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A Votary of V4V

映画 V FOR VENDETTA にハマってしまった自分のための備忘録(ネタバレ)


ちょっと前に小説を読み終えた。これは映画の良い補完になると思う。

Vの命が尽きるシーンの描写には泣かされた… イヴィーの腕をきつく握った、とかの部分ね、もうね、もう、泣かされました。Vにはやっぱり死んで欲しくなかった…。

いまは、From script to Film を読んでいます。これはフルカラーの255ページもある分厚い本で、全てのセリフと、撮影時の写真やイメージボード、その説明なんかが掲載されてます。

さて、この本のなかでシャドウ・ギャラリーの中の独房のシーンについていくつか書いてあります。

あそこでイヴィーに尋問してたのはもちろんVなんだけど、実際の撮影ではクリーディ役の役者さんもそれを演じてるそうです。きっと、机を挟んで椅子に座ってイヴィーに尋問する人ですね。シルエットがヒューゴ・ウィーヴィングぽくないから、???と思ってたんだ。

でも、声は違う人のものなんですって。原作だとこの尋問者は実は、喉の辺りにスピーカーが仕込んである人形だったわけですが、映画では喋る時にシルエットの頬のあたりが動くのが見えるので、人形じゃないよなぁって思いますね。

また、イヴィーを引きずって歩いたりする男の人、映画ではその名前が出てこなかった気がしますがロシターという名前の男ですな。これを演じているのは、Vの中の人であるヒューゴ・ウィーヴィングその人なんですと。でも、やはり声は違う人のもので、それも複数の人の声を使っているそうです。

観ている人に、これVじゃないの?と思われないためのトリックなのだとか。

確かに声は違うけど、あの椅子に座ってる男性が喋る口調がすごくVに似ていたし、それにあの黒い革手袋のせいもあって、これVじゃないの?って思った。思いますよね?

まわりくどい喋り方、ちょっと溜めの入った芝居がかった口調、特に、
There is one chance, and only one chance to save your life.
って部分は特に、Vみたい!って思った。

Vは変装も上手いけど、声色を変えるのも上手だという設定なんでしょうか。イヴィーが気付かないんだもん。よっぽどですよね。

しかし、Vはスーツも持っているのね!スーツも自分で仕立てたんだろうか?きっと上等なスーツなんだろうなあ。何着持ってるんだろう。スーツ姿のVも良いよねぇ~ なんて考えてしまう。イヴィーごめん。

Vはイヴィーを開放してから、大慌てで着替えに戻ったんだろうか… 思ってたよりイヴィーがスタスタ歩いて戻ってきちゃったら困るもんね。なんて…。まあVのコトだから着替えるのも手際が良いのでしょう。

イヴィーを独房に監禁してる間は、Vも食事がほとんど喉を通らなかったんじゃないかな?と考えたりします。ため息ばっかりついてそうだなあ。


Vは、最後になって、
この革命を、個人的な復讐の最終ステージとしてではなく、この国の国民全員へのチャンス、新しい時代を迎えるチャンスとして考えるようになった。

だから、あの地下鉄のレバーをイヴィーに委ねた。新しい世代の代表として。

それはそれで良いと思うんだ。
ずっと、20年もの間、血の復讐のみを考えてそのために生きてきた男が、その外に、その未来に広がる世界とその可能性に目を向けることができた。ずっと夢見てきた、復讐の総仕上げに繋がるレバーを引く権利を、他者に譲ることができた。

悪くない。良かったじゃないか。

けど、
どうして死ななければならなかったのか。

新しい時代を、新しい世代とともに笑って過ごしたって良いじゃないか。

いや、やはり復讐に執着する心から逃れられなかったからこそ、引き止めるイヴィーを置いてトンネルの先へ行ってしまったのだろうか。そうでなくても、Vは行かなければならなかった。Vがサトラーとクリーディーを始末していなければ、あの日終結した群衆は皆、銃弾に倒れるか黒袋を被せられていただろう。

いずれにしろ、Vならば、致命傷を負わずに帰ってくることもできたはずだ。もともとは、あのレバーは自分の手で引くつもりでいたのだから。

あのレバーを引く担い手を見つけてしまったVは、その理念を次世代に託したと考えたVは、自分の肉体が存続する意味を見失ったのだろうか。

Vは、人間らしい脆い心を見せる場面もあるけれど、しかしその芯にあるのは決して揺るがない凄まじいまでに強靱な理念なんだ。これはあのラークヒルで植えつけられた反作用の一つなのかもしれない。

影に潜みながら生きて、雷のように鮮烈に姿を現したかと思えば、風のように駆け抜けていってしまった。

体は朽ちても理念は死なないことと、死に直面しても恐れない強さを、Vはその身を以て体現したのだと思うけど、この映画にはあのラストがふさわしかったのだとは思うけど、

イヴィーも冒頭で言っていたじゃないか。
理念にキスすることはできない。愛することも。恋しく思うのは、11月5日を教えてくれた男なのだと。

やっぱり悲しい。寂しい。

切ないからこそここまで胸に刺さるのでしょうが、それにしても強烈なのです。

巌窟王のシーンでのVはかなり熱中していて動きも激しいので、鎧の腕を持って自分の喉元に当ててウガガガッ!と首を左右に振る時、マスクの下の肌がちょっと見えちゃってますね!よーーく見ると!

思わずコマ送りで確認しちゃった。顎のラインが露わに!そりゃ、イヴィーに見つかって慌ててマスクを直すわけですよね。

か、かわいいなぁ。

このシーンではマスクを留める紐もかなりよく見えちゃう。一体どうなってるんでしょう、この紐。

冒頭のメイク室での装着シーンでは、カツラの上から紐を結ぶような仕草をしているけど、実際には紐は髪の毛の下に隠れているのでマスク→カツラの順で着けているはずですよね。ぜーったいにズレないようにしてるんでしょうね。

Vのマスクは、よく見るとキレイな二重まぶた…

美しいですw

VがBTNを乗っ取るシーン。

体にダイナマイトを巻き付けている姿は、いつも優雅なVには似つかわしくないゴツさですよね。しかし、あのピピピピ言ってる起爆装置を握る黒革手袋はセクシーだわ。

スタジオに入って、扉を開けられないように細工をしますが、あれは何を使ったんでしょうかね?小説では、電動ドリルを使って扉に穴を開け、ボルトを固定して扉が開かないようにした、となっているのだけど、映画のアレは明らかに電動ドリルじゃない。

扉と扉の隙間に何かドロドロした液体を注入していますよね。灰色の。コンクリートみたいに見えるんだけど、なんなんだろう。コンクリートならそんなに早くは固まらなさそうだから、また違う物質なのかなと思う。

ここで私が言いたいのは、なんにせよ、やっぱかっこいいよV!ということなのですが・・・。だって、小説通りに電動ドリルを扱うVを想像しても、映画での機械を扱うVもかっこいいのです。映画のあのシーンは好きです。一見、銃みたいに見える機械をカチッとやって扉にブッ刺すV、かっこいいわ。そういう機械の扱いもお手の物なのね。その前に赤い警報装置を力強く押す黒革手袋もやっぱりセクシー。

ことが済んで、エレベーターホールに現れるVがボタンを押すためにマントをバサッっとやる仕草も大好きなんですが、ドミニクに呼び止められて ふう と息を漏らしますよね。警察の動きの速さには驚いたと言っていますが、Vにとっては本当に予想外だったんですかね。本来の計画だと、もっとすんなりスタジオから脱出してコントロールブースに置いて来たダイナマイトを爆発させるはずだったのですよね?

あのダイナマイト、いかほどの威力があるもんなんでしょうね。オールド・ベイリーみたいに大規模な爆発を起こせる量だったんでしょうか。よく分からないけどそれほどの量じゃなさそうですよね。コントロールブースだけ破壊するつもりだったんだろうか。もし、Vが逃げるのがもっと遅くなってしまっていたら、そしてダスコムが起爆を阻止できていなければ、Vも多少なりとも怪我をしたのでしょうかねー。Vもあのときばかりは少々焦っていたのでしょうか?いずれにしろ、Vが体にダイナマイトを巻き付けていたのはスタッフらに言うことを聞かせるためだし、コントロールブースに置いたのは、注意をそちらにも向けて自分が逃げやすくするためだったのでしょうよね。ならばやはりVの筋書き通りなのか。

ドミニクには悪いけど、彼を素手で殴るVも好きなのです。特にラスト、上から下へ振り下ろすように拳で殴るシーンは好きです。いつも華麗なVにしては荒々しいですよね。スタジオから出て来て数人を相手に戦闘になるシーンでは、Vは彼らのことをおちょくっているように見えます。だって、Vだったらもっと一瞬で片付けられたと思う。敵のひとりを盾にして銃弾をやり過ごすところとか、絶対おちょくっていますよね。

ほーらほらどうした、私はここだよ

とか言ってそう。
そんなちょっと意地悪なVも、大好きです。


巌窟王を観ながら鎧相手にフェンシングをするVもすごく人気があるのだと思う、私も大好きだ。なんて可愛いんだ。イヴィーに見られていたのに気付いて焦るVには萌え殺されそうになりますよね。

イヴィーが「観たことがない」と言うのに対して、Really? Would you like to? と答えるVもまたかわええのです。ホントに好きなんだろうね、ってなんて微笑ましい。

さらにハッピーエンドなのかと訊くイヴィーに対して、「映画なればこそ」た答えるV。

映画なればこそのハッピーエンド。

これは、この映画(巌窟王じゃなくて、V FOR VENDETTA)のラストへの伏線なのであろうかと、何度か観てから思った。

映画なればこそのハッピーエンド。現実にはそんなことありはしない。実際、Vはイヴィーを残して死んでしまう。

考えようによっては、この映画のラストはハッピーエンドなのかもしれない。

しかし、巌窟王を見て満足そうなVに対して、切なそうな表情のイヴィー。それはまさに、この映画(V FOR VENDETTA)のラストそのものなんじゃないの。

自分よりも復讐を優先されたメルセデスのことが可哀想だと言うイヴィーと、そう?と首を傾げるV。

女心が解らないVの鈍さが可愛くもあるけれど、まさにまさに、彼らのエンディングそのままの光景なのですよね。

もともとVは、私やイヴィーが考えるハッピーエンドは求めていなかったということでしょうか。

わたしも、いわゆる女性が好むタイプのハッピーエンドを観たかった、と思ってしまう。女ですから。