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Renegade Member of Family of Light. Systems Buster. Available for altering systems of consciousness within the free-will universe. On call ! Yoga-Maya is a Cosmic illusion by which divisions seem to exist in the Oneness that is true Reality.

梅雨入りほどなく梅雨前線を追いかけるように、雨の草津温泉に行ってきました。

梅雨空の関越自動車道で草津へ

高速から見えた八ッ場ダムの湖は綺麗な翡翠色でした。ダム建設は首都圏への水源、治水や発電といった公共性の反面、地域の村を丸ごと水没させたり、環境破壊、生態系への影響も見過ごせません。大規模な道路付け替えなどの建設費、周辺地域との利害調整、地域住民の分断など、政治家も絡み問題が複雑化、長期化するほど利害関係者が群がる利権の巣窟になります。

梅雨時のダム湖は美しい翡翠色でした

この八ッ場ダムは建設から竣工まで52年、計画発表から開業までになんと70年もの歳月を要しました。そこまで紆余曲折や賛否両論ある中で完成させなければならなかった公共事業だったのかは知りませんが、規模と時間経過がさまざまな利権を生んだことは間違いなさそうです。事業費として日本のダム建設史上最大の国費(税金)が投入された公共事業になりました。


創業112年の老舗旅館「草津ホテル1913」

高速を降りて国道で草津温泉に向かうと〝草津良いと〜こぉ〜一度は〜おいで〜♪〟のメロディラインに迎えられました。到着したこの日の宿は大正2年創業の「草津ホテル1913」。草津温泉のなかでも西の河原から直接源泉を引く6軒しかない老舗の一つ。柔らかい水質の西の河原温泉と、少し刺激のある万代温泉の2種の温泉が楽しめる宿でした。外観とは裏腹に館内は真新しく、とても綺麗で大正モダンなホテルでした。

瀟洒な大正モダンの佇まい

さっそく草津温泉ランドマークの湯畑へ。その独創的な瓢箪型のデザインは、1970年の大阪万博のシンボル『太陽の塔』をデザインした『芸術は爆発だ!』で有名な異彩の芸術家岡本太郎氏。高温源泉を冷ますために造られた湯樋から多くの湯の花が採れるようになったことで〝湯畑〟と呼ばれるようになったとか。夜になると立ち昇る湯気がパープル、ピンク、イエローとカラフルにライトアップされ幻想的な雰囲気に包まれます。

草津山「光泉寺」の石段から見下ろす湯畑

湯畑を囲む石柵には、鎌倉時代の騎馬民族源頼朝や、日本海貿易で栄えた加賀国の前田利家、大英帝国から派遣された明治維新の志士アーネスト・サトウ、ジャパンハンドラーたちに翻弄された近衛文麿、中東や中国利権に手を出しロッキード事件で葬り去られた田中角栄、そして戦後3S政策のスター力道山や石原裕次郎まで…良くも悪しくもこれまでの日本の歴史を彩ってきた、さまざまな分野の著名人の名前が刻まれていました…


食後に綺麗にライトアップされた湯畑を散策


源頼朝ゆかりの白旗温泉のすぐ裏には真言宗のお寺「光泉寺」がありました。このお寺の寺紋は我が家と同じ九曜紋でした。この寺を再建した湯本氏の出自が、九曜紋を家紋とする信州の望月氏だったからとのこと。こんなところで遠い祖先所縁のお寺にお参りするとは思いませんでした。今回は母方の祖母が信仰していたお大師さんと、父方の遠い祖先につながる出雲の神に導かれた旅だったのかもしれません。

寺紋が九曜星だった「光泉寺」のお大師さん


次に立ち寄った「白根神社」。神社巡りの醍醐味は〝隠された歴史〟の探求。古来より大衆の集う寺社勢力とは単なる平穏な宗教施設ではなく、豊富な資金力と組織力で時に権力と結びついたり対立したりする、政治的にも軍事的にも影響力の大きな一大勢力でした。神仏習合や廃仏毀釈もそんな支配層たちの権力闘争の結果にすぎません。

手水舎には美しい花々が


ここ白根神社は武家勝組の象徴〝白旗〟に通じる名を冠し、東国や熊襲など大和朝廷の抵抗勢力を討伐した日本武尊が御祭神。その摂社としてひっそり佇むのが諏訪神社と沼神社。諏訪神社はもとより沼神社も、鳥取(因幡国)の売沼神社や広島(備後国)の沼名前神社につながる出雲ゆかりの神様です。太古の昔にこの地で繰り広げられた権力闘争が鮮やかに甦ります。

白根神社の境内に古代出雲に通じる2社が鎮座

温泉街の土産物店でできたての温かい温泉饅頭を試食し〝たまごの湯〟に浸かった温泉卵をいただいたあとは、宿に隣接する「片岡鶴太郎美術館」を訪れました。絵画好きだった「草津ホテル1913」の前オーナーが鶴太郎氏に働きかけて建てた美術館。宿泊客は割引料金で鑑賞できました。

片岡鶴太郎美術館へ

片岡鶴太郎といえば我々の世代にとっては、ガムテープを全身に巻いてそれを剥がされる時の大袈裟なリアクションや、小森のおばちゃま、浦辺粂子、坂上二郎などのモノマネで一世を風靡したお笑い芸人。しかし、30歳を過ぎた頃から自分の生き方を見つめ直した鶴太郎氏は、一念発起しプロボクシングのライセンス取得に挑戦。本来プロ資格は取得できない年齢でしたが合格基準を全てクリア、公式戦に出場できないという条件付でライセンスを取得しました。その後は俳優としても活躍、お笑い芸人を超えた様々な分野でその才能を開花させました。

雲竜[1999年制作]


50歳代半ばに関心を深めた瞑想から本格的にヨガの世界に没入し、62歳にしてインド政府公認のヨガ検定インストラクター最難関レベルに合格。現在も俳優やタレント業を続けながら、食べ物は完全菜食主義を貫き、早朝4時間のヨガを毎朝欠かさない生活を送っているそうです。一旦何かに打ち込んだり、自分を追い込むと底知れぬ才能を発揮する鶴太郎氏。でもさすがに絵画や書など芸術の分野も手がけたと聞いた時には、どうせタレント活動の片手間に制作した〝有名人の道楽〟ではないかと斜に構えた見方をしていました。

高さ4mの大作 千年白梅・千年桜・千年椿(パリ展覧会出品)


ところが広い美術館を埋め尽くす100点以上の作品を目の当たりにすると、見る者に訴えかけてくる本物の芸術作品の迫力に圧倒されました。一点一点の作品それぞれから、芸術家片岡鶴太郎としての魂の声のような何かが伝わってきました。それはあの天才芸術家岡本太郎氏からお墨付きを貰った芸術作品としての完成度の高さゆえかもしれません。今回実物を間近で観て、単なるお笑い芸人や役者やタレントを超えた、芸術家片岡鶴太郎の人間力に心を揺さぶられました。

多芸多才の芸術家・片岡鶴太郎に感服


雨も止んだ翌朝、近くの西の河原公園を散策しました。観光リーフレットには「草津温泉の西側にあるから西の河原と呼ばれる…」とありましたが、湯気の立つ温泉が流れる河原にいくつもの石積みを見つけた時〝西の河原〟は〝賽の河原〟から転じたことが分かりました。日本語の地名には同じ発音でも違う漢字が使われることがよくあります…

石神、磐座、奇石、巨石…古い歴史の自然信仰の名残


平将門を祀る茨城県の「國王神社」は、明治政府から目をつけられるのを怖れて「國玉(くにたま)神社」と名乗った時期がありました。「玉」の字を更に分かりにくくするために「魂」の字に代えて「國魂」とした神社もあります(國王、國魂の名を持つ神社の祭神はいずれも古代史において正統派の天津神の征伐にあった国津神)。土地の名前や家の名前などに同じ発音でも違う文字を当てたり、似たような別の漢字に変える裏には、時の権力者への配慮や忖度、隠された暗号や隠蔽があるのです。漢字が違うだけで賽の河原という諏訪地方のミシャグジ信仰や石神信仰などにも繋がる古代の歴史が風化するのが残念です。

西の河原=賽の河原公園

小学生の頃、国語のテストでは正しい漢字を使わないと点数が貰えませんでした。しかし、そもそも外来語として日本語に当てはめられた漢字です。当初は日本語の音にどの文字を当てるかなど確たるルールがあった訳ではありません。現代の文科省が定めたとおりの漢字の読みや意味に捉われて解釈していては隠された事実を見落とします。常に時の権力者によって書き替えられる真実の歴史(裏歴史)を見極めるには、柔軟な発想で想像力を働かせることも必要です。西の河原という名称には、賽の河原〜塞の神〜つまり古代出雲に繋がる「幸の神(さいのかみ)」信仰が脈々と息づいているのです。


鬼もまた消された歴史の敗者の象徴


西の河原公園のとても広い露天風呂で温泉を堪能していると、再び雲行きが怪しくなってきたので屋内で楽しめる場所をネット検索しました。すると、湯畑からほど近いところに〝ヘビと記念撮影〟ができる「草津熱帯園」があることが分かりました。小学生の時に読んだアントニオ猪木自伝『燃えよ闘魂』の中に、若かりし頃の猪木が海外でニシキヘビを身体に巻きつけている写真がありました。以来一度は体験してみたいと思っていたのですが、アフリカ旅行にでも行かない限り無理だろうと諦めていました。まさかこんな場所で体験できるとは思いませんでした。

猪木寛至著「燃えよ闘魂」より


草津熱帯園に到着。展示ホールに入ると白いコブラとマレーガビアルがお出迎え。白蛇はインド神話の女神サラスヴァティ(弁財天)の化身で、ガビアルは同じくガンジス川の女神ガンガーの乗り物クンビーラ(金毘羅)のこと。日本でワニといえばクロコダイルやアリゲーターですが、インドではガビアル。インドの人々に怖れられていたコブラとガビアルが合体して想像上の生き物「龍」が生まれました。仏教伝来よりはるか昔、インドで崇められていた龍蛇神が太古の出雲に伝わり信仰の対象となったのです。出雲大社の神迎祭ではウミヘビの剥製が用いられますが、個人的には出雲大社の御神体は蛇(龍蛇神)だと考えています。

インドのコブラとガビアルが合体して龍になりました


大蛇を首に巻きたいなんて変わり者はあまりいないだろうと思っていたのですが、イベント開催時間前、我々よりも先に既に若い男女のカップルが順番待ちしていました。話を聞いてみると楽しみにしているのは女性のようで、男性の方がつき合わされている感じでした。撮影に使われる大蛇は全部で3種類。その日によってどの蛇になるか分からないとのことでしたが、登場した大蛇は想像よりもかなり太く大きな黄金色のビルマニシキヘビでした。

念願だった大蛇を首に巻いてツーショット撮影

飼育員さんにヘビの名前を訊ねたところ「ギドラ」と教えてくれました。「え?キングギドラですか?」と訊き返すと嬉しそうに「そうです、そうです!」と笑顔で答えてくれました。確かに黄金色に輝くこのニシキヘビは、八岐大蛇のように複数に別れた頭を持つ全身金色のキングギドラそのもの。センスの良いネーミングだと思いました。待ち時間に沈思黙考していたパートナーでしたが「やっぱりせっかくの機会だから」と一緒に記念撮影。施設の老朽化した狭いケージの中にいる生き物たちを観ていると様々な思いが去来したものですが、若い飼育員さんたちのやる気と熱意の伝わる良い熱帯園でした。

滅多にない機会だからと記念撮影!


歴史ある草津温泉は、さぞかし古く寂れた温泉街かと想像していたのですが、今どきの若者にも受け入れられそうなスイーツのお店あり、見慣れた〝足湯〟のみならず目新しい〝顔湯〟や〝手湯〟もあり、木の香りのする新しい木造の建物あり…と、湯畑のほかにも新しくできた〝裏草津〟という観光スポットは悪天候にも関わらず大勢の観光客で賑わっていました。予想していたインバウンドの外国人よりも日本人の若者たちやカップルが目についた若々しく活気ある温泉街でした。

温泉たまご専用〝たまごの湯〟


円安、日本ブームという一過性のインバウンドに頼らずとも、新しい客層を取り込んだ草津温泉。いつの世も新しい時代を切り拓くのはエネルギッシュな若者たち。かつては隆盛を誇りながらも次第に若い支持者を取り込めなくなり、既存支持層と共にコンテンツも懐古趣味よろしく高齢化し時代から取り残されるオールドメディアや、安売りやポイント還元、時間延長しか動員策のないオワコン業界のように、若者たちから見放されると茹でガエルか井の中の蛙のように時代から取り残されます。歴史や文化をしっかりと継承しながら新しい取り組みへの挑戦も怠らない、そんな姿勢がここ草津という歴史ある街をきっとこれからも発展させて行くことでしょう…

夫婦円満 子宝 ぴんころ地蔵 人々の究極の願いか…

ダムに沈んだ村に想いを馳せ、美術館で本物の芸術に触れ、湯畑や神社で神話の世界から現代にまで至る歴史絵巻を堪能し、老朽化した昭和の施設で栄枯盛衰を実感…そんなさまざまな想いが胸に去来した温泉旅になりました♨️