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悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

今朝、

戸棚下段にあるサプリをとろうと

 

床にすわりこんで

作業をしていた。

 

 

 

 

そこで

急に

 

 

 

 

不安

不快

 

 

 

 

な思考と体感が急にでてきたのに気づく。

何の前触れも原因もなく

フワッと出てきた。

 

 

 

 

 

あっ!出てきた!

 

 

 

 

と気づけたし、

気づけたことに驚きもした。

 

 

 

 

あぁ

こうやって何となく

 

不快になったり

今日は気分が悪いと思ったり

人生の不幸とつなげ

 

考え始め

巻き込まれることを

 

してきたんだと思った。

 

 

 

 

※ただ、これも

この場に起こっていることだから

それはそれでいいのかもしれないが。

 

 

 

 

そんな気づきがあったのでメモ。

 

人付き合いについて。

 

人付き合いが得意でないと

そんなにいけないのかな?、

 

と最近思うようになった。

 

以前はいけないと思っていた。

 

 

 

 

 

自分は年賀状こそまあまあするが

普段遊んだり電話で愚痴をいうような

友人はほぼいない。

 

フランクな性格でないし

愚痴を基本言わないし、

年齢のせいもあるかもしれない。

 

基本得意でないと思う。

 

 

 

 

誰でも多くの友人に囲まれ

交流している姿の方に

憧れていた時期はあると思う。

 

また明るい人にもあこがれた時期もあった。

 

 

 

 

一般的にも

人付き合いが上手く、

友達は多いほうがよいと

世間では言われている気がする。

 

人として健全で

幸せなイメージがあるし

 

相談ができる仲間がいる

情報が入ってくるなど

とてもよい面は多いと思う。

 

かつ人脈が広いと

何かと優位だったり、

社会的にえらいのかもしれない。

 

 

 

 

 

最近TVを見ていても思うことがある。

 

テンション高く

明るく元気なのが

そんなに大切なのかな。

 

最新の

おしゃれや食を

そんなに追う必要はあるのかな。

 

 

 

 

 

567(はやり病)は

あれほど大騒ぎをする必要はあったのかな。

 

なんでみんなマスクをとらないのかな。

 

 

 

 

また、

こういう「疑問」をもつこと

考えるということを

日本人はしないし

できなくなっているのではないのかなとも。

 

 

 

 

また

 

お金はないより、あったほうがいい。

ダサいより、おしゃれだった方がいい。

汚いより、部屋は整理した方がいい。

学歴はないより、あったほうがいい。

 

というような風潮もあると思う。

 

 

 

 

 

 

それら価値観で

欠乏している分野を指摘されたとき

人はとても焦ったり

何かを獲得しにとと不安に思ったり

すると思う。

 

 

 

 

 

 

でも、

それは、

 

 

 

 

 

本当だろうか?

 

 

 

 

 

 

本当だとしても

そのOKのラインは

どこなのか?

 

 

 

 

 

 

そもそも

そういう価値観をもつようになったのは

どこからか?

 

 

 

 

 

 

だれかから言われたことを

そのまま受け入れたものだったりしないか?

 

 

 

 

 

 

それを自分に伝えた人は

正しかったのか?

 

 

 

 

 

 

正しさとはあるのか?

正しさとは何だと思うか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう価値観や印象は

どこからの情報で自分のものになったのか?

それは本当か?

 

 

 

 

 

 

 

誰かから得た情報だったら

伝えてきた人の信念がそうなだけかもしれないし、

 

そういう風に言うようにその人は誰かから

命じられたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分はどう思うのか?

自分は何が大事だと思うのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分はどう思うのか?

自分は何が大事だと思うのか?」

 

これを考え自分の中に作ることが

自分軸であり

自分は大事な気がする。

 

 

 

 

奇跡記録:(とても運がよい記録)

 

●野菜の苗を買えた。

 

Amazonの返品で立ち寄った

お店でたまたま

”有機肥料”を見つけ買えた。

 

ふと

やろう!と思え

1Hほどで苗植え完了できた。

 

いろいろ

スムーズにすすめられて

ありがたいなぁ。

 

 

●夜に散歩をしていたら

健康保険証の落とし物を見つけた。

 

3月は、

お金をよく拾っていたので

 

最近

道を歩く時お金ばかり見つけている

自分がいた(笑)。

 

自分の強運を記録していたが、

人がよくなることにも貢献できたきたかもしれない。

 

 

●切りたいと思っていた髪の毛が

 

予定をきちんとしていなかったのに

切に行けた。

 

さっぱりしてよかったなぁ。

 

 

 

 

 

 

私もみなさまも

ますます幸せで豊かで健康でありますよう♪

 

最近、よく書いていることだが、

 

出る思考と感情に

巻き込まれることが

本当に減少してきた。

 

でも、気づくと

巻き込まれていることもある。

 

でも以前より確実に

出てすぐに

それを眺めていられるのは確かだと思う。

 

 

そして、そのうちそれらは

消えていく。

あんなに気になっていたのに

子供のように

ケロッとしている自分に気づく。

 

 

 

 

先日、ふと思ったこと。

相手は本当に悪いのか・・・?

 

 

 

 

3つほど

イライラしかかったことがあった。

 

 

 

 

 

①車で道に侵入した際、

 侵入された車がしばらくあおってきた。

 

② ①のような場面のあおりがもう一度あり。

 侵入のお礼ランプを押したのになぁ。

 

③親に兄弟の不誠実な出来事を話したら

 流された(私は共感してほしかった)。

 

 

 

 

③の時、

親に対して

 

「私は悪くないのに、なぜ兄弟の味方をする。

 かつ兄弟は、色々な家の仕事を放棄している。

 兄弟が放棄し、一生懸命やっているのは私。

 なんで。

 ひどい。」

 

そんな思考が出てきた。

 

 

 

 

何回かその思考が出たと思う。

 

 

 

 

あっ、こういう思考が出ているんだな、

と気づいて、

これ私じゃないのにまたやってるな、

と眺め始めたら

 

 

ふと

あれっ、

悪い出来事は

自分が作りだしているのではないか?

と思った。

 

 

 

●私が親が悪いと思っているだけじゃないのか?

●親は本当に悪いのか?

 

と思い始めた。

 

 

 

 

親は親としての考えを言っただけ。

 

 

 

 

出ている思考が

自分のものでないとか

消えるとか

幻想とか、

そもそも自分はいないとか、

そういう話ぬきに書くが、

 

 

 

 

この場面をよく考えてみたら

 

 

 

 

・親は、子供だから、子供みんながかわいい。

・親としては、兄弟の立場も理解してあげたい。

・親も兄弟の悪い面に共感をしたら、

 悪口に同意しているようになる。

・私の愚痴(結局、すべきことをしない

 兄弟の文句を言っていた)

 を親としては聞きたいものではなかった。

・親は体調が悪かったり落ち込んだことがあったかもしれない。

・そもそも愚痴は親といえど極力いうものでない。

・勝手に親のためと、無理して親のサポートを自分がしていた。

・結局、私は頑張って親のことをしているのは、

 無理しても認められたいとか、

 孝行に基準はないのにやりすぎていたり、

 自分の選択の結果なのではないか。

・親は高齢なのに、期待している自分は何なのか。

・逆に親は兄弟が動かなくて悲しささえあるかもしれない。

 

 

 

 

そういう視点も出てきたら

親が本当に「ひどい」人なのか?

と思え、

 

 

自分じゃないのか!?

悪い事をつくっているのは?

 

 

という考えが浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

親は悪くはないのかもしれない。

 

私の意にそぐう返答はしなかったが、

それが悪いと決めているのは

私なのではないか?

 

 

 

 

私の定義で

悪い人ができただけ。

 

私の定義で

悪い出来事となった。

 

 

 

 

いい悪い

の基準をもっているのは

自分。

 

 

 

 

結局、「悪い」ことが起きたなら、

自分がいい悪いを決めているのだから

 

自分が「悪いこと」を作り出しているのではないか?

 

自分以外に「悪いこと」を作りだせる人はいないのではないか。

 

 

 

 

 

「悪いこと」は自分がつくっている・・・?

 

 

 

 

道路への侵入で

2回あおられたことも上記に書いたが、

それも同様に思う。

 

 

 

2回とも

よく考えると

少し無理して侵入していた。

 

 

 

なぜなら相手の車が

見えている道に

侵入していたから。

 

 

 

だから

 

相手の車も

あおりに思える状態に

ならざる得なかったのかもしれない。

 

かつ、

やはり無理な侵入と感じ

イラっとして

あおってしまったのかもしれない。

 

相手が急いでいた

余裕がなかった事情も

たまたまあったかもしれない。

 

 

 

 

私が勝手に

自分の味方によって、

 

私はタイミングをみて侵入した。

私は悪くない。

道路は譲り合うべき。

それなのにあおられた。

心の小さい人だなぁ。

 

以上のように思ったのかもしれない。

 

 

 

 

そんな風に思ったので、

相手によって不快にさせられた、

相手によって悪いことがおきた、

相手が悪い、

 

としてしまっていたのではないか。

 

 

 

 

つまり

自分の見方で

 

悪いこと

悪い人

 

を日常で、日々沢山、

自分が

作り出しているのではないか。

 

 

 

 

なにか嫌だなというのは

少々あると思う。

 

気が合わない感覚とか

変な感じがするとか。

 

 

 

 

 

しかし、

いい悪いまで決めて

感情が動き出すのは

 

 

 

 

本当にそうなのかな。

相手は悪いのかな。

 

 

 

 

 

自分の見方が違えば

(親兄弟への考え、無理はしない、余裕第一)

 

自分の行動が違えば

(愚痴を言わない、無理な侵入をしない)

 

自分が成長していれば

(愚痴はやめた、超余裕な侵入のみする)

 

悪い人はいないのではないか。

 

 

 

 

 

やはり

自分が

悪いこと

悪い人

を作り出しているのではないか。

 

そんな風に気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

思考や感情が

自分のものでないし

巻き込まれないことも大切だか

 

現実的な

このような見方も

静かなる心の世界をもつには

大切な気がする。

 

 

 

 

 

ある意味、大きな発見ができ、

奇跡記録に書くべきかもしれないが

こちらにメモしておく。

 

 

 

 

親への愚痴も極力やめ、

車が一切見えない余裕十分な状態で侵入を

これからはしていこう。

 

 

 

 

 

 

また悪い人、悪いこと、を

定義しそうになったとき、

 

どうまた

作り出そうとしているか

眺めてみたいと思う。