昨日のブログではアドラー心理学の知見、目的論について綴りました。
「私が悪かったから」という原因論でご自身を責めるのではなく、
不登校という状態を通じてこの子を何を為そうとしているのか?
という目的論の立場から考えてみることで、新たに見えてくることがある。
そんな内容を綴りました。
原因論で語られる「過去」。
そもそもこれは本当に客観的事実なのでしょうか?
フランスのジャック・ラカンというとても頭のよい人はこう述べています。
「私たちの過去の記憶は前未来形で語られる」
私はこの話を初めて本で読んだとき、
「確かにそうだ!」
と豊栄の図書館の片隅で膝を叩いたことを今でもよく覚えています。