
島田さん、お誕生日おめでとうございます


。
課長、おかわりするなら是非ドンブリで!
(冗談)
思えば、テレビ時代劇草創期の
昭和40年~41年にかけて放映された
栄光の『新選組血風録』(司馬遼太郎原作:結束信二脚本)から
2025年現在に至るまで、
約60年もの歳月が流れてしまいました。
リアルタイムで映像を見た世代ではないのですが、
後のビデオ収録やスカパー!(『時代劇専門チャンネル』)の
再放送などで、何度も島田さんの沖田総司を拝見してきました。
後年、新選組を題材にした作品も、いくつかありましたが、
やはり、あの『新選組血風録』時代の島田さんの印象こそ、
『本物の沖田総司』であることに、まったく変わりはありません。
時代の経過とともに、
島田さんが沖田役だったことを知る世代が
少なくなってしまったとしても、
沖田総司の魂が選んだ、唯一の役者は島田さんしかいない
という思いが消えることはありません。
いつか、自分が徳永英明さんの曲を
ブログに載せていたとき、
島田さんも『レイニーブルー』はイイ曲だと、
「ドンブリ課長ブログ(正しくは『課長おかわり』ブログ)」で
仰ってたのを覚えています。
もう、かれこれ10年以上も前のことですが、
どういうわけか、島田さんの記した言葉は
ひとつひとつが「石清水の雫」のように、
とても澄んだ感じがして、
ずっと覚えているんです。
まるで「記憶のストーカー」みたく(爆!・・失敬!)。
言葉のひとつひとつに、性格というか、性質というか、
誠実さと実直さが漂っていて、
時に、お茶目でコミカルな気さくさもあり、
「(レンヤが)来ないと、さみしいよう」と、
ブログを通して、お声かけしてくださったときのことも
まだ、しっかりと覚えています(チョー!嬉しかったです!)。
そんな「胸キュンオヤジ」の可愛らしさもある島田さんですが、
あまりにも沖田の印象が強すぎて、
他の役を演じる際に、相当「邪魔」だったのでは・・?
(といったら沖田ファンの方々に申し訳ないのですが)
と、後々、島田さんのお話から感じることがありました。
熱心なファンの側からすれば、
いつまでも島田さんのことを「沖田!沖田!」と慕っているため、
「島田さんは常に沖田でなければならない」と勝手に決めつけるあまり、
全く違うイメージの役を演じたりすると、
クレームというか、変に批評されたり、反感を持たれたり・・ということが
多かれ少なかれ、あったのではないかと思われます。
いつの間にか、島田さん御自身も
まるで、「常に沖田らしく存在しなければならない」という
「義務感」のようなものに囚われて、
「できるだけ、人格的にも沖田であらねばならない」
といった見えない縄に、縛られていたのではなかろうか・・と。
「呪縛のような微妙な息苦しさ」・・。
そういえば・・
島田さんがイイ曲だと仰った『レイニーブルー』の歌詞に、
『もう終わったはずなのに、なぜ追いかけるの・・』
『あなたの幻 消すように 私も今日は そっと雨』
というのがありました。
まさにそれは、島田さんの心境そのもの?
であったのかもしれない・・と、
あとになって気が付きました。
「もう沖田役は、とっくの昔に終わったはずなのに、
いつまで追いかけるんだろう?
役者である以上、いろいろな役の顔になるのは当然だし、
そうしたいし、そうできるのに、なぜ追いかけるの?
沖田の幻 消すように そっと雨の中でも歩こうかな・・」
島田さんの独白(想像)とともに、
そんなシーンが浮かんできました。
德永英明 - レイニーブルー
https://youtu.be/hOrmu8X2A1g
長い目で仕事のキャリアを見たとき、
「イチ役者」としての立場としては、
沖田総司の存在そのものが重荷であり、
重圧以外のなにものでもなかったのではなかろうかと・・。
おそらく、似たような心境として、
同じく『新選組血風録』で、土方歳三の役を演じた
栗ちゃま(愛称)こと栗塚旭さんの場合も、
同じ傾向があったかもしれませんが、
栗ちゃまの場合は、「いつまで俺に土方やらせるんだ・・」と
内心思いつつも、「土方役者」として需要があれば
快く応じているうちに、「役者冥利に尽きます!」と、
開き直ったように堂々としていらっしゃいました。
島田さんの場合は、「沖田役者の重圧」を
そっと心の内側へ溜め込んで、
「その印象を消したい」などと思ったとしても、
ファンの前では、沖田のように振舞わねば・・と
できるだけ律していたのではなかろうかな・・と。
なにかのきっかけで、
期待に応えられなくなってしまったとき、
周囲の要望に対してではなく、
実直さゆえに、ご自分を責めてしまうというふうに、
なにかと気苦労なさったはずです。
ただ、振り返ってみれば、
沖田総司役は思い出のひとつであり、
ほかにふたつとない役者としての「志業」を
長年、御立派に務めていらっしゃったことは
大変、誇らしく、素晴らしいことだと、
ファンの側からみれば尊敬するばかりです。
いろいろな役を演じたものの、
これといって「当たり役」もなく、
なんの役を演じた役者だったのか、
名前すら広く認識されることなく
消えていった演者が大勢いる中で
「島田順司=沖田総司」と、
島田さんをよく知る世代ならツーといえばカーのように、
すぐ演じた人物の名前がピタッと思い浮かぶ役者さんというのは
「そういう使命があったからこそ、ソレだったのだ」と、
まるで運命付けられていたようにさえ思われます。
沖田の魂が選んだ、「唯一無二の沖田役者」の島田さん。
その印象のまま、島田さんは島田さんとして
いつまでも島田さんとして(沖田じゃなくて)
「申し訳なし」なんてセリフは言わなくても
島田さんのまま存在しているんです。
ニッカリと八重歯を見せて笑っていた、
あの清々しい印象が、
誰あろう、島田順司という役者だったのだと。

画像:『新選組血風録』より
60年以上も、たったひとりの印象でファンから慕われ続ける役者さんなど、
おそらく「土方の栗ちゃま」と「沖田の島田さん」くらいなものだと思います。
青年時代の一瞬の煌めきのようでいて、その輝きは永遠の偉業です。
『あの頃の優しさに包まれてた思い出』は、
なにものにも替え難い宝物なんです。
島田さんは、その宝箱の中で
キラキラ輝く宝石です。
そう思いながらも、
「鼻がニンニク!」・・なんて
いつぞやは失礼なアソビをしていた自分ですが、

画像:『新選組血風録』より
2025年8月2日、『土方歳三の謎』のタイトルで
Amazon Kindle 電子書籍を個人出版しました。
以前、ブログへ「子供の頃は漫画家になりたかった」と書いたとき
島田さんは「今からでも、なりなさい」と返信してくださいましたが、
その御言葉に背中を押された(沖田の鋭い突き技に刺された)おかげもあり、
漫画家ではないものの、
一応、自称「Kindle作家」のクリエイターとして
第一歩を踏み出すことができました。
ありがとうございます。
島田さんにとっては
「なにげない言葉」のひとつに過ぎなかったかも知れませんが、
やはり、その言霊パワーは絶大でした。
島田さんの自叙伝である『わが青春の沖田総司』には、
およびもつきませんが、出版社などを一切とおさず、
なにからなにまで個人のチカラで作成した電子書籍です。
頼れる人は誰もおらず、
誰にも相談できず、
非常に孤独な作業の中で
時折、言い知れない不安や、
怖れのようなものに苛まれたりすることもありましたが、
なんとか自力で突破することができました。
文章作成の際、AIに頼ることもありませんでした。
(簡単な概要動画)
https://youtu.be/et9XkD1qteQ
リンク➡『土方歳三の謎』Amazon Kindle書籍ページ
初めての試みゆえ、なにかと未熟な点も多々ありますが、
よろしければ、お目にかけていただけますと幸いです。
新選組について、よくご存じの頭脳明晰な島田さんをはじめ、
時代劇や歴史に詳しい方々であれば、
謎の正体が、果たしてどのようなものであるか、
ある程度は、お察しいただけるのではないかと思われます。
結果としては、自分でも「え?」と
目を疑ってしまう様相を確認していますが、
それを単にブログの記事や動画で
あっさりと説明した場合、
「ウソだ~!」「信用できんな、コイツは!」
と、一蹴されてしまいかねないので、
確実に表現できるようになるまで、
随分と、二の足を踏んでしまいました。
その間、
「歴史は、ある程度、固定されたものだ」
「歴史を尊重できない修正主義者なのか」
「土方歳三は、こうであらねばならない」
というふうに、
既存の認識で凝り固まった「世間の目」というものを
無言の重圧として常に意識せざるを得ませんでした。
島田さんのケースでいえば、
沖田の役を演じ終えたあとも、
「沖田総司は、こうであらねばならない」
「島田順司は、沖田であらねばならない」
という周囲からの目や願望や期待が異様なほど強く、
誠実な島田さんとしては、
できるだけ、それに答えるため、
「沖田らしく、あらねばならない」・・と、
ご自身を追い込み、
常に言葉にならない重圧が、
まるで強迫するかのように
長い間、島田さんの心を苦しめたのではないか・・と、
いまさらながら、痛感しています。
世間からの言葉にならない重圧が、
どのようなものか、
あえて自分自身に「あらねば」を課す一方で、
その「あらねば」を「自ら独りで叩き壊す」
という行為を実行する際、
どれだけの苦しみが伴うか・・
それを味わった者にしか、
わからない感覚だとは思いますが、
気が付けば、笑顔とは裏腹に、
いつもどこかで居心地が悪くなり、
そんな内面を表には出さないようにして
気を遣いながら取り繕っているうちに、
なにやらジリジリとした焦燥感が溢れ出し、
「ここから脱出したい!」という
夜逃げ屋本舗状態になってくると、
意識だけがフツフツと
暴走しまくりながら、
なんだかんだやっているうちに
疲れきってしまい、
いつの間にか、また能面のような顔で起き上がり、
日常の平常心を取り戻している・・を
繰り返しているような感じではないかと思います。
そして、終いには、おもいきり重圧ごと
メッタ斬りにしてしまうというパターン・・。
と、気が付けば、
自分の書籍関連の話に絡めてしまって恐縮です。
なによりも、島田さんがお元気でいてくださることが
一番の望みです。
なんといっても、「菊一文字」の命は700年ですから、
まだ、まだ、「近藤先生が呼んでる!※」と、
お庭へダッシュして転がらないでくださいね!
(※努力なしでガリガリ君だった沖田のセリフですヨ。)
島田さんご本人が、このブログの記事を
お読みになる機会がなかったとしても、
想念や志は、言葉(文字)の電気信号を通して
時空や場所を簡単に超越し、
必ず、どこかへ繋がるものとして
記載しました。