前回のブログで、「あなたのためを思って」という愛情を偽装した「欲望」ではなく、
「愛」を持って子どもと接することが大切なのではないか、と綴りました。
「愛」とは、「相手が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ち」でした。
そしてそれは、相手に関心を持つことから始まる、関心の矢印を相手に向けること、と綴りました。
では、具体的にそれは何をすることなのでしょうか?
私が思う、関心の矢印を相手に向けるとは、話を聴くことです。
「聴く」と「聞く」の違いを考えたことはありますか?
字が違うということは、この二つの言葉の意味するものも当然違います。
「聞く」とは、こちらに受け取る意志がないのに情報が耳に入ってくることです。
例えばなんとなくつけたテレビの情報に触れている時などがそれです。
「聴く」とは、相手の発する言葉を能動的に受け取り、関心を持って分かろうとすることです。
「聴く」とは自分の考えを相手にアドバイスすることと勘違いされることがよくありますが、それは相手を分かろうとする行為ではなく、
「ああ、この人は要するにこういうことで悩んでいるんだ」と高をくくって分かった気になって、
自分の思う正解を相手に押し付けることで、それは「聴く」とは程遠い行為です。
またそのようにアドバイスをしてしまうと、相手は「この人は自分をわかってくれない」と自分の殻に閉じこもってしまったり、
再び困ったことがあっても自分で解決できず依存的になってしまったり、という結果を引き起こす場合が多いのです。
「聴く」とはそのようにアドバイスという形で自分の「欲望」を相手に押し付ける行為ではなく、
その人がその人らしく生きていけるように、解決する力はその人の中にあるのだと信じ、
相手の脳内整理作業を手伝うようなイメージ、「愛」に基づいた行為です。
よくご家庭から、「子どもが話を聴いてくれない」というご相談を受けますが、
それはお子さんが普段から話を聴いてもらっていないと思っている証拠かもしれません。
人間関係には返報性というものがあります。相手からもらったものを相手に返そうとする性質です。
例えば、相手から温かい言葉が届けば、自分もそれを相手に返そうとしますし、
冷たい言葉が返ってくれば、やはり同質のものを相手に返そうとしてしまいがちです。
そういう返報性の観点から考えれば、話を聴いてもらえないのは、もしかしたらご自身が普段お子さんの話を聴いていないからかもしれません。
裏を返せば、ご自身が話を聴けるようになれば、お子さんも話を聴いてくれるようになるということです。
それは決して「親の言うことを聞く」「聞き分けがよくなる」という意味ではありませんが。
それでは話を聴くとは具体的にどのような行為なのか、次回綴ってみたいと思います。
続きます。