して 早く出て良かった。夕食をとる暇はなかったけれど、間に合った!

今日は19時~
東京文化会館 小ホール

藍川 由美
日本のうた編年体コンサート 第12回
日本國民歌と國民歌謡


まず1939年(昭和14年)の日本國民歌。
ここは初めて聴く曲ばかり。
🎵大陸日本の歌
🎵國土
🎵農民の歌
🎵われらをみなは
🎵男海をゆく
🎵こどもの報告
軍歌調や歌曲調や童謡調と様々というか、バラバラで楽しく聴けました。

ここで片山杜秀さんが登場。
この昭和14年の日本國民歌は文部省が日本を代表する作家と作曲家に依頼して作った曲。その経緯も、前年に内閣府が歌詞を公募して作った『愛国行進曲』が大ヒットして 負けてられない、との急拵えでの企画だったため、方向性はバラバラ。発表機会もなく、作っただけとなり、埋もれてしまった。

続いて國民歌謡、放送軍歌。
これらは レコード会社、放送局、新聞社などが競って 販売目的で作らせた曲。たくさん作り、売れた曲が残るという 資本主義的原理に則ったもの。

そのため ほとんど私も知っている曲。
🎵太平洋行進曲
🎵空爆の歌
🎵出征兵士を送る歌
🎵旅愁
🎵南京空爆
🎵紀元二千六百年
太平洋行進曲などは、男声でないと ちょっぴり弱いところもみえましたが、紀元二千六百年では、後半の流れる旋律の部分の美しさで女声の良さが出ていました。

ここで休憩。

後半も國民歌謡の続き。
🎵かへり道の歌
🎵暁に祈る
🎵燃ゆる大空
🎵南進男兒の歌
暁に祈るや 南進男兒の歌では、勇壮な表現に圧倒。女声はイマイチなんて言わせない歌唱は、圧巻でした。
そして 私の大好きな 燃ゆる大空が聴けたのも嬉しかったです。

ここで片山さん登場。
日本は古くから『南進』という思想を持っていた。これは侵略ではなく 経済進出という意図で。
昭和11年以降 南進は国策となる。
ヨーロッパでの第二次世界大戦の戦況から、東南アジアがアメリカに占領されるのを防ぐためにも、日本は南へ目を向けざるを得なくなる。
当時、琉球の音楽が中央で演奏されることは、なかった。琉球の人々も その音楽を恥ずかしいものとして隠す傾向にあった。ところが ちょうど柳田国男の民俗学の見直し、それに 南進に対して、琉球の文化が南アジアに通ずるものとして評価されるようになってきた。それは東南アジアは、日本と同じ文化を持っているとの1つの証明としての意味もあった。そして ちょうどその時に 金井喜久子が出てきたのである。

片山さんから藍川さんにお話が変わり
このあとは 金井喜久子さん作曲の作品を6曲、琉球語で歌います。
当時の楽譜は日本語でしたが、後年調べたら、金井さんは琉球語の譜面も残していたので、金井さんの本当の気持ちはと考え、琉球語を選択しました。
琉球語の特徴は3母音です。

金井喜久子の作品から
🎵黄金燈籠
🎵谷茶前
🎵螢
🎵月ぬ美しや
🎵かなよー
🎵木やり唄

アンコールとして
🎵てぃんさぐぬ花

この有名な曲には4番があります。その歌詞は、上杉鷹山の
~成せば為る 成さねば為らぬなにごとも 成らぬは人の為さぬなりけり~
を そのまま琉球語の歌詞としている。琉球が薩摩藩の影響下にあった証拠にもなります。

今回はお2人のお話があまりに充実しておりました。特に片山さんのお話は、カルチャーセンターや大学レベルの 的を得た内容で、私の知的好奇心を爆発させるに十分でした。
今年度最後の音楽会は、今年度最高レベルのレクチャーが組み込まれた、充実したものになりました。

帰りに 雨上がりの上野公園を歩くと、ソメイヨシノが満開でした。