事実と解釈の区別 | パニック障害と嘔吐恐怖症状を自力で治療克服した方法(運営終了・告知・記事倉庫のみ)

パニック障害と嘔吐恐怖症状を自力で治療克服した方法(運営終了・告知・記事倉庫のみ)

10年以上、パニック障害と嘔吐恐怖で苦しんだ私が、薬無しで自力克服したお話。あきらめないで!ちゃんと治そう!! 

外側の何かが変わった時に、それは奇跡だ!と主張しますが、実際はあなたの認識が変わったから、それが起きたに過ぎません。あなたの中のエゴ(自我)が変わったからこそ、外側にそれが現れた。外側はあなたの内側の現象に過ぎません。あなたが奇跡を起こしているのです。2018/03/03 Twitter

自分の納得するものを求める事と、納得する理由を探すことは、少し違うかもしれない。感覚と理屈に分けるとするならば、理屈は機会を逃しやすい。感覚的なものを大切に。見つけたあとの理屈はいらない。2018/03/04 Twitter

現実としての怖れは、たしかに去っているわけではなく、この先に起きるかもしれない。なので怖れを自分の中で無きものとするのは不可能でしょう。ならば、「今は怖れを選択しない」とすればどうでしょう。それは確かに存在はしているけど「今は選択はしない」とすればあなたの本音には優しい。2018/03/04 Twitter

我に帰れば、ため息もでるような現実はそこにある。それさえなければ、もっと楽しめるのにと嘆きたくもなる。でも現実は変わらないのであれば、自分自身の「今この時間」だけは、ため息の出るような選択を「あえて」するような事はしないでおこう。2018/03/04 Twitter

万が一の時に、将来の何かの時に、貯めてきたお金、情報の数々、「貯めれば」「溜めるほど」、なぜか今が不安になるのは何故だろう。そして、また「その時のために」と集め始める。いっこうに今に生きれず、今が不安でならない。そんな人は多いはずだ。2018/03/04 Twitter