『駿河の白隠さん』展:静岡市美術館 | 北十字の旅と音楽会記録が中心の日記

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モーツァルト・マチネの後、静岡へ。今朝は行きから青春18きっぷを使ってお得に移動。
湘南は梅が満開🌸


静岡駅前の静岡市美術館へ。

↑エレベーターからお出迎え

『白隠禅師250年遠諱記念展 駿河の白隠さん』展


HPの紹介文は
『「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と称えられた白隠慧鶴(はくいん えかく 1685~1768)禅師は、臨済禅の中興の祖で、特に禅の民衆化に努めたことで知られます。
白隠は、江戸時代中期、駿河国原宿(現・静岡県沼津市)の町屋に生まれるも、15歳で出家して原の松蔭寺に入り、諸国を行脚して飯山(現・長野県)で悟りを開き、32歳の時、請われて松蔭寺に帰り、これを復興。晩年は三島の龍澤寺を開山し、松蔭寺で84年の長寿を全うしました。
その間、特に60代後半以降(宝暦~明和期 1751~72)、達磨や観音、あるいは祖師のほか、様々な恰好の布袋や大黒をはじめとした七福神、親孝行などを説いた墨蹟や絵画を揮毫しました。宝暦・明和といえば江戸で錦絵が誕生し、京では白隠に参禅した池大雅や伊藤若冲が活躍した時代です。
本展は静岡の寺院や在家居士宅に伝来した白隠の書画を中心に、135件を一堂に会し、その画風の変遷や江戸絵画への影響を探るものです。江戸時代の社会における白隠、美術史的側面からみた白隠を改めて顕彰します。ご期待ください。』と、ありました。

昨年、原の松蔭寺に寄ったこともあり、とっても親近感のある、白隠禅師の展覧会。
気張らずに、ダイナミックな筆で描かれた絵画の数々。また、賛を解読したりと、なかなか楽しい時間が過ごせました。
今回の展覧会は、白隠禅師の絵画だけでなく、他人の絵に 賛を書き入れたものも対象となっておりました。しかし その多くは自画自賛のもの。賛を読み解きたいものの、要所要所に置かれている図録には、漢文は活字で載っているものの その白文のみ。高校の授業を思い出しながら 読みましたが、反語を中心に、もう忘却の彼方。まったく反対の意味に取っている可能性もあり。

それでも、白隠禅師の親しみやすい達磨や布袋の絵は 見ていてホッとさせられます。

賛にも
『老いては帆にしたがう』
など、現代のオヤジギャグみたいな軽いノリのものもあったり、めちゃ笑えました。

庶民に禅の教えを広めたり、寺院の堕落を食い止め 修行道場の行動規範を作ったのが白隠だとは知りませんでした。そしてさらに、年貢の取り立てが藩の力を低下させる原因と分析、農民とともに藩主とたたかったという記録にも驚きました。


江戸中期、ドイツではバッハの時代に 日本で活躍した白隠慧鶴禅師の展覧会、行って正解でした。今夜、達磨さんが夢に出てきそうです。

今日は展覧会のあと、ゆっくりしたいので、焼津の健康ランドで1泊。いつもはガラガラなのに、早い時間から入ったからなのか、盛況。食塩泉では日本で2番目にお気に入り。ゆっくり温まって疲れを取りたいと思います。

↑焼津に来たなら海鮮丼。本当はマグロ丼にすべきところですが…