私たちクリスチャンは、国の責任者の為に祈るようにいわれている。しかしそれは、どんなめちゃくちゃな政府でも、ただ肯定せよという意味ではなく、神の御心に近い働きができるように、また真の主権者を知り、神に従えるように祈るべきだということではないだろうか?


 ローマ時代、クリスチャンが殺されていく中で「支配者の為にいのれ」と言ったとき、それは「皇帝のクリスチャン迫害の政策が、うまくいきますように」なんて祈れという意味な筈がない。「その愚かな政策をやめて、彼もまた神に立ち返ることができるように。罪に気付き、悔い改めることができるように」という祈りの筈だ。

 支配者の為に祈れというとき、とにかく自民党支持というのはおかしいわけです。

 

 ドイツのベルリンの一等地にはホローコースト記念石碑「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」があるそうだ。


 人間も、その人の中心に何をおくかでその人の人生が決まる。つまり心に何をおくかが問題だと思う。あくまでも心に自我をおくのか、それともイエス様をおくのか?


 国もそうではないかと思う。国の一等地に負の歴史をおき、悔い改めをおくドイツと、国の一等地に、今なお国家神道の神であった天皇をおき続ける日本。

 この国に未来はあるのか・・・?


 

 「だから、私たちは、イスラエルに賠償を続けているのだ」といっていまいた。具体的に悔い改めの結果としての賠償、和解を求めての賠償をしているのだなぁと思いました。


 某島国では、悔い改めと和解を知っている筈のクリスチャンの間からでさえ、「謝ったからいいじゃないか!」「ODAで金だしてるじゃないか!」「なんで、金出しているのに、こんな目に・・・」という逆ギレにも思えてしまう発言があるようです。


 たとえば殺人の加害者が被害者の家族に対して、「謝ったからいいじゃないか」「(賠償としてではなく、別の名目で)XXXで金だしてるじゃないか」「なんで、金出しているのに、まだ批判されなきゃいけないのだ」と言ったら、おそらく「なんにも反省していない」と言われて当然でしょう。


 私個人の価値観としては、「具体的に悔い改めの結果としての賠償、和解を求めての賠償」をし続ける国の方が、「謝ったからいいじゃないか!」「ODAで金だしてるじゃないか!」と言う国より大人だし、誇りに思えると思うんだがなぁ・・・


他にも関心したことがいくつかあって、「自分たちもしないようにしている。自分たちも同じ罪を犯しうる」と認識しているということ。

 だから右翼への取り締まりは非常に厳しいらしい。思っても、行動にしたら、警察につかまり、かなり問題になるとのこと。ということは、そのような思想を持っている人がリーダーになることはないということでしょう。

 政府、軍や警察が、こういう過去の過ちをちゃんと総括し、二度とそうならないようにという装置として、機能しようとしているのなら、私は非常に素晴らしいと思います。


 これは、某島国の防空幕僚長とは大違い。また、それに対する反応も大違い。独りよがりの「論文」を支持したりとか、何が問題なんだとかという開き直りにしか見えない反応もでるぐらいですから・・・まぁ、首になるだけいいのかなぁと思いますが・・・

 



 


 短い質疑応答の中で関心したのは、まず、自国の負の歴史を受け入れていること。「ドイツは、いい国!」と独りよがりな理屈を振り回すことを愛国と勘違いしていない。


 某島国とは大違いだなぁと思いました。「N国は、いい国!」「N国が侵略などする筈がない。」「虐殺はなかった」と言わないと「反N」「洗脳されている」と言われるのとは大違い。

 自国の負の歴史と向き合い、そこから失敗を学んでいくという事が許されないとすれば、それは、N国が大嫌いな北朝鮮と大して変わらないのでは?