昨日の青春18きっぷの旅の記録は(↓)こちらを❗
会津若松のビジネスホテルからスタート。
朝食は折りで食べ放題ではなかったのが、残念。
雪の七日町の商店街を歩いて、只見線の七日町駅へ。7時40分すぎの列車で会津川口まで🚃💨
会津盆地は雪で真っ白。そこに取り残した柿のオレンジが朝日に鮮やかに輝いていました。
会津坂下までは会津盆地。小学5年生の頃、日中線にC11を見に行った帰りに、列車の接続が上手くいかなかった(会津若松まで行くと列車の接続が間に合わなかった)時、喜多方駅から会津坂下駅までタクシーを飛ばした記憶が微かに蘇ってきました。
その後、只見川に沿って雪の積もった山の中を50km/hくらいで走る。ローカル線そのもの。
終着駅、会津川口駅に降りたのは、私を含めて3人。みな『鉄』でした。
45分の接続で、水害により不通による代行バスで先へ。乗車したのは『鉄』の3人だけ。
バスから見た不通の只見線を見ると、流されたままの鉄橋が、あちこちに。このままここはバス路線となりそうな様子がひしひし感じられました(来年から復旧工事が開始され、2021年、10年振りに復旧予定だそうです)。
他の2人はバスの終点只見までとのこと。しかし私は途中の会津大塩で途中下車。
会津大塩のバス停留所から会津大塩の駅へ行こうとすると、そこは除雪されていない道路の先で、行くことは不可能。
そこでまずは、バスで来た国道を戻るように歩いて、炭酸泉の湧いている
『炭酸場』へ。
国道から少し入った山裾にそれはありました。
しっかりと管理されて、水を汲むこと、飲むことができるようになっていました。
その炭酸泉、私はそれほど好きなわけではないのですが、飲んでみると 驚くべき美味しさと適度なシュワシュワ。鉱泉独特のエグミが皆無なのが、いい。このままリキュールを割れば、そのままいけそうでした。
あんな板には、明治時代には国内どころか海外へ『ゲイシャ炭酸水』として輸出も行われたとの由。しかし海外はもちろん、国内も輸送費用がかかるとのことで、廃業したとのこと。
今は、お隣に新しい炭酸水工場がありました。
さらに国道を元の方向に歩いて
大塩温泉♨️へ。
ここは、数年前に真新しくした公衆浴場があるので、そこで次のバスまで ゆっくり。
先ほどの炭酸泉の近くなので、もちろんここも炭酸泉。
ただ 加温しているので 七里田温泉のようなアワアワは期待していなかったのですが、お湯出てくるところに行くと、腕がアワアワに。
夏場は加温していないとのことなので、夏に入りたくなりました。
休憩所で、テレビをつけて会津川口駅で買ったおにぎりを食べ、一休み。それより 2時間近く誰も来ないという超ローカルぶり。
そのあと再度温泉へ。すると、やっと地元の人がポツポツと入ってきました。
代行バスに乗るため駅に戻るも、この温泉から近いのは、会津川口寄りの会津横田駅へ。こちらは鉄道の駅が住宅地の隣なので、駅の脇まで行けました。
そして乗った代行バスは私1人。会津横田~会津大塩間を2度乗ってしまうことになりました。
只見川に沿って国道を30分走って、只見駅へ到着。乗り換えは40分。私は只見駅を南会津への窓口…と位置づけてはいたものの、駅の棚にしっかりと置かれたパンフレット類には、その方面のものが無く、残念。只見から伊南村の方への観光は少ないみたい。
只見からは、鉄道。
会津川口からのバスの2人にもう一人(これも『鉄』)を加えた3人に私の4人を乗せて、今日の2番列車は夕暮れせまる只見駅を発車しました。
ここ、只見から お隣の大白川までは、只見線の中で最後(昭和46年)に開通した区間。私が時刻表を買い始めた時には全通していない、私的には新しい区間。しかし 途中にあった田子倉駅は 数年前に廃止されてしまい、只見の次の駅は大白川。なんと駅間所要時間が29分。それって東京~横浜より時間がかかるということ!
長いトンネルにはさまれた間から見られる、旧田子倉駅のあった、雪の中の田子倉湖はひっそりとして、生き物の気配を感じさせない世界でした。そして田子倉駅あったところは雪によって、跡があるのかすらもわかりませんでした。
そして人家のほとんど無い、大白川駅に到着。
次の柿の木駅も廃止されたので、この駅は、両側の駅が消えた駅ってこと。
その無くなった柿の木駅跡をチェックするも、やはり雪の下でまったくわからず。
やっと町が現れると、そこは入広瀬の駅。あとは雪国のローカル線の風景の中、小出駅までの列車の旅でした。
今夜は六日町の温泉♨️
民宿でお腹をいっぱいにして、あとはEテレでクラシック音楽三昧🎶
1年間、私の気ままな文章にお付きあいいただき、ありがとうございました。
よければ、また来年もこちらにお寄りください。
追伸:音楽会年間総まとめは、私は年度単位なので 3月31日に締めます。