前回:買い付け旅行記 デビッドソン:マイク・マローイ 1/2
実のところ、この選手について細かくご紹介するのは迷いました。
マローイ選手の人生を語る上で、人種問題は不可避であることに加え、2017年現在までに、アメリカで内在していた人種問題が再び深刻化し始めており、アメリカ社会の影・闇とも言える箇所だからです。
コートの中には、そうした雑音(政治、社会問題や人種差別)を持ち込まない。
純粋にバスケットボール、スポーツを観て・プレーして楽しみたい。
毎試合こうした思いが遂げられ、ずっと保たれることを心から願って止みません。
ですが残念なことに現実問題として、NBAの数チームが、実業家である大統領のグループが経営するホテルを遠征では一切利用しないと表明するなど、まったく無関係ではいられないのも事実で、上述のバスケットを純粋に楽しんでほしいという気持ちに、添えるような形で、マローイ選手の経験した社会問題にもあえて触れました(筆者は、いくつかのNCAAの大学を見てきましたが、これほど赤裸々に触れているケースは珍しく、ライバル校以外に社会問題とも戦った経緯が掲載されていたことが初めてだったこともあります)。
マローイ選手がどのようなキャリア、人生を歩んだのかについては、本編をご覧いただくとして、内容から感じたことをお話できればと思います。
1.新聞記事
画像は、本編でもご紹介したマローイ選手の紹介コーナーです。
マローイ選手の活躍と、インタビューを掲載した当時の新聞が、紹介文とともに掲載されていました。
その一文、「マローイの選手としてのアイデンティティに関しては問題なかった」のあとに、バスケットボールの観点から、不合理と思われるプレーの様子が説明され、マローイ選手がそれに強いフラストレーションを抱いていたことが書かれています。
つまり、最初の一文と、関連する次の内容が矛盾していることになります。
恐らくは、その一文なしにプレーとそれに対するマローイ選手の様子を描写すると、
「プレーにまで人種差別が及んでいる」という主旨になってしまうため、
記者は「はっきり断言しないけど、こういうプレーとマローイ選手の気持ちに、何かしらつながる部分があって、それが何なのかについては読者の判断にゆだねたい」
とするために記述したものと思われます。
人の心の中だけに、実際どうなのかを知るのは当事者である選手達だけで、それを客観的に記者が記すわけですから、マローイ選手が黒人の社会的地位の向上のためにとデビッドソン大へやってきたことや、当時の社会背景を考慮すると、非常に繊細なアプローチや、記事の書き方が求められたと察せられます。
2.セルティクスにドラフト
マローイ選手は、ボストン・セルティクスにドラフトされました(1970年10巡目157位)。
セルティクスの名の由来は、ボストンにケルト人(Celtic:ケルト系アイルランド人、白人)が大勢いたからとされ、筆者も何度か訪れたことがありますが、現在のアメリカの中でも、とても白人の方が多い地域です。
それが故に、フィジカルの強さが求められる時代にあっても、白人選手を獲得する傾向が強く、バード選手以降チームが低迷したのはそのため、と言われたことがあります(現在、その噂と異なっているのはご存知の通りです)。
この噂を都市伝説の程度にしか受け止めてはいませんが、人種にナーバスな当時、有能な黒人選手がセルティクスにドラフトされ、入団することなく、ABA(ダンクなど、エンターテイメント性や身体能力の高いプレーがさかんだったリーグ)でプレーすることになった史実は、何か胸にモヤモヤするものを残しました(バージニアとダラスで、あわせて3年プレー)。
3.大学などからの扱い
画像のこのコーナーが大学に設置・公開されたのは、2011年のことのようで、Youtubeに公開当時の動画があがっていました。
マローイ選手の話題は、人種問題にふれることが不可避で、上述の当時の新聞記事やここ数年のアメリカ社会の様子からも、とてもナーバスな問題であることがわかります。
さらにマローイ選手は、ABAでプレー後にヨーロッパへ移住し、1980年にオーストリア市民権を得、2009年にウィーンにて死去。
つまりアメリカ国籍を捨てたことになります。
人種問題に加え、自国愛の強いアメリカにあって、国籍を捨てた人間の話題に触れるのは、迷うところがあったはずですが、にも関わらず、讃えるような掲示を出した大学の勇気に敬意を表したいと思います。


