人にとって「母なるもの」とは特別な存在。
世間的に見ると困難な状況にあったとしても
お母様が、お母様の役割を担う方が当事者意識を持って
お子さんに寄り添うことで子どもたちは立ち上がる
トーマス・エジソン、坂本竜馬、僭越ながら私の事例
三つを紹介させて頂きました
=安心感=
人はなぜ強くなれるのか?
人はなぜ優しくなれるのか?
人はなぜ創造的になれるのか?
私はその人の根底に安心感があるからだと考えます
どんな状態の自分であれ
見守ってくれる人がいる
受け容れてくれる人がいる
その中で心の中に安心感が育まれ
困難の中で動けなくなっていた人は
また立ち上がっていくのではないでしょうか
=無条件の受容=
昨日のブログでも書いた通り
私は新潟県阿賀町の山の中
小さな小さな村で生まれ育ちました
全校生徒は10人前後の超小規模校
何をするにも人手が足りず
運動会、文化祭、餅つき大会、虫送り、ふるさとウォーク、スキー授業
様々な学校行事にたくさんの地域の人が参加してくれました
まだ幼い無力な子どもである、という
条件とさえ呼べないような条件さえ満たせば
見守ってもらえる、受け容れてもらえる
そういう温かな環境からも、子どもの頃の私は安心感をもらっていたのだろうと思います
地域のコミュニティが希薄化し
親や先生以外の大人と触れ合う機会を子どもたちが失いつつある今
見守ってもらえる、受け容れてもらえる安心感に抱かれぬまま
学業、部活、アルバイトなど条件付きの評価の世界に投げ込まれている
その中で心の中に寂しさをため込んだ子どもが気持ち一杯になって
動けなくなってしまったり、問題行動に走ったり
あくまでも個人的解釈ですが、私にはそんな風に感じられます
=次の世代に手渡せるもの
時代の移り変わるスピードは年を追うごとに速くなり
大量生産大量消費に依拠した経済成長は立ち行かなくなっています
今、大人でさえも5年先、10年先を見据えるのが難しい時代ではないでしょうか
そんな先を見通すことが難しい時代
私たちが次の世代に手渡せるものとはなんでしょうか?
お金、土地、インフラなど具体的に形のあるものも確かに大切だと思います
しかし私が考えるのはもっと根源的なもの
それは、安心感と考える力です
心の中に安心感があり、自ら考える力をもった人間ならば
どんなに目まぐるしく世の中が移り変わろうとも
自分自身を拠り所しつつ、他者と協働し生き延びていける
私はそう考えます
安心感と考える力
私が学習を通じて子どもたちと関わり、親御さんのお話を聴かせて頂く理由
それは、かつて私がそうしてもらったように、次の世代にこの二つを手渡す為なのです