15日は例によって手作り市につき大殿の案内を。
今回も寄せていただいて貴い御縁に出会えました。
お昼前、ご婦人がお二人でお参りに来られて
大殿の数珠を撫でられた後、左脇の賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)
の前掛けを捲り上げ胸の辺りをお二人して一所懸命に擦っておられました。
百万遍の由来、勢至菩薩様とお嬢さんを亡くされた奥さんの話などを通して
仏様の見守りを授かっているという話をして正面に戻ってくると
御二方とも願祖様の前にお座りになって手を合わせられた後
二人して手を取り合い、良かったねえと話し合っておられます。
詳しく話を聞くと・・・
お二人は京都の国立大学の病院でお知り合いになられたそうで
お二方の御主人が同じ病気にかかっておられるとのこと。
肺の病気だそうで、両方の肺を摘出する手術をなされたそうです。
両肺を取り、お一人は奥さんと弟さんの肺を一つずつ
もうお一人は息子さん二人の肺をひとつずつ。
もう三ヶ月入院なさっておられるそうです。
御二方とも回復に向かっては、おられるそうですが
肺炎を引き起こすと命懸けなのでよほど慎重なのだそうです。

「今日は、百万遍の数珠繰りには現世の御利益があると聞いて
寄せて頂いたんですが、病気がこのお参りで治るかどうかわかりません。
ただ、仏様が見守って下さってるという気持ちになれたので
これからは、どんな困難が立ちはだかっても乗り越えられる気持ちは
持てるようになりました。」

お二人の言葉にまさしく今、阿弥陀様に見守られていると感じること、
これこそが最高の現世利益だなあと感じました。

いろいろ考えるのですが、宗派とか政党とか会とか・・・
いろんな組織というのがありますが、本来、組織が築かれる時には
同じ環境や地域にある者によって派生するか
若しくは、同じ主義や思想の持ち主によって創立されるか
ではないでしょうか?
そう考えるとどちらの場合にせよ、最初の群れが誕生する際には
群れのリーダーたり得る勝れた力、或いは優れた思想、秀いでた人格の
持ち主が現れ、その周りに慕う人間が群れ始めるのだと思います。
で、我が宗に置き換えてみると・・・
釈迦・弥陀・善導・法然といった実に以て崇拝するに値する祖師方の周りに
群れ集まった人間によって形成された浄土宗ですが、
今の状況は、群れ集まった本来の成り立ちの方が薄れてしまい
群れの中心であった法然上人の思いを差し置いて
群れの中から選ばれたリーダーの思いが先立ってしまっているのではないでしょうか。
リーダーを慕って群れが出来る・群れの中からリーダーを選ぶ
今や、慕って身を寄せるリーダーも無く、群れの中のリーダーたり得る人物すらない状況。
ならば群れとはあまり深く関わらない方がよいのか?
などと訳の分からないことを考えてしまいます。
僕はどうも人前に出るのが苦手です。
布教師が何ゆうとるねん!と言われるかも知れませんが
事実は事実です。
何度かお会いした方、数人と集まって・・・というのは大好きです。
しかし、初対面の方がおられる場所はそれがたとえ一人でも
緊張してしまいます。
緊張しているのを悟られまいと奇行に及んだり
無視して知り合いと会話したりしてしまいます。
明後日は大勢の人前に出ることになりそうで憂鬱です。
今朝、起きてからずっと財布を捜していたんですが
中々見つかりません。
部屋中捜してみたし、福のポケットからタンスまで全て見たけど
見当たらないんです。
仕方なく息子を動員。
中身の1%の報酬(自動車屋と衣屋の支払いも入ってたので結構な額だったので)
ということで捜して貰ったんですが見つからない。
もうあかんわ!と諦めて貯金をおろす覚悟を決め
台所でアイスコーヒーをコップに入れて、手に持って部屋に戻ると
入口の着替えを入れる籠の一番上にちょんと置いてある。

ええ!なんでや?さっき散々見たやんか!

と思いながらも、まああって一安心。
コーヒーでも飲んで・・・ありゃ?
今まで手に持ってたコージーを机の上にトンと置いた記憶があるのに!

誰や!おれのコーヒー持って行ったんは!

何ゆうてるの?父ちゃんしか、下の部屋いてへんやんか。

いや、それは解ってるんやけど・・・。
どうもおかしい。

家内が夜、仕事から帰ってきたので
僕の周りに怪しい時空の裂け目みたいなもんがあるような気がすると
今日一日のことを話したら
けっこう醒めた目で

ああ、そう。大変やね。
時空のねじれかも知れんなあ。

お!お前もそう思う?

うんうん、そやからちょっとでも早よ、お医者さん行った方がええで!

そやなあ・・・

と返事したのだが、冷静に考えてみると
どうやら家内は僕の脳の方を疑っているようです。
以前に僕、電信柱の上まで浮き上がった記憶があると話した時と
同じ反応でした。
どうも僕の周りで何かが起こっているような気がするんやけどなあ・・・
やっぱり世間では俺がぼけてるっちゅうことになるんやろなあ。
私はアルコール全くダメなので飲める人はうらやましいなあと思います。
それにしても何故、釈尊は飲酒を禁じられたのか?
欲の心を誡めるものであるのは間違い有りませんが
健康に害することが多いからではないでしょうか。
自身の体を労ることも「生き物を害さない」につながると思うんです。
さらに言えばタバコやお菓子の食べ過ぎ等の肉体的影響だけのものと違って
神経にも影響を与えてしまうものでもあります。
酔っぱらいのヘロヘロ姿は微笑ましいものですが
度を超すと、やはり社会に迷惑をかけてしまうのではないでしょうか?
飲み過ぎちゃったぁ!も良いですが何度も繰り返さぬようご用心のほどを。
七日、団体参拝に大勢の方がお越し下さっていました。
このブログにも時々、書き込んで下さるイッポさんと
御学友のSさんのお二人が一生懸命、大殿で説法して下さっている間
あまり良い天気なので中庭に下りてのんびりしていると
南門から二十人ほどの団体が・・・
まっすぐ大殿に来るでなくぶらりぶらりという感じで徐々にこちらへ
向かって来られます。
どうやらお寺の団体参拝ではなさそう。
大殿で念珠繰りをしておられるので外で手を合わせて下さっています。

あのぉ、お寺様のご一行じゃないですよね?と尋ねると
歴史散策の同好会で奈良からお越しになっているとのこと。
ちょうど大殿のお客様達の法要が終わり御一行は宝物館の方へ
移動されるご様子だったので
歴史同好会の方々に上がって頂いて百万遍の由来を話して法然様を
間近でご覧頂いた。
同好会の皆さんがお帰りになってしばらくすると
近くの介護施設のご老人達が8人、車椅子に乗せて頂いて
お散歩しに来られました。
しばらく雑談をしている内に一人のおじいちゃんが

あ、今日はあそこのお堂開いてるなあ

釈迦堂が団体参拝の後で開けられていたんです。
釈迦堂のお釈迦様なら下から覗いてもしっかり見えます。
一緒に見に行って釈迦堂の由来をお話しさせていただきました。
京大の西向かいに住んでおられるおじいさんが

ようここは来たけど開いてるのは初めてや
立派なお釈迦さんやぁ
と仰って喜んでいらっしゃいました。

普段、ほとんど人の訪れない所というイメージのある
百万遍の庭ですが、けっこういろんな方が
訪れて下さいます。
有り難いことです。
今、知恩院では法然上人の八百回忌で全国のお坊さんが集まられています。
こんなことをいうと叱られるのかも知れませんが
僕は御本山での御忌法要というのに変な抵抗があります。
今までに出勤したことは一回しかありません。
嫌いというのではありませんが、何か法要の華やかな部分だけが
強調されてしまって御念仏を申しているという実感が感じられないからです。
法然上人は自分が往生しても参集することなく
各々のいる所で念仏を申してくれれば良いと仰せになっています。
黒如を着て、阿弥陀様の前に座り独りで念仏申す御忌というのが
僕にとっては一番、法然上人の御心を実感出来て好きです。
報恩の心を形に表す方法は、いろいろあってよいのじゃないかなあ・・・
と思ったりします。
とにかく群れの中に行くのが苦手な人間なので困ります。
今日、当座の食材を買い込みに行ってふと思ったのですが
今から15年ほど前ぐらいまでは商店街を
北から南まで買い物袋を持ってうろうろと探し回っていたのが
今やスーパーマーケット一軒でケリがついてしまうようになりました。
商店街を歩きながら魚屋に旬の食材が入っていると
あ、この魚にはやっぱりあの野菜だな
とばかりに八百屋へ行って野菜も買い揃え
となると、もう一品はあれだな!
と卵屋さんへ出かける
乾物屋で出汁昆布の良いのを買って・・・
というようにあちらへ走り、こちらに馳せて
気に入りの食材を集めたものでした。
文字通り、馳走だったのですが・・・
今や専門店はシャッターを閉めてしまい
代わりにスーパーにある味気ないビニールパックに入った物が
当たり前になってしまいました。
良い食材を見つけて料理していたのが
いつの間にか、料理に必要な食材を
善し悪しを吟味することも許されぬまま
買い求めるのが当世なんですね。
御馳走が少なくなりました。
義母の葬儀は当人の遺言により、通夜葬儀が終わるまで
知人・親族にも知らせず、葬儀終了後に粗供養とともに
連絡するという今様の言葉で言えば「家族葬」という形で
執り行われました。(僕としては不本意ですが・・・)
そして、これも故人の遺言で四十九日までは僕が勤めることに。
檀那寺の和尚さんのご了承を得て、勤めさせて頂きました。
亡くなった日は枕経だけで通夜は斎場の都合で、二日後になるので
その日は学校に行ったのですが、一時間目の途中に
学校から電話がありました。
「泰誠君が授業中に泣いて泣いて歌が歌えないので・・・」
そんなに悲しいのならお婆ちゃんとこへおいで!と家内に言われ
得意の電車に乗って家内の実家に来ました。
ちょうど遺体の着替えや祭壇の準備が終わった所だったので
彼も枕経に参列しました。
お念仏の時に、義父、妻、義姉に
「お母さんの耳に聞こえるよう声を出して念仏申そう」
と伝えました。
長男も、それなりの声で称えていました。
今まで、寺にいて仏様に念仏申す習慣のなかった彼ですが
さすがに皆が称えているので申すのかな程度に思っていました。
ところが通夜の時にお勤めを始めると
息子が一緒に経文を唱え始めたんです。
家内が皆に経本を配っていたのですが義父・義姉は唱える様子もなく
家内も遠慮がちに唱える程度でしたが
長男だけが必死に大きな声でお経本を読み始めたんです。
彼がついて来れるようにゆっくりと唱えることにしました。
読経の段になってさすがに唱えられないだろうなあと思いながら
阿弥陀経を読み始めたら必死になって唱えてくれるんです。
今まで一度も、法要や勤行を勧めていなかったし
彼もしようとしなかったのに・・・
お義母さんが命懸けで与えてくれた御縁だなあと思うと
涙が溢れそうになります。
丁寧に唱え終わった後、もう初夜の礼讃も已めてお念仏に時間を取りました。
家族葬ですから時間は自由に取れるのです。
義父も妻も長男も涙流しながら念仏申していました。
お勤めの後、長男に何故、念仏申そうと思ったのか?尋ねてみると
おばあちゃんが、なくなる数日前に
「やっちゃん、おばあちゃん、もう長ごないわ・・・
けどなあ、おばあちゃんは死んでもあんたの頑張ってるとこ
見てたげるからなあ。」
と伝えてくれたんだそうです。
彼は、その言葉が心に響いてお勤めしている間も
おばあちゃんが応援しててくれると思うと
うれしくて念仏申したと答えてくれました。
何も言いませんでしたが、だまって息子に手をあわせて拝んでしまいました。