雪景色・絶景の旅〜袋田の滝、大甕神社、二ツ島 | Rememberのブログ Love & Harmony゚・:,。☆

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常陸国の北の国境付近にある日本三大名瀑の一つ「袋田の滝」に行ってきました。旅行当日の現地の天気予報は雪!日頃より晴れ男を自称してる身としては大丈夫と信じていたのですが、残念ながら常磐自動車道を北上するにつれ予報的中。これもまた旅の想い出と潔く受けとめ車窓外の雪化粧を楽しみました。

常磐道から早くも雪模様


袋田の滝近くまで来ましたが初めての訪問だったため、車を停める場所が分からずキョロキョロしていたところ、古い民家のようなお店から女主人のようなおばあさんが顔を出し『ここに停めなさい、無料だから』と声をかけてくれました。

目的地付近では大きな牡丹雪に…


袋田の滝へは観瀑トンネルを通るため、通行税(入場料)を払います。トンネル内はさまざまな色でライトアップ。トンネルの途中に外の景色が観られる開口部があり、突然目の前に大きな滝が現れました。日光「華厳の滝」、熊野「那智の滝」と並ぶ日本三大名瀑の「袋田の滝」。その滝幅は那智の滝の5倍、華厳の滝の10倍もある73mと圧感!トンネルの途中でいきなり視界が開け、幅広い滝がドーンと眼前に迫ってきた時にはその大迫力に圧倒されました。

眼前に現れた大迫力の袋田の滝

滝の目前のエレベーターを50m昇った「第2観瀑台」からは、落差120mを四段に流れ落ちる別名「四度(よど)の滝」と呼ばれるその全景を臨むことができました。那智の滝の落差130mに少し及ばぬとはいえ、さまざまな段幅の自然の断崖を、途中で左右二手に別れながら流れ落ちるさまは、これまでの私の滝のイメージを覆すほどの変化に富む雄大で美しい姿でした。

空海の〝四度の護摩焚き(四度加行)〟に因む「四度の滝」

厳冬期には滝が凍りつき、そこを昇る人もあるとか。秋の紅葉シーズンにはまた違った趣きの自然の演出に包まれるであろうこの滝は、きっと一年のうちにいくつもの表情で観光者の目を楽しませてくれるのでしょう。

「しつかりと 見ておけと 瀧凍りけり」今瀬剛一「凍滝」


到着時、親切に駐車場を教えてくれたお店に寒さから逃げるように飛び込み、温かい常陸蕎麦をいただきました。店の人が迷っている私たちの寒い様子を見かねて親切に駐車場を貸してくれたと思っていたのですが、よく見ると店の外に車が通るたびに、件の女主人は窓から顔を出して駐車場に呼び込んでいました。今日の雪の寒さは客引きには絶好で、この声かけが店の売上を大きく左右しているのが分かりました。

店内BGMは懐かしい80年代の演歌でした…


帰り際、お店の片隅の棚に木彫りの男根と立派な龍の置物が飾ってあるのを見つけました。昨夏に訪れた福島の旅で立ち寄ったお店にも巨大な男根柱があったことを想い出し、陸奥国(福島)同様ここ常陸国にも古代日高見国の、そして太古の出雲王国の末裔たちが「サイノカミ信仰」を持ち込んでいたことを知りました。

古代出雲「サイノカミ信仰」のシンボル男根と龍


袋田の滝を後にして、この日の宿に向かいます。あいにくの降雪により観光の選択肢が狭まったため、慌ててネットで検索したのですが、宿までの道中には屋内で楽しめそうな施設が少なく、チェックイン時間と睨めっこした結果、宿の近くにある神社に向かうことにしました。

真新しい神門とは裏腹に古い歴史ある「大甕神社」


選んだ「大甕(おみみか)神社」はネット情報によると、なにやら数年前にヒットした映画「君の名は。」のスピンオフ小説で取り上げられたとのこと。大きな鳥居と建てたばかりの真新しい神門が目を引きましたが、ゆっくり歩いてみるとかなり古い神社ということがすぐ分かりました。

拝殿へお詣りしているとけたたましい鶏たちの鳴き声が…

境内には古事記の天岩戸伝説に登場する〝太陽の神様を呼ぶ力を持つ〟長鳴鶏が放し飼いになっていました。何処からともなく境内に飛来したカラスに彼らが一斉に警戒の声をあげた時には、思わず日本神話の世界に迷い込んだようでした。

社務所の人の話ではこの神社で生まれた長鳴鶏だそうです


古い神社には往々にして太古の歴史の痕跡が遺っています。こちらの神社のご祭神は、主祭神の建葉槌命(たけはづちのみこと)と、地主神の〝星の神〟甕星香々背男(みかぼしかがせお)。もうこの時点で大和朝廷と出雲王国の分かりやすい対立構図が浮かび上がります。目に入った立看板には、まさしく「大倭国(大和)」vs「日高見国(出雲)」の合戦絵巻の様子が記述されてました。

御神体は境内にある岩山「宿魂石」の上に祀られています


同じ常陸に鎮座する「鹿島神宮」と下総の「香取神宮」同様に、日高見国時代にここを治めていた国津神を襲いこの地を征圧した大和朝廷。大和と出雲の権力闘争の図式は、大国主命の国譲り神話と同じです。〝国譲り〟とは征服者側がオブラートに包んだいかにも神話らしい表現ですが、国盗り戦さの現実はもっと過酷なものに違いありません。鹿島や香取の時と違い最後まで抗ったのがこの神社に祀られている〝星の神〟甕星香々背男。それゆえ出雲神話で最後まで抵抗した大国主命の次男の建御名方神と同一神という見方もあるようです。

鳥居から拝殿へ向かいながらこの龍を見上げると次第に口元が開き笑みを浮かべます…


古い神社、特に大和朝廷の勢力圏外の神社を巡ると、のちの時代の権力闘争の歴史がまざまざと浮かび上がります。いくさで亡くなった死者の怨霊を怖れた太古の時代。征服した側は旧支配者の御霊を鎮めるべく、多くの神社の摂社や末社にはその土地の地主神が丁寧に祀られています。このように時の権力者によって葬られ隠された古代史の謎解きが、私の神社巡りの醍醐味です。

大国主命が祀られる京都安井金比羅宮と同じ「縁切り縁結び碑」がありました

太古の時代に渡来勢力に敗れた地主神の甕星香々背男社へ深甚なる敬意を払いその壮大な歴史絵巻に感慨深くお詣りしました。〝星の神〟と呼ばれたこのご祭神の神紋は、平将門公の次男と言われる安部晴明の五芒星と同じ「セーマン紋(星紋)」で、私の家に祖先から伝わる九曜星と同じく星をかたどった紋だったことにも不思議なご縁を感じました。

神紋は出雲所縁の陰陽道に関係の深いセーマン紋(星紋)


拝殿〜甕星香々背男社に詣でたあとは、崖の途中にある小さな祠を拝み、最後は雪で足元が滑る中でしたが、せっかくなので断崖の頂上の本殿にお詣りしました。ここ常陸国で偶然訪れた古い神社で拝殿の笑龍や天岩戸伝説の長鳴鶏に迎えられ、古代の権力闘争に想いを馳せたしばしの古代史探訪。竣工したばかりの真新しい神門とは対照的に、古い悠久の歴史を感じられる趣き深いお宮でした。

大甕神社限定干支御朱印


泊まった宿は雄大な太平洋を臨む北茨城の磯原海岸の海から突き出た「二ツ島」の目の前にありました。ほのぼのする地元の言葉に迎えられ、部屋に入った瞬間に窓から臨む巨大な二ツ島と雄大な太平洋の眺望は圧感でした。お部屋は清掃も行き届き、寝室のベッドが別部屋の広い角部屋でしたが、何よりこの絶景が最高のおもてなしでした。



大浴場の露天風呂も大人が二人入ると満杯になる程度の広さでしたが、目の前のこの雄大な絶景を独り占めできたお陰で贅沢な露天風呂になりました。偶然隣に入ってきた若い経営者のお兄さんがアパレル関係ということで、仕事柄思わず昔話に花が咲き、のぼせそうになりました。



「二ツ島」と言いながら大きな島が一つしか見当たりません。調べてみるとかつては二つあった島の小さい方は2011年の東日本大震災の地殻変動で消失したそうで、今は小さな突端がわずかに波頭に見えるだけでした。雪で予定外の神社を訪れ、思いがけない古代史散策をしたせいか、太平洋に聳え立つこの二ツ島、その大きさやカタチがかつて出雲の稲佐の浜で見た「弁天島」にしか見えませんでした。

上:北茨城磯原海岸「二ツ島」 下:出雲稲佐の浜「弁天島」


雪景色の寒い道中ではありましたが、袋田の滝の大迫力に圧倒され、道の駅や宿の女将の話す「西のズーズー弁」と言われる出雲弁にも似た純朴な茨城訛りに癒され、夕食で初めて味わった美味しい「あんこう鍋」に舌鼓を打ち、宿の人たちの心のこもったおもてなしに触れ、雄大な海の音に抱かれながら眠った冬の旅は、今回も予想外に太古の歴史につながる想い出深い旅になりました…