昨日はハロウィンでした。
我が家はいつもどおりでしたが、夕ごはんはかぼちゃをたくさん使いました。

にんにくを焼いたオイルで、ラディッシュやかぼちゃ、かぶの葉をじっくり焼いたサラダやかぼちゃのスープ、かぼちゃとホタテのグラタンを作りました。





頂きもののお菓子もせっかくなので開けてみたり。


かぼちゃはとても好きで、ハロウィンに限らず良く使います。


甘みがあるので、離乳食にも大活躍。

人参と一緒に煮ておいて、よくまだごはんを食べ始めたばかりの息子にも食べさせていました。



ハロウィンか過ぎるともう冬の始めの気配ですね。
冬は、日々の食事づくりの温かさがいつも嬉しく感じます。


先日、実家の母から柿を送ったよと連絡があり、昨日届いた包みをあけると柿だけでなくて箱いっぱいのお野菜や果物がつまっていました。


時折送ってくれる贈り物は、食材や子供の服が入っていて、いつも私は大喜び。
特に、今年は庭の柿をたくさん分けてくれてそのたびに私はりんごと似たり、ジャムにしてせっせといただきました。


去年、出産のために里帰りしたときは、母と一緒にたくさんの庭の柿を洗って磨いたので、その時の事を思い出しています。



柿とりんごを一緒に煮るのは、去年色々と試して一番気に入ったやり方で、レモンも足して、軽めに作るとたくさんの柿が傷む前に美味しくいただけて好きなのです。


今年は、生まれてきてくれた息子も一緒に柿を食べてくれて嬉しいな。


柔らかい柿は切ってデザートのように、固めの柿は、スライスしてサラダやコンポートに、晩秋までしばらく柿を堪能する日が続きます。

おとといは時短のカレーを作り、カレー粉を入れる前に取り分けて息子へもあげたらぺろりと完食してくれました。



日々、食べられるものが増えてきてとても嬉しいな。


昨日は夕ご飯どきにいつもの大泣きが始まり、赤ピーマンを渡したらピタリと泣き止んで、赤ピーマンを調べはじめました。

初めて触るものにはなんでも興味深々、いつもしばらく調べて、、


その後、最近生えてきた前歯でかじりついていました。




食べれそうと思ったようで、だから何でも初めは舐めるのかな。




実家の母が送ってくれたものに、簡単フライパンで焼けるピザ生地の粉があったので、昨日は焼いてみました。

いつも大急ぎでつくる夕ご飯にとっても助かる食材でした。

カレーとトマトバジルの半分づつの味で、手作りのピザは好評だったので、今度は別の具でまた作りたいな。



今日は区役所へ保育の申し込みをしてきました。

都内でも激戦区とあって、余り期待は持てませんが、小さな事からこつこつと。

他にも預け入れ先を探しつつ、また料理のお仕事を出来るように前向きに過ごしたいな。


帰りに秋映りんごがお買い得でうれしくなり買いました。
こっくり深い赤も好きで、酸味と甘みのバランスも好みの林檎です。



昨日は、京王閣で開催のもみじ市へ行きました。



3年前にも書いたお手紙交換のコーナーがあり、懐かしみながら書いて、見知らぬ誰かの書いたお手紙を開けてとても楽しかったな。


3年前に見かけた看板は、もうすっかりと色褪せていました。




多摩川の川へ、空の写り込み。





秋は大好きな季節です。





日差しが強すぎると見えなかった景色もあると、秋がくるたびに思うのです。



同じ場所に何年か後に訪れると、過去と今と、その間の事を考えたりする時間。そうして立ち止まったりするのが私にとっては時々は必要なのです。






交換で頂いたお手紙には、いつも頑張っているあなたへスイーツをどうぞ!とたくさんのお菓子やケーキと紅茶が描かれていました。

優しい気遣いのどなたか、ありがとうございました。嬉しかったです。



おととい、実家の柿やたくさんの贈り物が届きました。

毎年たくさんの実をつけるのようになった柿の木。
子供の頃引越してから庭に植えたものが本当に大きくなりました。



去年は、里帰り出産で母の元でお世話になっていた時、一緒に洗ったりしていたので、たくさんの柿を綺麗にして磨いて、こんなにたくさん送ってくれた事に感動してしまいました。






いつも孫や私の事を考えて愛情便をくれるので、ずっと恩返しが追いつかない気持ちです。。


記念日に素敵なお花を頂いたり、うれしい気持ちでいっぱい。

人に恵まれていると感じることがあると、普段の暮らしも丁寧にすごせたり。

日々の不安や焦りも、こつこつ毎日を過ごすことでいつかまた無駄にはならないといいな。





最近では、大人のごはんにグッと近づいてきた息子のごはん。



頂いた器にも、食べれる品数が少しづつ増えたからか盛り付けられる日が多くなりました。



たくさん食べて、日々の動きも激しくなってきました。

私の、ちいさな工夫は毎日出てきます。
はいはいで家中を動き回るから、以前より床の掃除をたくさんするようになりました。
窓際で外を見るのが最近のお気に入りのようだから、サッシも綺麗に掃除しました。

毎日の習慣にすると、どんな小さなことでも楽しくなるもの。後回しににする癖は、やがてはなんでもマイナスからのスタートになり、大きな遅れになるようなイメージがあります。
家事の小さなあれこれは、料理の仕事や今までの小さな日々の工夫がたくさん生きているのです。



そこはだめ、ここはいいと区別しすぎるとお互いにストレスになってしまいます。

本当に危ないところ以外は、引き出しも開けられるところは残して、中身をおもちゃに変えました。
開けるたびに戻すのも、安全なものなら気になりません。何度も開けて、ひとつづつどんなものか確かめて、物の感触を覚えているのかな。






子供のはいはいと一緒に、床を見ていたら、昨日部屋の中に小さな虹を🌈見つけました。












先日母から送られてきた果物や野菜、その中にあった栗を、たくさんあるうち、半分は栗ごはんに。
そして半分は栗の渋皮煮にしました。

渋皮煮のシロップ、なんだかもったいないので何かに使えないかと調べて、牛乳と共に煮詰めてミルクジャムを作りました。




ほかにも栗の渋皮煮は、刻んでマフィンに
紫芋のチップも混ぜて焼き、母へのお礼に子供のアルバムと一緒に送ってみました。




渋皮煮のシロップは、ほかにも紅茶に入れたりホットミルクに入れたりしても美味しかったです。



最近、我が家で1カ月無料のテレビ配信サービスを利用して、昔の番組を少しづつ観ています。

今日久しぶりに、ドラマ「王様のレストラン」を何話か観ました。

私にとって、いちばんの思い出深いレストランは、以前本店を銀座においていたKIHACHIです。

19歳から23歳まで、ホテルのレストランでコックとして下積みをしていましたが、一念発起。
フードの撮影のお仕事に興味を持ち始めて、会社員を辞め、新宿のカフェでアルバイトしながらスタイリングスクールへ通い始めた頃、少しでも撮影の仕事に関わるお仕事をと見つけたのが、キハチの料理教室のアシスタントでした。


王様のレストランを見ると、キハチのサービスやキッチンの人たちの仕事への情熱を思い出します。
私にとって、この頃の自分の勉強への気持ちと不安が、いつもこのお店の素晴らしさに心支えられていたように思います。




 料理は、作り手とサービスする側、そして食べる側の受け取り方が相まって本当に感動する瞬間があり、それをしっかりと味わう事ができる空間がレストランであると感じていました。



印象的なギャルソン台詞のひとつ。

「最高のディナーを味わう為にはお客様の力も必要。美味しく味わうには食べる側のコンディションも大切」本当にそう感じます。




作り手、運び手、そして味わうそれぞれがひとつになるとき本当に感動する味があると何度か体験した時があったのです。




フードスタイリングのお仕事へと移った何年かあと、KIHACHI本店は青山へと移転し、今は建物そのままに別のお店となった跡地。
そこへ訪れ、上を見上げた時に以前と変わらず3階のテラスの植物を見た時に何故だか感動してしまった事を覚えています。

私が務めたのはスクールへ通っていた間の1年間だけでしたが、今思い起こしてもとても大切な1年でした。
最近は、少しづつの練習の甲斐あってか、大人の食事にだいぶ近づいてきた息子の食事。

しばらく柔らかい同じようなメニューが続いたので、昨日は頂いた器を使ってはじめてワンプレートにしました。

味の濃そうなものは少量にして、スープに浸したり少し薄味に調整すると、ぺろりと平らげてくれます。


もっと小さな頃は、一度につくって小分けをたくさん用意していたけれど、毎回なるべく出来たてのものをあげる方が喜ばれる気がしています。





毎日の食事が小さな体を育てることが、こんなにもじんわり嬉しいとは知りませんでした。



先日の夕ごはんは、焼いた秋刀魚を香りごと炊き込んだごはんにしました。
刻んだ生姜とだし昆布も一緒に炊飯したので、フタを開けた時のいーい香り!




魚屋さんが、「今は底値で味もとびきりだよ〜っ」とリズム良く売っているとつい手が伸びてしまうのです。




気づけば家の周りにも、小さな秋からしっかり秋の景色になっています。

金木犀の香りは、この時期だけの楽しみ。


先日の不安な夜の台風から、翌日の綺麗な青空。
生まれ変わったような青葉を見るのが私は好きです。

植物は、よく見ると春と秋、この気候のちょうど良い時にきれいな新芽を伸ばしています。