今年の夏の旅、昨日の記録は(↓)こちらです😉
今日は終戦記念日。
朝風呂のあと朝食をしっかりとってスタート。
インフォメーションセンターで、昨日 失敗した大島行きの整理券をもらい、9:20の船で大島へ。
到着後、まずは宗教エリアの見学。つまり 供養塔や信仰のためのエリア。
ここまでで、一応の療養所の説明がされていて、島を訪れた人は ハンセン病の隔離政策を知ることとなる。
↑四国八十八箇所のお参りができるよう、八十八の石仏が島内にあります
そして 火葬場の隣にあるモニュメントを見学。
そのモニュメントの下には、お骨に入らなかった灰が埋められているとのこと。
その後、トリエンナーレの展示エリアに。
『解剖台』
がありました。
確かこの話 テレビでみた覚えがある。
~島で亡くなった入所者は 解剖承諾書を『書かせられ』、死亡すると この台の上で病気の研究目的で解剖する。その時の体液を落とすために 中央に穴が開いているのが、解剖台の特長~
テレビでは、この解剖台は事実隠蔽のため、海になげられたのだろうと言っていた。
そんな歴史からも一時は、らい予防法が廃止になる20年前まで、抹殺されていた。そんな島。
そして驚いたのは、島の中の道を走っている車のナンバーが無いこと。ここの道は 公道ではないとのこと。まだまだ権力の及んでいる所なのだ、を感じました。
因みに、開所時の所長は 警察官の天下り。医師ではないという 事実! で、警察ですからね…
そんなことを思いつつ、11:00に受付に集合。およそ90分の滞在でしたが、感じるものがたくさんありました。終戦後も延々と非人道的なことが普通に行われていたことを身近に感じてしまう場所。
今では この島の変なことは、車にナンバープレートが無いことくらいなのでしょうね。
11:10に また救命胴衣の漁船で高松へ。
高松港に戻ると そのままチケット売り場に並び、12:00発のフェリーで女木島まわりで男木島へ。船は昼の便なのに混雑。
40分ほどで小さな男木島に到着。港の斜面に集落がはりついている。漁業の島。
港の前の案内所から作品だ!
まずは順序に沿って歩く。失敗したのは、船で到着した人たちが同じ流れになるということ!
時間をずらすのも面倒なので、そのまま。全ての展示~15箇所~を2時間弱で観れるコンパクトさ。ただ 坂道の急登は35℃の最高気温の日には いい運動。
その中でめちゃ気に入ったものは
『アキノリウム』
自動で風を起こしたりしながら 竹を打たせるなどの音を聴くもの。癒され方がハンパじゃない! 時間をずらせば良かったと これはマジで思った…
古い日本家屋の奥に入ると、90°傾いた部屋が現れる。
なにしろ めちゃ 面白すぎ!
真っ暗な2階に展示された 灯台の模型が素敵だった。
『カレードスコープ』
部屋がカレードスコープの模様に!
パイプが道の上と下に繋がり、そしてそこに望遠鏡も!
乳母車、今は老人の杖の代わり。それにペイント。島の中にその乳母車がたくさんあるのが、見たあとにわかった!
島の人たちの記憶を小さなボトルに詰め込んで…
よくある展示手法だなぁ~
海岸に大きな足のついた、何?キノコ? が歩いていく。
小さな島の 家の裏の小道を歩いて、地元の人の目線での風景は とても温かいものでした。
15時の船が出航して行くのを見ながら、次は 島の北の灯台までおよそ2kmのウォーキング。一気に日焼け。
男木島灯台は 総御影石で未塗装という珍しいもの。
戻ると16:20。17時の男木島からの最終便を待つ待合所は混雑して入れなかったので、外の乗り口にある椅子で待ちました。
そのため一般客の先頭で乗船。出港時には通路まで立ち客のいる混雑。途中の女木島では、150人くらいの積み残しが出ていました。
高松港からホテルに戻る途中に 今日も昼食を抜いたので 早い夕食。昨日、一昨日と違ううどん屋さんに。今日は初めて入るお店。うどんだけで勝負のお店で、ご飯ものはいなり寿司だけ。今日もぶっかけ大を注文すると、やたらでかいのにビックリ!
ここは香川県基準で出てきました。うどんのコシも一番でした。
満腹!連泊の大浴場つきのホテルに戻り、大きなお風呂に入ってサッパリしてきました。日焼けでヒリヒリです。