さとう式リンパケアインストラクター南智芳です。
ご訪問ありがとうございます。
好き、だけの世界で生きる
今の私のテーマでありこれまでも少しずつながら苦し紛れにもその選択をしてきたことを思い返します。
学生時代は学校がずっと嫌いで
小学校に上がった瞬間から
どうして毎日決められた時間に必ず行かないといけないのか
この不満から学校が嫌いでした。
高校になると有給消化と称して
補講に引っ掛からない範囲内で遅れたり休んだりを母親には内緒でしていました。
中学の頃には自分の将来を考えた時に自分で仕事をしているだろうとうっすらと思い浮かべていました。
会社員の自分が想像できなかったので。
だけど生真面目な性格が自分にこうあるべきと
妙な枠を作っていたのでひとまず会社には属さないとと
好きで選んで就職したはずのエステサロンでも仕事のしんどさばかりに直面していました。
そして子供が小さくて専業主婦をしていた時も
主婦たるものは家事をきちんとこなして
子育てを真面目にしてこそと
優しい母親らしく出来ない自分を誰も責めていないのに勝手に責めたり
毎日何品もおかずを作れない自分を責めたり。。
そもそもそんなを要求されてはいなかったことに後で気付いたのですが、笑
家事と子育てだけでこのまま私という『個』は死んでいくのかなと不自由さを感じ離婚を望むようになりました。
もちろんそんなことだけで離婚を要求出来ないことも分かってはいたので漠然と日々を過ごしていました。
そこへ色々な問題が発覚し私が望んでいた離婚を自分から切り出せる状況になったのでした。
事態が複雑に大変になればなる程不謹慎ですがワクワクしたのを覚えています。
その時私の中で生活には困るだろうという不安がなかった訳ではありませんでした。
むしろ経済的に苦しくなることは100%目に見えていました。
だけど自由に生きることとを天秤にかけたら迷いもなく自由を選んでいました。
安定という制限の中よりも自分で全てを決定できる中で生きたい。
(その制限の殆ども相手が要求したものではなく自分が作り上げたものでしたが、今思えば)
子供のことを考えなかった訳ではなかったけれど離婚は自分のためだけに決定出来たことでした。
誰かを喜ばせたいとか悲しませないようにという感情は一切なしで
誰がなんと言おうと自分が決めたことだけを実行したのがこの時、もしかしたら初めてだったのかもしれません。
実際に離婚をして5年以上は大変で今振り返るとよく生活できていたなぁという期間を過ごしてきましたが。。
だから今の状況は全て自分が選択してきたことだから
全てが満足いくわけでなくても自分にとっては結果オーライなのです。
制限の枠の外で生きることを自分に課してきたから。
今自分の子供が楽しそうに好きに毎日を過ごしているのを見て
自分は子供の頃、自由よりも『嫌い』の制限の中で生きていたなぁと感じます。
だから大人の方が絶対に良いと思っていた子供の頃
なのにその大人になって自由を感じられるようになったのはほんの最近、笑
そして自分が制限を外したからといって誰も困らないし何とも思っていないことに気付いたのにもようやくの最近、笑
近所のバーにて。
店長ハネムーンノタメオヤスミイタダキマス
こんなことしてみたいっす。てか、いつかやります。
最後までお読みいただきありがとうございます。
大阪阿波座とろけるリンパでスタイル美人ダイエット
さとう式リンパケアインストラクター南智芳でした。
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