ひさかたの 先の月には 更新なし ひたすらただただ お詫びするの図。

申し訳なさの表現のために偉そうなスーツ姿の男性3人並びのイラストを選んでみた。

 

実は先月は別件で祭りが発生してしまっていたので…と必死に言い訳をさせていただく。

 

 

これらは別名義でぽちぽちしているブログのエントリーなのだけれど、平たく言うと新潟県糸魚川市周辺の宝石の川の姫神に呼ばれて糸魚川にでかけた経緯を説明したものだ。

 

ご存じのように、糸魚川は翡翠の世界的な産地である。

というか日本ではここでしか宝石レベルの翡翠は採れないのだそうだ。

飛鳥時代の飛鳥寺五重塔心礎には舎利容器に糸魚川製の最高品質の翡翠の勾玉が収められたのだとか。

飛鳥寺といえば蘇我氏の氏寺でありながら、国家の威信をかけて造寺をしたお寺である。

糸魚川のフォッサマグナ・ミュージアムで買った「翡翠ってなんだろう2021」という小冊子にも、飛鳥寺心礎から発見された勾玉の写真が掲載されていて「これ摩理勢さんも見たんだろうなー」とのんびり眺めていたりした。

 

ところが、糸魚川駅のコンコースで観光ポスターを見てペーター驚愕。

ポスターの写真と上の写真は違うのだけれど、左手の直立する岩の崖に見覚えがあるのだ。

この崖を左手に見てオレンジ色に染まる雲を眺めた摩理勢さんの記憶を視たことがある!!

摩理勢さんは日本海側だということを私に教えてくれていたのだが…。

糸魚川のヒスイ峡の景色だったのか…凝視

くりびつてんぎょう。

 

現地の神社さんには別の前世で会った僧侶が絡んでいたり。

幾重にも糸魚川には縁があったらしい。

更にくりびつてんぎょう。

 

そういえば、豊聡耳皇子(とよとみみのみこ=聖徳太子)も一緒にその糸魚川に行ったような印象を得ていたのだが。

もう一度摩理勢さんに確認してみた。

その通り。

皇子とご一緒したらしい。

聡い方は何を考えているかわからないところがあって、いきなり越の国の糸魚川に行こうとなった様子だ。

宇治川~琵琶湖は船での移動だったみたいで、茶色い帆を背に嬉しそうに景色を眺める皇子の姿も見せてくれた。

皇子は法隆寺や四天王寺以外にもいろいろな寺院を建立しているから、飛鳥寺みたいに糸魚川の翡翠の勾玉を塔の心礎に納入したのかもしれなくて、それを現地に見定めに行ったのかもしれない??

 

というわけで。

遣隋使の話はまた今度。