主に従うように、会社でも従いたいと思っているのだが・・・
上司の無責任発言・ケツまくり・丸投げに、もう相当しんどくなっている・・・
団塊の世代・・・
頼むのは上手だが、ケツまくるのも上手。フェイドアウトが本当にうまい。
やつらのケツをふく30~40代は、そりゃつぶれるわ。
でも、彼らの世代は、本当に薄っぺらで、自分の人生や、歩みを吟味したこと、考えたこと、自分と向き合ったことなどないだろうから、リタイアした後、ボケる人、自殺する人が、いまより飛躍的に増える事を予想している。
主に従うように、会社でも従いたいと思っているのだが・・・
上司の無責任発言・ケツまくり・丸投げに、もう相当しんどくなっている・・・
団塊の世代・・・
頼むのは上手だが、ケツまくるのも上手。フェイドアウトが本当にうまい。
やつらのケツをふく30~40代は、そりゃつぶれるわ。
でも、彼らの世代は、本当に薄っぺらで、自分の人生や、歩みを吟味したこと、考えたこと、自分と向き合ったことなどないだろうから、リタイアした後、ボケる人、自殺する人が、いまより飛躍的に増える事を予想している。
まぁ、このリンク先もマスコミっていえば、マスコミですが・・・
よくよく考えたら、授賞式でイスラエル批判して、拍手なんか受けるはずないからな。
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。
蓮沼文三(修養団の創設者)という人が、話したヒンズー教の教えらしい。いい言葉ではあると思うが、残念ながらキリスト教とは相反するといえるかも・・・これをキリスト教の教えに取り入れちゃうと、ちょっとおかしくなるような気がする。取り入れちゃっているクリスチャンがいるので、私の考えがまとまったら、話してみようと思う。
聖書では、私たち罪人の心も、態度も、行動も、習慣も、人格も、運命も、人生も、罪によって堕落していると教える。そして私たちの最終的な運命は、神の裁きだと教える。私たち人間の側には救いも救いにいたる力もない。だから、救い主(キリスト)が必要なのだ。神の裁きからの救いに必要なことはすべてキリストがしてくださった。だから私たちはそれを受け取る(信じる)だけでいい。キリストを自分の罪と死と裁きからの救い主と信じたものが、天国へいけるというというのが、聖書の教えである。
徹底した他力本願なのだ。
心を変える必要はない。いや、変えることなどできないのだ。
上の言葉をキリスト教的に再解釈すると、たぶんこうなる。
イエスを信じれば、聖霊が宿る。
聖霊が宿れば、心が変えられる。
聖霊が働けば、態度が変えられる。
聖霊に委ねれば、行動が変わる。
聖霊に満たされれば、習慣が変わる。
聖霊によって、人格が変わる。
イエスによって、運命は変えられた。
運命は変えられたが、人生の苦難は変わらないかもしれない。
人生の苦難は変わらないかもしれないが、
神がともにいてくださる。
最近、プロテスタント教会で性的不祥事が多くなってきたように思う。情報化社会で、いままで陰に隠れていた罪が明らかにされただけなのだろうか・・?悲しいとしかいいようがない。
しかし、一方で「これらの問題の背景は何か?」という総括はされているのだろうかとも心配になる。
というのは、こういう問題の根本的な背景は、「なぜこのような事が起こったのか?」という歴史をさかのぼって、どこに問題があり、どこから間違えたのか、何が悪かったのかという「歴史的総括=悔い改め」がされていない事にあるのではないかと個人的には考えているからである。
「なぜ間違えたのか?」「なぜ情報が正しく伝わらなかったのか?」「それに対する対応はどうだったのか?」を徹底的に考え、追及し、悔い改めなければ、同じ問題はまた起こると思う。「水に流す」とは違うのだ。
間違いに口を閉じてはならない。間違いを何もなかったかのようにスルーしてはならない。間違いを水に流してはならない。それは愛ではなく、堕落の始まりだ。間違いが繰り返されると、間違いが普通になり、下手をすると正しいことにもなりかねない。
最近、小さいが、同様のことが私が通う教会でもあった。どこでどう間違ったか不明なのだが、問題の事実のない祈りの課題が、公に出され、教会全体で祈られた。しかし間違いであったという事が判明した後も、その間違いを公にアナウンスすることもせず、スルーしそうになっていたのだ。
私が「それはおかしい」と指摘したところ、リーダー達は本当に謙遜でその指摘を受け入れて下さった。本当にすばらしいなぁと思う。
しかし、この間違いを無意識で水に流そうとする雰囲気は、ちょっと危惧している。と同時に、示されたら、責任んをもって言わなければならないんだなぁとも思わされた。
「もう慣れましたが、腹が立つのは僕より給料が高い40歳以上のバブル入社の連中です。数は多いのに優秀な人は少ない。彼らの使い走りばかりで責任ある仕事も回ってこない。僕らは少子高齢化って呼んでんですけどね」。「バブル世代もポスト不足でだぶついてるが、うちの社の50代はさらにボリュームがある。彼らが退職すれば重しはとれるけど、雇用延長とかでなかなか出て行かない。ものすごい閉塞感ですよ」という記述があったが、私もまったく同じ感覚をもっている。
とりわけ50代はさらにボリュームもあるし、更に使えない。口先ばかりであって、本当に騙されていたと思う。言葉に重みがないのだ。しかも、なにも考えずに責任を取る覚悟もなく(そういうこと自体考えていない)、派手なことばかり言っている。
「好景気のバブル採用も同様である。当時手当たり次第に採用した22歳の若者たちに、その後何億円もの生涯賃金を払っていかねばならないことに、企業側はどこまで覚悟を決めていただろうか」
本当、何も考えていなかったのだ。何も考えていないのだ。企業とはなにか、働くとは何か、 人としての人生、人生とは何か・・・何も考えていなかったのだ。
こんなスカスカな社会を見抜けなかった私に心底失望しています。