告知から1年 | 鬼の霍乱

鬼の霍乱

年下の旦那さまと乳がん治療中の嫁の
珍道中的結婚生活をのらりくらりと綴ります。

2013年1月18日。



ちょうど1年前に~


この道を通った夜~



じゃなくて朝


というか午前中。



どっちでもいい。



バコラ生検の結果を


聞くために


クリニックへ向かった。



ご家族と一緒に


来て下さいと言われたが


ひとりで来ますと伝えた。



医師からは


???


という顔をされ


看護師さんからは


天涯孤独扱い。



ヤギに似ているが


なかなかイカした


旦那さまと


天然炸裂のお茶目な両親と


同居しているんだけどね。



初診察の時に


悪性の可能性が


極めて高いと言われていた。



MRIの紹介状をチラ見したり


医師のことばのニュアンスからも


120%で悪性間違いなし


と思っていた。



自分の中では覚悟も出来ているし


とっくに腹もすわってる。



なのでこの日は


乳がんであることを


確認しに行く


という感覚だった。



自分の体のことは


自分で決めたかった。



たぶん私のことだ。



まるで他人事のように


冷静に話を聞けるだろう。



家族に弱いところを


見せたくないというより


猛烈にうろたえるであろう


家族を連れて行くのは


切なすぎる。



決して邪魔とは


言ってない。



むしろひとりの方が


ちゃんと話が出来る気がした。



一匹狼見参。



この時点ではまだ


バコラ生検 をおこなった医師に


なぜだか


腹を立てていた。



もしこのクリニックで


治療することがあっても


あいつだけはゴメンだぜ。



そのことについても


きちんと話さなくては。



異様なテンションで


その時を待っていた。



名前が呼ばれ


診察室に通された。



神妙な顔つきで


高速でまばたきをする医師。



何度も経験しているとはいえ


告知はする方にとっても


辛いことなのだろう。



その時に


医師の中に


誠実さを見たような気がした。



そして正式に


乳がんの告知を受けた。



動揺することもなく


ビックリするほど冷静だった。



我ながら


そんな自分が


少し恐ろしかった。



医師と話をするうちに


この人に治療を


お願いしたいと思い始めた。



そしてその日から


その医師が主治医になった。



2週間前は


あの野郎とか言っていたのに。



治療方針は


リンパ節転移の有無を


調べてからということになり


細胞診をおこなった。



1週間後に結果が出るので


その時までに


全摘か温存かを


決めておいて下さいと言われた。



この時はまだ


手術先行だとばかり


思っていた。



放置期間約4年。


やっと治療がはじまる。



落ち込んでいる


暇などなかった。



良性かもという


ミクロン単位の


可能性に賭けていた


おかんは嗚咽していた。



殿もジジイも


ショックを受けているのが


手に取るように分かった。



当の本人だけが


出陣前の戦国武将のように


闘志満々だった。



今を悲観するより


未来の可能性を信じて


一緒に頑張って欲しいと


家族に伝えた。



誰が病人なんだか。



後に殿に


告知を聞いた時の


気持ちを聞いたことがある。



なるようにしか


ならないと思ったし


蓮華ならなんとかなるというか


する気がした。



危機感があるんだか


ないんだか。



おおらか過ぎる


いかにも殿らしい。



だけど殿の存在は


私の治療の活力だったことは


言うまでもない。



この1年は


本当に早かった。



さっきおかんに



「蓮華の強さは


我が娘ながら


あっぱれだったよ。」



と言われた。



あなたが


産んでくれたからだよ。



これからも


たくさんの人に感謝して。



今を大切に


生きていきたい。


1月12日1



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