Vとイヴィーが初めて出会った夜。
Vもイヴィーもほぼ同時にテレビをOFFにして出掛けた様子です。23時を過ぎてすぐでしたよね。フィンガーマンたちに襲われそうになっているイヴィーを助け、屋上の音楽会に誘うんですよね。
裁判所が破壊されたあと、政府の要人たちが集まって会議をしていますが、そこでマスクの男、すなわちVを監視カメラが捉えたとヘイヤーが報告しています。フィンチとドミニクがオフィスでこの写真を見ながら、「ガイ・フォークスのマスクを着けてどうして議事堂ではなく裁判所を爆破したんだ?」と話していますが、この写真、"DATE 04 11 TIME 23:17:25" とあります。
この写真が、イヴィーと出会う前に撮られたものなのか、後なのかハッキリはしないんですが、Vはひとりで写っているようですよね。イヴィーに出会う前なのかな?この写真のVは思いっきりカメラ目線ですよね~、気にしていたのかな?
映画では、イヴィーがVのお誘いにalrightと答えてすぐに屋上のシーンに切り替わりますが、小説ではそこまでの道のりがもう少し詳しく書かれています。
Vとイヴィーはかなり歩いたようですよ。監視カメラを避けるために大回りして、パトロールの車が通りかかれば暗がりに身を隠しながら、とか書いてあります。そのわりにさっきの写真はなんであんなにデカデカと写っちゃってるんだろう?わざと?
Vは自信たっぷりに大股で堂々と歩き、その後をイヴィーがちょこちょこと小走りでついて行ってたんだろうなと思う。
この間、Vとイヴィーは無言だったんでしょうかね~?「コンサートの開催される場所と時間については明確にしてくれなかった」とありますから、「どこであるの?本当にこんな夜中に?」とイヴィーが質問したり、「まあまあ、それは着いてからのお楽しみ。」とVが応えたりしたかもしれませんよね。Vはイヴィーに合わせてゆっくりめに歩いたのかな。ときどき後ろを振り返って「あともう少し」なんて言ったりしたのかなー。
最終的にあの建物の屋上へ。
結構な高さがあるようですが、どうやら階段で昇ったようですよ。(非常階段と書いてある。)イヴィーもあのヒールで何階分も昇るの大変だったろうな。さすがにVもお嬢様抱っこなんてしてくれないだろうしな。
「これ以上は望みようもない」絶好のステージに到着してから、日付が変わるのを告げる鐘が鳴るまで僅かな時間しかありませんでしたよね。DVDからすると、屋上のシーンに切り替わってから約30秒後です!調べちゃった。
かなりギリギリじゃないですか。間に合って良かったなV!そりゃイヴィーが「楽器が見えないようだけど」と言うのも軽くあしらって、マダム・ジャスティスへの挨拶をしなければなりませんよね!Vには精度の高い体内時計があるんだろうか…?
この日はVの計画がいよいよ本格始動する大事な夜だったわけですが、Vがシャドウ・ギャラリーを出たのは23時過ぎ。コトの重大さのわりには遅い出発ですよね?まあ、仕込みはすべて終わっていて、あとはあの屋上へ赴き観覧するだけで良かったはずですから、それで十分だったのかな?
小説では、シャドウ・ギャラリーを出る直前にVがシェイクスピアの胸像に話しかけるのですよね。そして「私を待っていなくても結構だよ。」「今夜は楽しむつもりなのだ。」って茶目っ気たっぷりに囁くのだ!これは映画でも観たかったな!
でも、この時点ではVはまだ喋らない方が良いのかも知れないですよね、第一声は映画の通りにあの暗い路地で発せられた方が不気味で宜しいですね。
シャドウ・ギャラリーでの身支度から屋上コンサートまでのシーンは、特にお気に入りです。セリフもほとんど覚えてしまいましたよ。しょっぱなからよく喋るし、掴みはバッチリだ、V!
ラークヒルの頃はDiana Stanton という名前でした。Vに対して人体実験を施した医者ですね。ラークヒルが閉鎖されてからは名前を変えて、映画の時点では監察医としてリリマンの死因解剖を担当していたようです。プロセロのもやった様子ですね。
デリアはラークヒルではVと一番深く且つ直に関わった人物のはずですが、プロセロやリリマンとは対峙の仕方が違っている。意外にも、Vはデリアに対してマイルドですよね。不思議です。
私の感覚だと、収容者たちをただの実験台としか見ておらず、自分の研究欲のために人の命を軽視していたデリアは、一番憎まれても仕方の無い人物だったんじゃないかと思うんだけど。
しかも、ラークヒル閉鎖後に名前を変えるなんて卑怯だと思った。罪に満ちた過去から逃げることしか考えていない人のように思えました。
でもどうやら違ったのかな。
逃げ出したくなるような過去、自殺を考えるほど深く悔いる過去と、どうにか決別しなければ今を生き続けることができないほど、ラークヒルの出来事はデリアに重くのし掛かっていたのでしょうか?
Vがデリアの最期に見せた慈悲は、彼女が女性とだからという理由だけでは無いように思います。
プロセロやリリマンがラークヒルのあとも権力を維持し、駆使し、増長させて私欲を肥やし、ラークヒルでの自分の行為など忘れてしまっているのに対し、デリアは過去の自分の行いを過ちと認めて悔い続け、今は監察医としてつましく暮らしていたわけですが、それがVには伝わっていたのかな。
デリアは科学者という立場で現場にいた人間だからこそ、自分の行為の恐ろしさと罪を強く感じたのでしょうかね、プロセロやリリマンよりも。
炎の中に仁王立ちしてこちらを見つめるあの男を、他でもないこの自分が作ってしまったのだと、デリアはその事実の重大さに誰よりも早く明確に気付いたに違いありません。
Vとデリアの間には、二人以外には分かり得ない何か特別な感情があったような気がします。
映画では語られないのですが、原作やノベライズでは、Vは実験後、大変魅惑的な人格を表すようになってから、デリアのことを「昆虫でも見るかのような」「哀れむような」目で見ることがあったようで、そのことがデリアをだいぶ困惑させたようです。
Vは、ヴァレリーの手紙を読んで精神的に覚醒したはずだし、実験の副作用で天才的なほどにまで知力が向上したようですから(DC Comics Data Baseによると/http://dc.wikia.com/wiki/V)、そんなVにとってデリアは哀れむべき愚かな生き物だったのかもしれません。
政府の悪巧みに利用されているだけなのに、自分が為そうとしていることは結局は不幸をもたらすだけなのに、それにも気付かず無邪気なほどに虚空の夢を追いかけている。そんなデリアが哀れに思えていたのでしょうか?
一方でデリアは、実験の結果としてVが見せる魅惑的な人格の虜になっていたんじゃないでしょうか。単なる研究欲からVに掛かりっきりになっていたんじゃ無いと思うのですよねー。
(私はVの人格を実験の賜物とは思いたくないのだけど、もしそうだとしたら、怪物的なまでに魅惑的な人格ってことでそれはそれでスゴイなあ。)
原作コミックではデリアはVについて、「顔はとても醜いのに」とも表現しています。very uglyであると。肉体的には実験による変化は特に現れていなかったはずですから、Vがもともと醜い外見をしていたのか(デリアの好みじゃなかったかだけか?)、もしかして黒人だったのかな?と考えたりします。(コミックで部分的にわずかに描かれるVの肌は黒くはないのですけど…)
それでもなお、Vはとても魅力的な人格を有しており、デリアを哀れむ様な目で見て、デリアをたじろがせた。
デリアは殺害現場にスカーレット・カーソンが残されていたと聞き、それがVの仕業であるとすぐに察します。Vはラークヒルの庭園でこのバラを育てていたからですね。最期の夜、Vが自分を殺すために現れたと知り、神に感謝します。プロセロやリリマンと違って、デリアはVと落ち着いて会話をし、自分の行いを詫びるのです。Vはデリアのこの最期の夜の様子すら予見できていたんでしょうか。ラークヒルでの関わり方と、その後の彼女の生き方を通して、デリアの後悔と謝罪の念を感じ取っていたのでしょうか。
さらにコミックでは、デリアは最後に、もう一度顔を見せて欲しいとVに頼むのですよね。そしてなんと、Vはそれに応じるのです。唯一、Vが人に素顔を見せるシーンであり、そこにやはりVとデリアとの特別な関係を感じるのです。
デリアとVは、フランケンシュタインとそのクリーチャーのよう
な関係も感じさせますが、それよりはもっと情があるように感じますねえ。
デリアはマスクを外したVの顔を見て、「綺麗ね」と言うのです。
ラークヒルではuglyと言っていたのに、最期にbeautifulと言ったデリアの心境は公式に解説されておらず、謎です。
「生み出した者」と「生み出された者」。「恐れ」と「恨み」以外のなんらかの感情がそこにはあったのでしょうか。デリアはVの“VENDETTA:血の復讐”を誰よりも理解した人なのかもしれないですよね。
映画ではそこまで詳しくは描かれていないけど、それでもVは彼女が寝ている間に苦痛のない毒を与えました。デリアの謝罪の言葉をどんな気持ちで聞いたのでしょうかね。
デリアのIs it meaningless to apologize? という問いに対してVは、Neverと答えます。ここの字幕が、「そうだ」の場合と「いや」の2パターンあるそうですね?そのために、Vが否定したのか肯定したのかでだいぶ混乱が生じていたとか?私は「いや、決して遅くはない」だと思うんですけどね、その時のVはすごく穏やかなんだもん。
レースのカーテンが揺れる暗い部屋、薔薇を手渡すVのシルエットがとても美しいと思う。
Vは復讐のために人を殺すわけだけど、邪悪さを感じさせませんよねえ。
今年のガイ・フォークスデー、11月5日は土曜日なのですね?!なんと恵まれた暦の巡り!
この日、たった一日で良いから、V FOR VENDETTA を再上映してくれる、空気が読めて話の分かる劇場って無いのでしょうか?!
劇場で観たいなあ!
今年は公開年の2006年からちょうど5年目の11月5日ですよね~、私みたいに乗り遅れたヤツにもチャンスを与えて欲しいわあ。
取り敢えず、金曜日は仕事終わったら食事とお風呂をささっと済ませて、日付が変わる頃に向けてDVDをセットですな?
ああ、ガイ・フォークスデーに合わせてロンドンに旅して、議事堂の前に行ってみたいな。そういう人っているんですかね?じっとビッグ・ベンを見上げる人とか…。
やってみたいですねw
日本も一気に秋めいて、Vの季節ですよね。
私もVみたいな黒いマント(ケープ?)が欲しいのです。バサッと長いマントを翻すサマが堪らなくカッコいいから真似したい!そしたら自然と立ち居振る舞いがVみたいに優雅になるんじゃないかしら?!
ポンチョみたいなお洒落めかしたのじゃなくて、シンプルなマント…ハイネックのね。でもなかなか無いなあ。地道に探しますw
この日、たった一日で良いから、V FOR VENDETTA を再上映してくれる、空気が読めて話の分かる劇場って無いのでしょうか?!
劇場で観たいなあ!
今年は公開年の2006年からちょうど5年目の11月5日ですよね~、私みたいに乗り遅れたヤツにもチャンスを与えて欲しいわあ。
取り敢えず、金曜日は仕事終わったら食事とお風呂をささっと済ませて、日付が変わる頃に向けてDVDをセットですな?
ああ、ガイ・フォークスデーに合わせてロンドンに旅して、議事堂の前に行ってみたいな。そういう人っているんですかね?じっとビッグ・ベンを見上げる人とか…。
やってみたいですねw
日本も一気に秋めいて、Vの季節ですよね。
私もVみたいな黒いマント(ケープ?)が欲しいのです。バサッと長いマントを翻すサマが堪らなくカッコいいから真似したい!そしたら自然と立ち居振る舞いがVみたいに優雅になるんじゃないかしら?!
ポンチョみたいなお洒落めかしたのじゃなくて、シンプルなマント…ハイネックのね。でもなかなか無いなあ。地道に探しますw
「直訳調過ぎて硬い」と当初は思っていたノベライズですけど、今となってはそっちの方が良いように思えて来ました。
Vってすごく回りくどい喋り方をするけど、そのVらしさは直訳調の方がよく表現できてる気がします。なんというか、日本語字幕だと物足りなくなってくるのですよね。
たとえば冒頭のフィンガーマンたちをやっつけたあとのVとイヴィーの初めての会話なんかもそうです。
Who?
Who is but the form following the function of what, and what I am is a man in a mask.
日本語字幕では
「誰と問うなら“仮面の男”と答えよう」
となっていると思うんだけど、私としてはもっと直訳の方がVらしくてしっくり来るんです。
私流に直訳すると、
「誰か というのは 何か という問いのあとに続くものだが、何かと訊かれれば私はマスクの男だ」
このくらいクドクドした言い回しの方がVらしくて良い!
続いて
Of course you can. I'm not questioning of your powers of observation, I merely remarking upon the paradox of askinga masked man, who he is.
日本語字幕だと
「そうか。目はいいようだがー仮面の男に“誰か”と訊くのは愚問だな」
となっていますね。
もっと直訳調にして
「もちろんそうだろう。君の観察力を疑うのではなく、私はただマスクの男に誰かと問うことの矛盾を指摘しているまでだ。」
ぐらいの方が良い!
でもこんな長ったらしい日本語字幕がついちゃったら、観る方は大変ですよね。字幕を追うのに必死になっちゃうから。でも、やっぱクドクドしてる方がVっぽいな~と思う。
ノベライズでは何度か、Vは「辛抱強く」イヴィーに話して聞かせた、という表現が出てきました。初めてシャドウ・ギャラリーで目覚めたイヴィーが、自分のアパートへ戻ると言って聞かないときとかです。相手が聞き分けが無いときにも、穏やかさはそのままに、辛抱強く説明するんですね。わたしこの「辛抱強く」という表現は好きです。
VのBTN乗っ取って放送したあのスピーチもほぼ暗記できてしまった!Vのセリフはどこもとても魅力的だわー。声が良いのもあるんだけど。
Vってすごく回りくどい喋り方をするけど、そのVらしさは直訳調の方がよく表現できてる気がします。なんというか、日本語字幕だと物足りなくなってくるのですよね。
たとえば冒頭のフィンガーマンたちをやっつけたあとのVとイヴィーの初めての会話なんかもそうです。
Who?
Who is but the form following the function of what, and what I am is a man in a mask.
日本語字幕では
「誰と問うなら“仮面の男”と答えよう」
となっていると思うんだけど、私としてはもっと直訳の方がVらしくてしっくり来るんです。
私流に直訳すると、
「誰か というのは 何か という問いのあとに続くものだが、何かと訊かれれば私はマスクの男だ」
このくらいクドクドした言い回しの方がVらしくて良い!
続いて
Of course you can. I'm not questioning of your powers of observation, I merely remarking upon the paradox of askinga masked man, who he is.
日本語字幕だと
「そうか。目はいいようだがー仮面の男に“誰か”と訊くのは愚問だな」
となっていますね。
もっと直訳調にして
「もちろんそうだろう。君の観察力を疑うのではなく、私はただマスクの男に誰かと問うことの矛盾を指摘しているまでだ。」
ぐらいの方が良い!
でもこんな長ったらしい日本語字幕がついちゃったら、観る方は大変ですよね。字幕を追うのに必死になっちゃうから。でも、やっぱクドクドしてる方がVっぽいな~と思う。
ノベライズでは何度か、Vは「辛抱強く」イヴィーに話して聞かせた、という表現が出てきました。初めてシャドウ・ギャラリーで目覚めたイヴィーが、自分のアパートへ戻ると言って聞かないときとかです。相手が聞き分けが無いときにも、穏やかさはそのままに、辛抱強く説明するんですね。わたしこの「辛抱強く」という表現は好きです。
VのBTN乗っ取って放送したあのスピーチもほぼ暗記できてしまった!Vのセリフはどこもとても魅力的だわー。声が良いのもあるんだけど。
モンスターと言われたVは、黙ってしまいます。
彼らがラークヒルで自分に施した実験の結果、今の自分が生まれた。
Vの考えはこうだったんだ:
物事には反作用がつきものだ。
彼らが自分にしたことはMONSTROUSだった。
だから彼らは今、当然の報いを受けているまでだ。
イヴィーはこう捉えたんだろう:
物事には反作用がつきものだ。
彼らがVにしたことはMONSTROUSだった。
だからMONSTERが生まれた。
MONSTER…
イヴィーが去ったあと、マスクを脱いで鏡に叩きつけますが
あれは、MONSTER発言を引きずってのことだったんだろうな、やっぱり。
イヴィーへの想いが云々とかじゃなくて、(それもあったかもしれないけど)自分が信じて疑わなかった正義や、そのための自分の行いが、20年間信じてきたたった一つの志が、否定されてしまった。それも愛する女性にだ。自分を強く逞しく保っていた自信が、大きく揺らいでしまったんだろうか。Vを20年間支えていた強靭な精神力が、あの瞬間、すこし怯んでしまったんだ。
Vの考えた通り、あの拷問を通してイヴィーは自分と同じように覚醒した。
そのイヴィーに、MONSTERと言われてしまったんだ。
憎しみの煉獄の中で生まれたVに対して、慈愛の雨の中で目覚めたイヴィー。Vはこの違いにも何か感じるものがあったのかもしれない。
イヴィーは、もう少しでキスできそうなほどVに接近しますが、結局しない。あれはVが拒んだようにも見えたけど、小説を読むとイヴィーの方が思い留まったようです。マスクにキスをして一体何になるのだろう。イヴィーはあの時点ではまだ、あのマスクを彼の本性を隠す障害物だと思っていたんでしょうか。ラストでやっと、そのマスクこそがVそのものであると認めることができたんですね。お、遅いよイヴィー…!それにいくら怖いもん無しになったからって、VをMONSTER呼ばわりするなんてあんまりだよ!ううう。
あのヴァレリーの聖廟でのVは、彼にしてはとても珍しく、言い訳めいた喋り方をしているように思います。その前のジュークボックスのシーンでも、イヴィーの声が聞こえているくせにすぐには返事をしなかったり。こういうVの少し脆いところに、また夢中になってしまうのですよね。
本当に、こんな素敵なキャラクター、他にいません!
彼らがラークヒルで自分に施した実験の結果、今の自分が生まれた。
Vの考えはこうだったんだ:
物事には反作用がつきものだ。
彼らが自分にしたことはMONSTROUSだった。
だから彼らは今、当然の報いを受けているまでだ。
イヴィーはこう捉えたんだろう:
物事には反作用がつきものだ。
彼らがVにしたことはMONSTROUSだった。
だからMONSTERが生まれた。
MONSTER…
イヴィーが去ったあと、マスクを脱いで鏡に叩きつけますが
あれは、MONSTER発言を引きずってのことだったんだろうな、やっぱり。
イヴィーへの想いが云々とかじゃなくて、(それもあったかもしれないけど)自分が信じて疑わなかった正義や、そのための自分の行いが、20年間信じてきたたった一つの志が、否定されてしまった。それも愛する女性にだ。自分を強く逞しく保っていた自信が、大きく揺らいでしまったんだろうか。Vを20年間支えていた強靭な精神力が、あの瞬間、すこし怯んでしまったんだ。
Vの考えた通り、あの拷問を通してイヴィーは自分と同じように覚醒した。
そのイヴィーに、MONSTERと言われてしまったんだ。
憎しみの煉獄の中で生まれたVに対して、慈愛の雨の中で目覚めたイヴィー。Vはこの違いにも何か感じるものがあったのかもしれない。
イヴィーは、もう少しでキスできそうなほどVに接近しますが、結局しない。あれはVが拒んだようにも見えたけど、小説を読むとイヴィーの方が思い留まったようです。マスクにキスをして一体何になるのだろう。イヴィーはあの時点ではまだ、あのマスクを彼の本性を隠す障害物だと思っていたんでしょうか。ラストでやっと、そのマスクこそがVそのものであると認めることができたんですね。お、遅いよイヴィー…!それにいくら怖いもん無しになったからって、VをMONSTER呼ばわりするなんてあんまりだよ!ううう。
あのヴァレリーの聖廟でのVは、彼にしてはとても珍しく、言い訳めいた喋り方をしているように思います。その前のジュークボックスのシーンでも、イヴィーの声が聞こえているくせにすぐには返事をしなかったり。こういうVの少し脆いところに、また夢中になってしまうのですよね。
本当に、こんな素敵なキャラクター、他にいません!