ある事が起きた時、人は反応し、逃げるか闘うかの、どちらかのモードになります。
日常的に言えば、無視するか、関心をもつか…関心を持つとは、それをどうにかしよう、解決しようという意図があるわけで、そこには「~しなければならない」という思いがこめられています。
同時にそうした義務感は「抵抗」を生み出し、結果を恐れ、また結果によっては不快な気分となるのです。
無視しておくか、関心をもって関わるかを選択することは、けっこう難しいものです。
さて、ある事が起きて、まっ先に反応するのが、思考であります。それに対して何をとっさに考えついているか、その思考によっては、その後の気分も台無しに。
気分的に不快になりたくなければ、あなたは、無視しておくか、関心をもったのなら、それに様々な思考エネルギーを注ぎ込む前に、あなたは、その思考を客観モードで表現しておく必要があります。
「私が」「私は」という主観モードは、あなたが組み立てた過去の体験から得たストーリーに、今起きたことに肉付けをしてしまい、事実を見ているようで見ていない可能性があるのです。
その余計なストーリーにあなたが踊らされている可能性があるので、あなたはそれに気付かなくてはならないのです。
ある事が起きた時、「私は…思った」「私が…感じた」ではなく、単に「起きた事」と、自分を切り離すことが大切。
「起きたこと」に、自分の感想はいらないのです。あくまで起きたことは、「起きたこと」なだけ。
ただ、それだけ。
あなたが起きたことに関心をもった時、あなたはあっという間に、過去の体験や、未来への予測というものをもって「ただ起きたこと」にくっつけてしまうのです。
そのくっつけた量が多ければ多いほど、(思考の暴走)本質は捻じ曲げられ、あなたはますます、「今」にいることができずに、起きたことに振り回され苦しむのです。
のどの締め付け感に気付いたとき、「私、今、のどが苦しい!」ではなく、単に「のどの締め付け感が起きている」
嘔吐発作になったとき、「どうしよう、私、気持ち悪くなって吐くかも」ではなく、「気持ちが悪くなっている」だけ。
自分の感想、感じ方を「私は」「私が」モードで表現せず、ただ起きている事だけを描写するのです。
最近暑い日が続いていて、つい「あー、あちい、だるいなぁ」と主観モードで感想を口に出すのでは、だるさはますます意識されてきます。
暑さ側からすれば、単に「暑い」だけ。
客観モードで言い直せば、「今日は暑い日になりました」だけです。これ単なる事実ですよね。
主観モード、感想モードに深入りすれば、するほど思考は暴走して、思考によっては気分もどんどん滅入ってきます。
確かに、自分の体験が元になっての感想なので、今起きていることは、根拠があり正しいことだと解釈してしまいますが、実は自分が作り出したストーリーに自分が迷い込んでいるにすぎないというとを、しっかりと認識してほしいのです。
「どうしよう、どうしよう、やばい、やばい!」は、ほとんどの人の決まり文句でしょうが、これ典型的な主観モードですよね。起きたことと、あなたの感じ方(感想)は別物として分けてとらえなおしてみましょう。
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