貴方が本当に信じれる人は誰ですか。

本当に信じれる人とはどんな人ですか。

どんな人なら本気で信じることができますか。


人は嘘をつくこともあるし、隠すこともあるし、影で誰かの悪口を言う。

これは、誰でも一度は経験したことがあるでしょう。

でも、貴方が誰かを信じ、貴方を誰かが信じている。

互いの信頼関係はなにかがあったからこそ今は成り立っている。


大人になると、大体が「お金」のつながりが多い。

お金がらみ(仕事)の関係で人間関係が構築されていることが多い。

だからすごく人間関係はもろい。

お金の切れ目が縁の切れ目、、、、ですからね。


仕事が切欠で知り合って、その後本当の仲間になることも当然あるでしょう。

切欠はなんであれ、親友、仲間といえる人は、お金、仕事だけの付き合いではないはず。

私が過去に経験したことですが、私が過去に大きなお金を掴んだとき、本当に色々な人と出会い、

本当にたくさんの人が集まってきた。


でも、あることでその掴んだお金をなくしたとき、本当にそばに残ってくれた人は数人だけであった。

だからその数人を私は信じた。

そして今もその数人とは親友であり、そいつの為なら何でもできることはしよう、そう本音で思える。

その後もまたお金を掴むと、良いことを言って過去に去った人が寄ってくる。

でも、私は相手にしなかった。


うまくいえませんが、お金というキーワードは大人の世界では大きな最大のテーマなのかもしれませんね。


でも子供の頃、お金で付き合いしましたか。

お金なんかより、もっと大切なものを互いが持ち、互いの信頼関係が作られていませんでしたか。

同じ目標を持っているとか、もっと単純で幼馴染だから、、、なんてことだけで、親友と思えたときがあった。


そんな時が幸せだったな~なんて今つくづく感じます。


大人になると、一番大切な「人としての心」を失ってしまいます。

大人でも子供でも同じ人間です。

そしてどんな切欠だろうが出会った相手も貴方と同じ人間です。


人間と人間の付き合い


お金とお金、仕事と仕事だけではつまらないですよね。


本当の信じれる人が貴方には何人居ますか。

そして、本当に信じれる人は一生の宝間のですね。



土壇場、、、皆さん「もう終わりだ ・・・・」って考えたとき今までに何回ありますか?

たとえ小さなことでも、もう無理だと感じたこと、思ったこと何回ありますか。

本当に、人は大きさに関係なく「土壇場」を目の前にする機会が生きていれば必ずあります。

その土壇場をどう乗り越えるか、その危機から逃げずに、どう捉え、どう回避する考え、行動に移すことが

できれば人はどんなことにでも勝ち残ることができる。

でも、一人では弱い、人は一人の力では限りがある。

だから仲間がいる、家族がいる、愛する人がいる。

その家族が助け合える環境、何でも本心で話せる環境があるかないかは重要なポイントの一つなんでしょうね。

土壇場=苦しみです。

苦しいのは誰もが避けたいこと、誰もが味わいたくないことです。

でも、生きることとは「苦しみに勝つこと」でもある。

苦しみを知らずに自身の目標や夢にたどり着くことは絶対にありえない。

もし、苦しみを経験せず、目的地にたどり着いた人がいるのであれば、その人はこれから

苦しみを必ず経験するでしょう。


私が何を伝えたいのか、私が何を言いたいのか。

そrは、いつでも人は平等であるということです。

一瞬一瞬は、格差があるかもしれない。

でも、長い目で「人生」というテーマをあげれば「人は絶対に平等である」と私は思います。

確かに地球には、今生死をさまよっている人々がいる。

それは現実であり、好きでそんな環境に生まれてきたのではないでしょう。

その人たちは、苦しみしか知らずに一生を終えるかもしれない。

でも、その死は必ず、何かにつながると私は思っている。

無駄死になんてない。

その人の死が何かを考えさせ、人を動かし、何かを変える力を持っている。

だから、人はどんな人でも絶対に地球に必要なんです。


土壇場、苦しい、悲しい、、、誰もが経験する。

その土壇場を乗り越える勇気、環境が日本にはある。

今派駄目でも明日がある。

生きること、生きること、精一杯に生きること、、、私は毎日真剣に自身のために生きていきたいと思う。

人は誰もが「A」を見て「きれい」と言う人もいれば、「??」と思う人もいる。

つまり、物事を起こせばYesとNoとに必ず別れる。

どちらが正しいか、、、そんなことは関係ない。

Yes派もNo派もどちらが正しいなんてことを誰も決めることは出来ない、そう私は思っています。

なぜなら、人はそのときの感情や、育ってきた環境、学んだこと、今の生活環境等で、

目の前に見えることに対しての意見が大きく変わると思っているからです。


皆さんも、いつもは怒らないことでも、腹の虫がちょっと違うところにあると、「カッー」ってするときがありますよね。普段はなんでもないことでも、時にはなんでもないことで怒ってしまったり、泣いてしまったり、、、、


それは誰もが生きているから仕方ないことです。

それが生きていると言うことです。


誰もがこの瞬間を生きている。

誰も1分前を生きているわけではないし、今から数分先を生きれるわけでもない。

今を生きているんです。

だから、今目の前にあることが正しいとか間違っていると言うことを考えるよりも、

今目の前にあることをどうしたらよくなるか、どうすることで実現するのか、どうしたらトラブル回避になるのか、

どうすることで一番良い形になるのかを皆で考えればよいんです。

一番良い方法なんてないでしょう。

でも、もっとも良い方法を皆で考えることが必要であり、相手を責める必要性と、時間がもったいない。

誰もが自身の大切な時間を生きている以上、相手を責めたり、苦しめる行為は無駄、無断なんです。


でも、相手を愛し、相手を信じ、仲間と思って忠告したり、時には喧嘩することは悪くはない。

でも、忠告する側は、「何故、悪くて、今後どうするかを提案すること、自身の気持ちを建前でなく話すこと」を

しなければいけないと私は思います。


ひとつを見て意見が分かれて喧嘩する、、、、仲間の喧嘩か、ただ単に相手を嫌いで喧嘩するのか、

それとも知らない相手だからこそ文句を言うのか、、、、、色々あるでしょうが、物事には

人それぞれ、見方や感じ方が違うのだから「根本的に自分とは捉え方が違う」ということを理解して

相手の気持ちを考え、自身の感じた率直な気持ちを伝えれば「最高の形」で問題となっていることが

解決するのではないでしょうか。


人は生きていれば色々ありますよ。

今は駄目でも明日がある。

明日は明日の風がふきますよ!


何とかなりますよ。

生きているんですから!