小学二年の、やけに蒸し暑い夏。
突然見知らぬ町に放り込まれたぼくに居場所を、光を与えてくれたのは
他でもない、純乃だった。
「かーなーしみーや」
前の学校で教わった歌を口ずさみ、ぼくは一人ブランコを漕いでいた。
前は、ぼくの背中をめいっぱい押してくれる仲間も、
どっちが高く漕げるか競争だよ、と競い合ったライバルのような奴もいた。
でも、今は。
「くーるーしみーが」
いつの日か、
「喜びーに、変わるだーろう」
ぼくの奏でる調子っ外れの幼稚な音に、可憐な旋律が重なる。
「え?」
今まで聞いたことのないような無邪気さに満ちた声の方を向くと、
ぼくの隣のブランコにやはり見たことのない年上の少女が腰を下ろした所だった。
「友達いないの? きみ」
上級生と思しきその少女は、悪びれた様子もなく笑う。
荒涼とした砂漠に突如として大輪の向日葵が花を咲かせたような、ぼくにはそんな笑みに見えた。
「いないってほどでもないけどさ」
「強がっちゃって、かーわいい。きみ、何年生の何て子?」
「……二年二組。蓮都。そっちは?」
「五年の、純乃。お姉さんって呼んでもいいよ」
「分かった。純乃ね」
「前言撤回。可愛くない」
そう言って笑みを浮かべた純乃の横顔を、ぼくはちらりと盗み見る。
簡単に壊れてしまいそうな小さな顔の中に収まるパーツは、やはりどこか小さかった。
美人とは呼べない顔だけれど、それでも美しく見えてしまうのは、
内面から滲み出る溌剌としたエネルギーのせいだと思う。
「何? ああ、髪? 酷いでしょ、お母さんの遺伝ですごい癖っ毛なの」
一分程度男の子顔負けのベリーショートを撫でつけた末、それ以上の争いは
無駄な抵抗に過ぎないと悟ったらしく、弾かれたように純乃は立ち上がった。
「帰るの?」
「ううん、喉渇いたから。蓮都も何か飲む?」
壊れかけた水飲み鳥のように、ぼくは首を大きく縦に振った。
じゃあ待ってて、と純乃がどこかへ消え、ぼくは寂れた公園に一人取り残される。
暇潰しに空を見上げると、いつの間にか世界は夕暮れを迎えていた。
赤とオレンジが絶妙に溶け合い、いつしか全てを包み込む様を、
ぼくはどれくらいの間眺めていたのだろう。
気が付くと純乃が、二人分の缶ジュースを手にして舞い戻ってきていた。
「はい」
純乃がビーズのブレスレットを付けた華奢な腕を伸ばし、ぼくに缶を手渡す。
「ん」
何だ、コーラじゃないのか。
イラストからすると、オレンジジュースのようだった。気を取り直して、ラベルを読む。
果汁は、かじゅう。100はひゃく。%は……
「これ何?」
「どれ。……ああ、パーセント、って読むんだよ」
「パーセントって何さ」
「飲んでみれば分かるって」
プルトップに苦戦しながら缶を開け、純乃の真似をしてぐいと傾け、ぼくはむせ込んだ。
何だ、この味? 前、親戚のおじさんに飲まされたウイスキーくらい酷い。
「あーあ、何やってんの」
「しょっぱい」
「お子ちゃま。甘酸っぱいから美味しいんでしょ」
「百パーセントって、甘くて酸っぱいってこと?」
「うん。まあそういうこと」
そう言って純乃はふふっと笑った。
何だかくすぐったいような笑みだとぼくは思った。
……なら、ぼくの初恋は百パーセントだ。
ちっとも美味しく感じられはしなかったけれど、空を仰ぎながら二人で黙ってジュースを飲んだ。
オレンジの淡い光と、甘酸っぱい感情に包まれながら。
「きれい」
不意に静寂を裂いて、恍惚としたように純乃は呟く。
「夕日?」
「ん。オレンジって、一番きれいな色だと思うんだ」
そう言われてみれば、純乃のシュシュやブレスレットやTシャツまでもがオレンジだった。
「そう、だね」
「うん」
夏の予感をはらんだ風が、ぼくらの上にふわりと舞い降りる。
甘美で、それでいて酸っぱいぼくの忘れられない夏が、静かに始まろうとしていた。