折り返し地点を過ぎると色々な問題にぶつかる。

物事を起こしたときは、必ず初期の段階と、折り返し時期と、もう一歩と言うときの3つの

大きな障壁にぶつかることがある。

その障壁を乗り越えることができてはじめて「ゴール」を迎えることができる。

私も今まで事業として常識では考えられないことを何回も立ち上げ、失敗し、転んで

馬鹿にされて、陰口言われてきたことが何回もある。

でも、くじけず一歩一歩歩いてきた。

もちろん、現時点でも私をよく言う人間と、悪く言う人間入るかと思う。

でも、悪く言う人間に何か弁解をするつもりはない。

なぜなら、物事を起こすには、必ずYesとNoの意見に別れるからである。

NOと言う人間に、納得させることに力を注ぐより、Yesといってくれる人たちと、

本気で取組むことに時間を費やすことが大切だと私は考えている。

過去には、Noの人たちに自分の本音を伝え、何とかYesになってもらおうと努力してきた。

でも、全てが逆の結果を生んだ経験がある。

Noと言う人間とははじめから縁がなかった人たちであり、縁がない人と何かをしたとしても

必ず失敗することを経験してきたから、私はNOという人とは物事を一緒に進めることは今はしていない。

私は当たり前のことをしたいとは思っていない。

飯を食べる為に、何かをする気はない。

私がこれから時間を使いたいことは、

本気でぶれない夢を持っている人を応援したい、今の常識と言われる何かを変えたい、

そして、少しでいいから自分の幸せを感じたい、ということだけです。


もう駆け引きとかしたくありませんし、面倒な人間関係も作りたいとも思いません。

本音で話せる、本気でやる気がある、お金じゃない夢や希望を持った仲間と仕事をしたい、

そう思っています。


でかくなるつもりもない、目立つつもりもない、ただ、本当の仲間と本気の仲間と仕事をしたい、何かを変えてみたいと思うだけです。


私の会社は「夢」を作り続けたいと思っています。

金儲けだけが頭にある会社なんか興味ないし、金儲けだけを考えている会社には、

金なんか入らないし、たとえ入ったとしても右から左、、、の世界ですよ。

私は今日あることで自身の生きるべき方向性を見出しました。

今まであること②目をつぶり、あることを我慢してきました。

でも、それがマイナスになることを今日改めて感じました。

もう、ワンマンと言われようが、そんなこと無理だと言われようが、自分の生きる道、

自分が信じる道だけを歩いていこうと思います。

今日が私の人生の折り返し地点だと、肌で感じたので。

さぁ~て明日からまたいっちょ、頑張りますか。

本当に私が感じること。

それは、「本当に必要としている人、会社には金融機関は関心がない」

「本当に悩んでいる人、企業の為の法律はない」

「本当に助けを待っている人々に救いの手は届かない」・・・・・・

色々ありますね。


この世の中、本当に必要としている人、会社のために何かが動くと言うことが少ない、

いや、ないのかもしれない。


例えば、中小企業で本当に資金調達が必要なのに銀行は貸しやしない。

なのに、しっかりしている会社にはお金を貸す。

銀行も不良債権の問題など、銀行としての立場もあるのだろうが、

中小だって、個人だって本当に世の中に必要な商品、サービス展開している会社はたくさんある。

もちろん、全ての中小が資金調達できないわけではない。

例えば、代表者の信用(今までに金融機関から借入してしっかり返している実績があるなど)があれば、

なんとか借入はできるでしょう。

でも、代表者の過去の実績とか、過去のトラブルとか関係あるかい、、、と私は思う。

過去はどんなことをしても消すことはできない。

過去に失敗した人間だって這い上がれる社会でなければいけない。

大学を卒業している人と中卒とどっちが信用があるかって?

そんなことどっちでも関係ないだろう。

過去に何かの犯罪をしたから、社会的信用がない、、、、そんなこと関係あるか。

人は誰でも失敗する、誰でも過去を背負っている。

過去は過去、誰も過去のために生きているわけではない。

今を一生懸命に生きているんだ。


私が上記で書いたことも、きれいごと、社会ではそんなことが通用するとは思っていない。

でも、過去で物事を判断することは絶対に私は間違っていると思う。

犯罪が減らないのは、犯罪を犯したという過去を持っていると色々な障害と規制があるからだ。

過去の過ちは刑務所などで清算したはず。

でも、刑務所から出てきました、、、と言えば、誰もが否定し、誰もが「また同じことをする:」と考え、

誰もが本気で信用することは少ない。


でも、上記の例も「過去」を責めているだけで、私から言えば、「お前も一歩間違えれば刑務所から出てきた

その人と同じ道を歩んだかもしれない、そしてこれからの人生で彼と同じ人生を歩む可能性だってある」ってことだ。


誰も好き好んで失敗をしているわけではない。

何かがきっかけとなって犯罪を犯したのであり、犯罪は全て本人だけの責任ではないと私はいつも

思っている。


確かに自身より弱い人や動物に対して傷つけることは許されない。

でも、その人も生まれたときからそんな卑劣な人間であったとは思わない。

彼が生きてきた人生の中で関わった人々全員に責任がある。


うまくいえないが、本当に心から悪者は居ないし、過去の生き方で人を決め付ける社会が一番悪い。

誰だって幼い頃は夢や希望を抱いて生きているんだ。

その夢や希望を追っている最中に何がたまたまあった。


そして人としてやってはいけないことを犯したかもしれない。

でも、その失敗にけじめをつけてもその人が立ち直る為に「勝負」をかけたい時にも、

その一度の間違いが足を引っ張り、前に進めないことが多い。


人は失敗はする。

失敗をしたことを責めることより、失敗したことにけじめをつけさせ、

そしてきちんとしたチャンスを彼に与える社会でなければいけない。

失敗したら次がない、失敗した人が一生夢を追うことができない社会なんてあってはいけない。


こう書いていると私が犯罪者をかばう?という書き方に見えるかもしれないが、

そういうことを言いたいのではない。


本当に必要としている人や会社に国が、成功者が、政治家が、能書き言うコメンテーターが、

何とかしてやれ、と言いたい。


本当に何かを必要としている人、会社はたくさん居るんだ。

過去で物事を判断するな。


物事の判断は「今こいつが本気なのか」じゃないのか。

死を選んでもこの事に関してはひけない、と言える人や会社を何故応援しない。

もっと「本気」の会社や個人を大切にして欲しい、守って欲しい。

だって、失敗にくじけず今、「生きよう」と考えているのだから。

応援しなければ行けないのではないのか。


こんな熱い人間こそ、社会を変えることが私はできると思っている。

ガンバ!!

まだ、いじめってあるんですよね。

いじめは貴方は亡くなると思いますか?

それとも、いじめはなくならないと思いますか?


私はいじめは100%無くすことは無理だと思っています。

こんなことを言うと、批判もあると思うのですが、

私のひとつの意見として書かせて頂きます。


人が集まれば、意見や気持ちを一緒にすることには無理がある。

同じ人間ではない集まりなのだから、意見や考えが違うことが当然である。

例えば、意見が9対1になれば、1の意見者への見方は冷たくなる場合もあるだろう、

集まりの中で勝手を言う人間がいればその人に対して冷たくなる人もいるだろう、

集まりの中で、何か若干衰えていれば、それを笑うものもいるだろう。

人は、第一に自分を考える。

自分がこの集まりの中でどう生きるのか、この集まりの中でどういう立場に立つべきなのか、

この集まりの中で自分はどう感じられているのか、、、、色々と集まった中で「自分の存在」を優先して考える。

そして、その中に何かが切欠でリーダー的存在が生まれる。

するとそのリーダー的存在に気に入られようと、その存在に負けないようにと、

その存在に、嫌われまいと、、、こんな感じで人自分を中心に立場や今後のこと等を考え、行動する。

そして集まりの中でなんとなく、全員の順位(立ち居地)が決まる。

(順位と言う言い方は適切ではないかもしれないが、ここでは順位として書かせてください)

もっとも皆から低いと思われている人が雑用を受け持つ、皆が面倒と思うことを任される。

何かあったときの矛先の行き場所となる。

こんなことの繰り返しで、最下位の人が苦しみ、悲しみ、いやな思いをする。

でも周りは気がつかない、気がついていても自身の保身のために意見を言わない、気がつかないふりをする。


つまり、いつも人は自身を中心に考えてしまう、物事を捉えてしまう。

でも、それが当たり前なのかもしれないし、そうでなければいけないのかもしれない。

誰かのために自身を犠牲にすることは本当に難しいことなのかもしれない。


でも、人は誰かに愛され、誰かに必要とされている。

上記で記載した例の「最下位の人」でも同じだ。

誰かが絶対に愛している、誰かが必要としている人間であることに間違いはない。


私は「いじめ」をなくすことを考えることより、誰もが「誰かに必要とされる人なんだ」と言うことを

子供達に教えていくことが必要である、子供達に「人は誰もが生きている理由がある」と言うことを

どうしたら心に残すことだできるか、そう考えることが自然な環境にするべきかを考える場所と時間、

人が一番今必要だと思っている。


この世の中に「必要でないこと」はいずれ淘汰される。

いじめ方は違うにせよ、私の小さな頃から、私の養親のときから存在するいじめはもしかしたら人間社会にとって

必要なことなのかもしれない。


だからいじめを100%なくすことより、もっと大切なことがあるのではないか。

なくすことより、もっと急務に取組むべきことがあるのではないでしょうか。


私は弱いものをいじめるのは大嫌いである。

自身より強いものに立ち向かう、強いものに喧嘩を仕掛ける、、、こんな奴が居たら応援したくなる。


最後に、私はこれだけは言っておきたい。

「人は誰でも誰かに愛されている、誰かにとって絶対に必要とされている、貴方を誰かが応援している、

そして貴方が居るから一生懸命に生きようとしている人が必ずいる」ってことを今もしいじめられている人が

このブログを読んでいるのなら心の隅に置いてください。


貴方は絶対にこの世に必要な存在なんですよ。

もし、いじめられているのであれば、逆を言えばそのいじめる集団にとって貴方は必要な存在なんです。

いじめる奴らに言ってやってください。

「お前達、俺が必要なんだろう!しょ~がね~からお前らのそばに居てやるよ」って思いっきり叫んでやればいい。


いいですか。貴方が居るから誰かが生きれるんです。

貴方は誰かにとって絶対に必要な人なんです。

忘れないで下さいね。