節電対策で街の明かりが消され、不満の声が上がるか心配であったが意外と薄暗い環境が好評であったことに驚かされた。
我が東京でも交差点を除く街路灯は消され、商業施設の電飾看板、室内の不要な照明などなど自粛され、実に薄暗い町に変貌を遂げた。
日本では明るさは富の象徴のように過剰な照明が増やされ、照明メーカーもより明るくより効率の良いランプ開発を進め、コンビニエンスストアの普及と共に明るい街が常識のように時代は流れる。
省エネ・エコのスローガンと共にLEDの開発も進み、青白い光から色温度を抑えた昼白色の発光素子が出来上がると一気にLEDビジネスが加速し、今ではスーパーの棚に家庭用LEDランプが当然のように陳列される。
しかしながら、このLEDもより明るくより効率の良い開発が先陣を切っていた。
近年、光に対する日本人の意識も変わりつつあり、明るさよりも質を求め始めている。
これはインテリア空間を意識し始めた文化の変身にある。
居住空間を個人がより考え始め、空間環境をより意識し始めたことでただ明るい空間が良しとしない思想が養われてきたのである。
人間が明るさを感じるのは、モノに反射した光の波長を眼球を通し脳が判断することである。
素材の反射された波長が白だったり赤だったりすることで色と明るさを認識するモノで、天井に明るい照明器具を付けてもミラー(鏡)で囲われたキューブの中ではその明るさを感じない。
少ない明かりでもその明かりが壁やテーブル面をしっかり照らしてさえいれば、空間の広さや形状を理解し、人は明るさを十分認識するのである。
無駄な明かりを省く。
今あるランプの数やワット数をただ減らしたりで無く、光の演出(質)を高めることでより効果的な無駄を省き、居住空間も向上できることこそ今後求められる無駄を省く真の意味合いだと思う。
簡単そうではあるが日本国内ではまだまだ普及の遅れている分野であり、照明という奥の深い部分でもある。
私は学生時代に光を勉強させられ、建設の分野へ送り込まれた人間である。
当時恩師にあたる教授からは、「君の知識はいつか建設で役に立つ時がくる」と言われた一言を忘れたことがない。
就職したゼネコンから退職後、名刺の肩書きは「空間プロデューサー 照明コンサルタント」と勝手に付けている。
まだまだやることが増え続けそうだ。