Vは、最後になって、
この革命を、個人的な復讐の最終ステージとしてではなく、この国の国民全員へのチャンス、新しい時代を迎えるチャンスとして考えるようになった。
だから、あの地下鉄のレバーをイヴィーに委ねた。新しい世代の代表として。
それはそれで良いと思うんだ。
ずっと、20年もの間、血の復讐のみを考えてそのために生きてきた男が、その外に、その未来に広がる世界とその可能性に目を向けることができた。ずっと夢見てきた、復讐の総仕上げに繋がるレバーを引く権利を、他者に譲ることができた。
悪くない。良かったじゃないか。
けど、
どうして死ななければならなかったのか。
新しい時代を、新しい世代とともに笑って過ごしたって良いじゃないか。
いや、やはり復讐に執着する心から逃れられなかったからこそ、引き止めるイヴィーを置いてトンネルの先へ行ってしまったのだろうか。そうでなくても、Vは行かなければならなかった。Vがサトラーとクリーディーを始末していなければ、あの日終結した群衆は皆、銃弾に倒れるか黒袋を被せられていただろう。
いずれにしろ、Vならば、致命傷を負わずに帰ってくることもできたはずだ。もともとは、あのレバーは自分の手で引くつもりでいたのだから。
あのレバーを引く担い手を見つけてしまったVは、その理念を次世代に託したと考えたVは、自分の肉体が存続する意味を見失ったのだろうか。
Vは、人間らしい脆い心を見せる場面もあるけれど、しかしその芯にあるのは決して揺るがない凄まじいまでに強靱な理念なんだ。これはあのラークヒルで植えつけられた反作用の一つなのかもしれない。
影に潜みながら生きて、雷のように鮮烈に姿を現したかと思えば、風のように駆け抜けていってしまった。
体は朽ちても理念は死なないことと、死に直面しても恐れない強さを、Vはその身を以て体現したのだと思うけど、この映画にはあのラストがふさわしかったのだとは思うけど、
イヴィーも冒頭で言っていたじゃないか。
理念にキスすることはできない。愛することも。恋しく思うのは、11月5日を教えてくれた男なのだと。
やっぱり悲しい。寂しい。
切ないからこそここまで胸に刺さるのでしょうが、それにしても強烈なのです。