ダーク・ノビツキー選手、永久欠番おめでとうございます。
本当は、グッズのブログを優先すべきなのですが、こうした話にも旬がありますので、どうかおつきあいいただければ幸いです。
今でこそノビツキー選手と言えば、どんな選手かがすぐに頭に思い浮かびますが、同選手が若手だった当時、プレイオフでストックトン&マローン選手のジャズを下すという快挙を遂げた直後の2000-01シーズンにも関わらず、地元ダラスでは「え?・・・あーマブスの選手ね」といった感じでした。
Nowitzki と書くノビツキー選手。
ドイツ語ではWの発音は、ヴの発音になるのですが(Wolf 英語:ウルフ→ドイツ語:ヴォルフ)、
筆者が「ノビツキーのジャージを仕入れたい」と伝えても、「え?ああ、それノウィツキーじゃないの?」と、当時は改めて英語読みに訂正される有様で、選手の出身国への敬意はおろかチームの躍進や優勝は、地元ではあまり期待されていないようでした。
それもそのはず。
ダラスではNFLのカウボーイズの方が活躍していたので、NBAの方はほとんど相手にされておらず、グッズの世界でも「地元だから」と温かくフォローするような業者しか取り扱いがありませんでした。
何度も行く先々で「わざわざ日本から来て、カウボーイズでなくマーベリックス?」と驚かれました。
当時、アメリカでは漢字ブームなる物が流行っていまして(クールジャパンのはしりのような状態でした)、そのせいか日本人を珍重する傾向にあり、「日本から来た業者です」というと、多くの人がにこやかな対応をしてくれるのですが、「目的はマーベリックス」というと表情を一変させてしまうのは、何とも言えない気持ちになったのをおぼえています。
2011年、悲願の優勝を果たしたのは、みなさんもご存知の通りです。
7フッターがSFも務められるなど、ノビツキー選手の功績はいくつもありますが、その後のNBAに及ぼした影響という意味では、「外国籍選手の成功」が1番大きいのではないかと思います。
先にそれを証明したのは、ジノビリ選手やパーカー選手らでしたが、先のシーズン優勝はギリシア国籍のアンデトクンポ選手を擁するバックスだったこと、小さなフランチャイズの宿命という側面を考慮しても(他の2チームと異なりダラスは予算は潤沢でしたが)、「外国籍選手にも自チームの命運を賭ける価値がある」と思わせた一助になったのではないでしょうか。
アメリカ国民は自国に誇りを持っている国民性と現在も言われ、当時は、アメリカ国籍の選手を優先・優遇する傾向が色濃く残っていました。
当時のグッズを見るとそれが顕著で、種類や在庫数が多いのは、
1.フィンリー選手(アメリカ)
2.ノビツキー選手(ドイツ)
3.ナッシュ選手(カナダ)
という順でしたが、それを「外国籍選手にも自チームの命運を賭ける価値がある」と思わせるようになったのなら、非常に画期的な変化だと筆者は思います。
また、ノビツキー選手をきっかけにNBAがドイツにより広まったのであれば、NBAの国際化にとって大きな架け橋にもなったと言えます。
長々とノビツキー選手の思い出を、思うままに書いてしまいましたが、同選手と、当時熱狂して当店をご利用いただきましたお客様に厚くお礼申し上げます。
現地時間9日には、トニー・アレン選手の永久欠番セレモニーが予定されていますが、チームやコートを去ったあとに話題になるのも、その選手の活躍のひとつではないでしょうか。