前回のブログで、関心の矢印を子どもに向けるとは、具体的には話を聴くこと、というお話を綴りました。
それでは、話を聴くとは具体的どうすることなのか、今日は話の聴き方について書いてみたいと思います。
ご家庭に伺っていると、「子どもが全然話してくれない」というご相談を受けることがあります。
中学生、高校生ともなれば、精神的に自立し始めて、そもそも親御さんにそんなに話すことがない、という場合もあると思います。
それは心の自立が順調に進んでいる証拠であり、寂しくとも喜ばしいことであると思います。
心配なのは、つらい気持ちを抱え込んでいるのに誰にも話せない、自分の親にさえも話せない、という場合です。
そういう場合、なぜ話せなくなるのか?
ご自身を振り返って、そういうことを話しづらい人はどんな人でしたか?
私の場合ですが、困っていても、辛くても、この人に話しても無駄だろうなぁと思うような人は、
話を聴くことをアドバイスすることと勘違いしているという共通項があるように感じます。
自分自身と相談者を同質の人間であるとみなし、
「この人は結局こういうことで悩んでいるのだろう」と高をくくったような態度で接せられることで、
分かってもらえていない、分かろうとしてもらえていないという気持ちが余計強くなり、この人に相談するんじゃなかったという気持ちになる。
私にはそんな経験があります。
お子さんが、辛そうにしているのに、何も話してくれない。
見守る側としてはとてもつらい状況ですが、お子さんがもし何も話してくれないならば、
それは話を聴く=アドバイスすることという勘違いがあるからかも知れません。
聴くことがアドバイスすることではないならば、聴くこととは何なのか?
続きます。