悟りへの道 -50ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

奇跡記録(よかったことの記録):

 

●朝10時半に話があると、

 親の病気の関係で

 急に病院に呼び出される。

 

 急いで支度し、間に合う予定だった。

 

 しかし、有料道路を通るも

 いつもガラガラの道路が大渋滞。

 

 有料道路から一般道になっても

 渋滞。

 

 もうだめだ・・・という状態だった。

 

 

 

 

 しかし、

 「時空間が歪んで、

  ありえないことなのに、なんとか間に合う」

 設定をした。

 

 

 

 

①すると、

いつも混んでいる

次の国道で、

前にも後ろにもほぼ車なし。

 

 

えっつ!

 

 

ほぼ自分の車1台で道を走った。

こんなこと、一度もない。

そんな状態。

 

 

②そして、

いつも混み

何度も信号を待ち

やっと渡れる交差点。

 

 

そこでも

なんと、

自分が一番先頭車!

 

 

かつ、

後ろにも車がやはりいない。

 

過去に前後に車がなく

その交差点に来たことがない。

 

それも普通に午前の10時頃。

 

 

 

えっつーーーー!

 

 

 

③病院に

到着まじかで

ここでほぼ10時半すぎた。

 

 

数階建ての

病院の駐車場。

 

 

「1Fがなぜか空いている!」

と設定。

 

 

 

 

果たして、

 

なんと、駐車員のおじさんに

1Fのあそこが空いていると

合図される。

 

 

 

おまけに、

広めのとてもいい場所。

 

 

 

えーーーーっ、また強運が。

 

 

 

 

 

④もう時間はオーバー。

 

 

ここで思った。

「お医者さんが遅れて、

 なんだかんだで面談には間に合うはず」

 

 

 

結局、10分弱遅れて

病棟へ。

 

 

 

結局、さらに

10分ほどまたされ、

面談。

 

 

 

間に合った!

 

 

 

 

 

 

 

奇跡の連続でした。

 

 

 

 

 

感謝。

奇跡記録(よかったことの記録):

 

●夜、一仕事してしまおうと書類作成。

 投函しに家をでた。

 

 帰りにふと

 家の周辺を見て回る気になる。

 

 すると、なんと、

 車の車内の電気をつけっぱなしだった!

 2日経過。

 

 急いでエンジンをかけてみた。

 ほっ、バッテリーはあがっていなかった。

 

・するつもりがなかった、一仕事しようとするきになったこと

・その仕事の関係で外にでたこと

・外ついでに家の周りをみたこと

・バッテリーがあがっていなかったこと

 

すべてがつながり、あーついていたな。

ありがたい。

 

 

自己肯定感、

自己肯定感、

そしてまた自己肯定感。

 

 

最近、

ちがうだろうなぁと思いつつ見た動画でも

 

「あなたが人に舐められるのは

 自己肯定感が低いから。

 自分を愛しましょう。」

 

とまとめていた。

 

 

 

最近視点が変わってきたので

「自己肯定感」は

本当に必要なのか?

 

と思っている。

 

 

 

 

 

私が思う結論は、

 

「自己肯定感」が低くても

幸せに暮らせれば、それでいい、だ。

 

そうでしょう!?

 

 

 

 

 

 

 

「自己肯定感」をあげることが大事だと

昔言われて、

 

必死にそれをつかもうとしていた

時期もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

それがないといけないという

のは本当なのか?・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

今、思う。

 

”「自己肯定感」なんてあげようとしているうちに

人生終わってしまう”

 

 

 

 

 

 

 

「自己肯定感」や

「自分を愛する」を

謳っていた指導者が多くいるが、

 

 

指導した人が

 

はたしてどれだけの生徒の

 

自己肯定感をあげ

自分を愛せる

 

ようにしたのか?

 

 

 

 

 

 

そもそも自分を愛する、とは基準がどこにあるのか?

 

その後、数年~10年、20年たっても愛せているのか?

 

 

 

 

 

私はあやしいと思っている。

 

 

 

 

 

むしく、

 

限りなく

ゼロに近いと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

自己肯定感をあげましょう、

自分を愛しましょう、

親ガチャの境遇だったんですよ、

 

と声高に言って、

 

 

 

豊かになったのは

クライアントの心ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊かになったのは

 

指導者の 「懐(ふところ)」 だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自己肯定感」を売り文句にする

ビジネスだった

とさえ思う。

 

 

 

 

「親ガチャ」

「親が悪い」

というのも同様に思う。

 

 

 

 

それを本に書いて

人生が良くなった人がいるのだろうか。

 

自分の人生を憂い

親に責任転化し(親に原因と定義し)ている

人が多数のように思う。

 

 

 

 

 

クライアントも分析されただけで

終わっているということだ。

 

それを活用してどう生きるかにまでいっていないのは

クライアントの責任もあるとは思う。

 

 

 

 

 

 

でも

確かに

「自己肯定感」が高い方が

よい人生を送る確率が高いかもしれない。

 

「親がよい」方が

よい人生が送れるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

でも、

それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

「学歴が高い」方が

よい人生を送る確率が高まるようなもの。

 

 

 

 

 

 

でも学歴がなくても

幸せに暮らすことはできる。

 

幸せな人はいっぱいいる。

 

それに学歴が高くない人の方が

8割ではないだろうか。

 

学歴至上主義だと、

その8割の人が不幸に

なってしまう。

 

 

 

 

ないよりは

「自己肯定感」

はあったらよいかもしれない。

 

 

 

しかし、

 

きっと親からももらえなかったし、

しばらく「自己肯定感」が低い人生だったので

簡単にがりもしないし、

 

今更あげなくてよいと私は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

自己肯定感と

講師や著者はみな

 

軽く言っているが、

 

何が自己肯定感か分かっていないと思う。

 

 

 

 

 

自己肯定感って何ですか???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に自信をもっている

自分はできると信じられる

自分を大事にできる

自分を愛せる

 

そのあたりを答えてくるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは本当ですか。

 

大事にするって何ですか。

自信の持ち方ってそんなに軽くもてるのですか。

 

 

 

 

 

 

 

その自信とか

できると思えるとか

大事に思えるのは

 

何なのかと問うている。

 

 

 

 

 

 

では、何なのか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、繰り返し言っているが、

 

 

思考(セルフトーク)

 

 

なのだと私は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何を思考しているか

どんな思考がでてくるか、

 

その思考がよい

もしくは

思考をコントロールできる

 

これが大事。

 

 

 

これだけだと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自己肯定感」が高い人は

この思考(セルフトーク)が

 

よい、ものが多いのだ。

 

 

 

 

 

逆に低い人は、

 

不安や否定などのセルフトークが

 

多いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

自己肯定感をあげることに必死にならなくていい。

人生を終わっちゃうよ。

 

低いまま幸せになればいい。

 

今、思考をとらえてられることが第一歩。

 

そして、よい思考を増やせることが二歩目。

 

 

 

 

練習は必要。

 

 

 

 

でも、必ず、思考をとらえることの方が

何倍も幸せな人生への歩みを進めることになると

私は思っている。

 

 

 

 

 

思考にまきこまれている人に

多くの気づきと幸がありますよう。

 

そして私もより思考を眺められ

よい思考のもと物事をさらに悟っていきたい。

 

よく、

 

・あの人は酷い人だ

・あの人から酷いことをされた

 

ととらえてしまうことがある。

 

 

 

 

 

最近は、

いつも書くように

 

その思考がでたことをとらえられ、

感情もとらえられているから、

 

大ごとにはならなかったが、

 

しばしば思考が残ることはある。

 

 

 

 

「酷い」

と思うには、

 

何か不満があるわけだ。

 

A.悪い事をされたか言われたか

B.自分には配慮がなかったか(プラスがなかったか)

 

そのあたりではないかと思う。

 

 

 

 

Bについて気づきがあったのでメモ。

最近の例。

 

ある指導的立場の人が

Aさんのことを”よく”言っていた。

 

また

Bさんには”よりよい言葉”をかけていた。

 

というように感じていた。

 

 

 

 

その場目で、思考はきちんととらえられた。

 

でかかった感情もすぐ鎮静したが、

 

出てきた思考は、

※一瞬でダーッとでてきたもの。

 

・AさんやBさんばかりひいきしているのでは?

・ひいきはしてはいけないのではないか

・自分には厳しめで褒められたことはない

・自分も一生懸命やっている、少なくとも普通にやっている

 と思っている

・差別する、ひいきをする、なんて嫌だなぁ

・同じお金を払っている生徒なのに酷い

 

だった。

 

ツッコミどころはあると思うが

そいう思考が出た。

 

 

 

 

でも、そのうち、Aさんが

その指導者を「先生」と呼んでいることに気づく。

 

みんな「さん」づけて呼んでいるのに。

かくいう私も「さん」づけだった。

あぁ、そういうことかと思った。

 

 

また、Bさんは指導者を

慕っている。

異性として意識している感じもあった。

それを思い出した。

 

私は異性なんて1㎜も意識なし。

学びの習得に真剣なだけで

かわいらしさは逆に出すつもりも

出してもいなかった。

 

 

 

 

 

 

あたりまえだなぁ、と思った。

 

 

 

 

 

指導者を特別扱いしているのだから

その生徒は、特別扱いされるのは当然だ。

 

 

 

 

 

 

そして、

 

嫌だけれど

ある人への特別扱いがあったも

自分には厳しめでも

 

一番大事な

 

「指導」

 

はしてもらえている、

 

一番大事な部分は

そこなのではないか。

 

 

 

 

勝手に先生という「概念」を

自分がもって

思考や感情がでていたんだ。

 

 

 

 

 

よしあしは

自分が決めると思っているが、

 

この件もやはり自分だったのだ。

 

酷いと思う事を作り出したのも

「自分」だったのだ。

 

 

 

 

 

先生は同じ態度で接するべき

先生は差別はしてはいけない

先生はお金をもらっているのだから生徒に平等にすべき

 

そんな風に思っていたのだ。

 

そうではないのだ。

 

 

 

 

基本の「指導」の8割ぐらいを

してもらえれば、

 

よしとしないといけない。

 

それだけなんだ。

 

期待していいことは!!!

 

 

 

 

ひいきされても

自分だけよい差別をされても

 

「指導」

がなかったら

 

逆に本末転倒。

 

 

 

 

たとえ

特別扱いされず厳しくされていても

 

「指導」

 

はされているのだ。

 

これで十分なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

そして

人間なのだから

自分を尊敬してくれたり

自分を異性として認めてくれたり

されたら可愛く思い

手を加えたくなるのは当然ではないか。

 

 

 

 

 

よくわかった気がする。

 

 

 

 

 

少しきになっていたことだが、

疑問が解けた。

とても学びになった。

 

 

 

 

 

そして、おまけとして

 

自分は「先生」と今から呼ぶことも

異性として意識したりする気持ちももてない。

 

もてるならそこを努力すれば

また状況は変わるかもしれないが、

 

もてないのだから

現状を受け入れる。

 

概念が間違っていたことを

受け入れる。

 

それだけ。

 

 

 

 

でも

自分の良さのなかで

ベストをつくしていれば(種)

 

何かしら別の形で

別の人から

また新しい花が咲く。

 

あまり隣の花に意識をとらわれすぎない

自分でいよう。

 

 

 

 

 

 

自分のモットー。

 

自分の人生よいことしか起こらない。

 

 

 

 

 

また気になっていたことに

学びがあった。

 

成長でできた気持ち。

 

 

やはりよいことにしかならない

一本道の自分の人生に感謝。

 

そして、皆様も

さらによい人生でありますよう。

 

 

 

 

 

メモのまとめ:

 

●指導者はメインの指導ができていれえば役割完了。

●指導者の細かい接し方に気をとらわれない。

●特別扱いしてなければ同じ態度が返ってくるし、

 もしくは相性もあるし

 好き嫌いもあると、理解しておくこと。

●自分の強みにベストは尽くし、種をまいた置くことは

 行っていく。やがて必ず花になる。

●物事の良し悪しは、やはり自分が作り出している。

 

 

成長に感謝。

そしてますます富、幸福、健康、人に恵まれる自分に感謝。

 

 

 

 

 

奇跡記録:(とても運がいい記録)

 

●母が腰が痛くて1週間弱。

痛みで寝るだけ。

人の手も必要なほど。

 

治る設定にしたら、

連れて行った病院で

骨折はしていなかったとのこと。

 

その日を境に

回復。

 

 

●母は、体調が戻ったことで

昨日少し無理をしてしまったらしい。

 

頭痛、胸のムカムカ、

お腹はしくしく、やる気が出ない、

らしい。

 

それそれの症状が

回復する設定にした。

 

今日連絡したら、

6-7の不調が、0-3になったとのこと。

 

よかった。

ふと疑問に思ったこと。

 

 

 

 

 

ブログ等を読んでいると

キラキラと

絵文字いっぱいで

 

・こんなところに行きました

・こんなにいいことがありました

 

という文章をよく見かける。

 

 

 

 

 

 

そういう自分も

昔は

そう書くのがいいと思って

書いていたこともあった。

 

 

 

 

 

 

でも、今。

 

 

 

 

 

 

それは、

テレビ的だなぁと感じる。

 

明るくて

刺激的で

色彩豊かで

新しい情報で

行くべし的で

 

目の前のことに一喜一憂しているような

感覚がある。

 

 

 

 

TVはそれで広告主の意に沿い

ブログの大方はクライアント獲得

 

という目的があるから

仕方ないとは思う。

 

 

そして、TVは

意図がある人が

意図して使う「洗脳装置」だと思っている。

 

 

刺激だけでなく

真面目なニュース番組でも

意図があるなんて信じられないという

「日本人」が大半だとは思うが。

 

 

 

 

 

 

 

よく見極めないと

それが

 

正しい

 

ように思ってしまう錯覚が起きる。

 

 

 

 

 

 

 

「万事塞翁が馬」

を通り越し

 

「自分の人生はよいことしか起こらない」

と思っている。

 

 

 

 

 

そう思っていたら、

 

何かあっても

 

喜ぶか

どうとらえようかとさらに落ち着いているかもしれないが、

 

一喜一憂はなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

だって、すべて良い事なので

 

悪い事がなくなるのだから。

 

 

 

 

 

 

良いも

悪いも

 

自分が判断しているだけ。

 

 

 

 

 

 

 

判断というのは

 

そういう良し悪しの

思考がぱっとでてきただけ。

 

 

 

 

 

ほんとうだろうか?

 

 

 

 

 

さらに言えば

そういう判断をする

 

思考習慣がでている、

 

そういう習慣が強め

 

とも言える。

 

 

 

 

 

 

 

そして生まれつきの

性格的なものもあるだろう。

 

例えば

選択理論の5つの欲求というものがある

「生存」、「愛・所属」、「力」、「自由」、「楽しみ」

という5つの欲求。

(天性のものと言われている)

 

これらの欲求で何が強めかで

その人の価値観がかわる。

 

そのもった性質=価値観でみたら

物事の良し悪しの判断も変わるだろう。

 

 

今は、思考中心に記載したいので、

この話はここまでにしておく。

 

 

 

 

 

 

毎日読んでいるマーフィーの本。

毎日抽象度をあげる勉強。

 

そして、

毎日思考をとらえようとしている試み。

 

これらを通し、

 

”思考が全てじゃないのか”

 

あらためて思っている。

 

 

 

 

 

 

どれだけよい思考を多くできるか。

 

 

 

 

 

 

 

究極はここなのではないか。

ここから見える景色を

結局人は求めているのではないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

よい思考というと

漠然としているが、

 

 

 

良い思考を多くするというのは、

 

悪い事を考える思考を減らす

良い事を考える思考を増やす

 

の2つがあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

悪い思考を減らすには、

 

悪い事を考えないよう努める。

考えるならば改善策。

早めに切り替える。

細かい事にこだわっていないか何か重要かを考える。

目的を考える。

 

 

 

 

良い思考を増やすには、

 

常に思考を見張る。

出た思考をとらえる。

どの場所で出やすいか

どうしてそれを考えたのか

それは本当か、と考える。

よい言葉をとなえる。

良い言葉を紙に書く。

よい言葉を音声で聞く 等々

 

まだまだあると思うが、

 

 

 

 

 

 

簡単に書いたが

両方ともやろうとしても

 

たぶん

2-3日でやらなくなるのでは

と思っている。

 

 

 

 

 

 

 

なぜなら

過去の自分がそうだったから。

 

そして

出来ていたらみな成功しているから。

 

だから

多くの言い回しを変えただけの自己啓発書が何万冊も出続け、

決してその一冊で終わらない

 

 

 

 

 

 

 

 

ではどうしてできないのか。

 

それそれやるには

色々とコツがいると思っている。

 

だから、

コツがつかめないと結果がでない。

 

または、

コツをつかめた状態より、達成まで多くの年数がかかる。

 

 

 

 

 

以前2人の人に

この「良い思考の重要性」だけ話したら

 

ぜんぜん未完成な

ちょっとズレた方法で

実行しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

そうじゃなく

こうやるんだよ

 

 

と言って初めて

 

はっとした顔をして

 

「コツがあるんだね」と言い

理解したようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう書くと

野球やサッカーに

似ているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

バットはふれる。

ボールもなげられる。

ボールも蹴れる。

ルールはしっている。

 

 

 

 

 

 

 

これだけで、

本当は

野球もサッカーもできる。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

ゴールに入れられたり

ヒットが打てないのは

 

ちょっとした足の開きだったり

角度だったりを

視線の利用の仕方などを

 

知らないから。

 

そして、

練習がやはり必要だから。

 

 

 

 

 

 

思考がとにかく大事。

しかしコツの習得が必要。

そして練習が必要。

 

 

 

 

 

 

思考が全て、と

自分で実践し

確信をもちはじめているが

 

さらに野球・サッカーの話のように

 

練習を重ねてみて

何が見えてくるか

 

未知なる先へすすんでみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奇跡記録(よかったことの記録):

 

●伸びてきた庭木を剪定できた

 

突然、切ろう!と思えた。

やる気がでたこと

思ったより作業が楽だったこと

に感謝。

 

今の時期剪定時期かは分からないが

通りずらくなっていたので

 

よかった。

 

 

●最近早起きができるようになってきた

 

 

●設定をかけたのち

 親の調子が戻ってきた

 

 

●仕事の勉強講座がプレッシャーだったが

 思いのほか

 学びがあった

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございます。

 

私も皆さんもますます

豊かで健康でよい人間関係に囲まれ幸せでありますよう♪

 

 

 

思考がですぎるので

それを止めたいとずっと思ってきた。

 

●出にくくになった

●思考に気づけるようになった

●感情と思考をそれ以上大きくしない

 コツが分かってきた

 

このような変化があり

だいぶ楽になっているとは

度々書いてきた。

 

 

 

 

 

先日ネット検索してみたら

心理学や精神医学的に

 

●ぐるぐる思考

●反芻

 

という名前が付けられているらしいことを知る。

 

 

 

 

 

悩んできたのは

自分の性格や

自分の環境や

自分の仕事等の

 

影響だと

思っていたので、

少し驚いた。

 

 

 

 

 

 

最近、

人の悩みの大半は

 

思考

 

のせいでないのか、

と思ってきている。

 

 

 

 

 

私は、

いつも悩んできたし、

いつも辛いのはおかしいのではないか、

とよく思っていた。

 

 

 

 

はたからみたら

上をみたらきりがないが、

 

それほど悪い状況にいるわけではない。

 

 

 

 

しかし、

つらい気持ちと

いつも一緒にいないといけない感覚が

なんでなんだろうと

 

ずっと

ずっと

思ってきた。

 

 

 

 

 

そして、

 

心理学の本を読んだり

自己啓発の本を読んだり

カウンセリングに行ったり

セミナーに行ったり

占いにいったり

 

いろいろとしてみた。

 

 

 

 

 

そこでの結果は、

今思うと

対処療法という感じだった。

 

 

 

 

 

 

数日たてば

元に戻る。

また辛くなる。

 

 

 

 

 

それを10年、20年やってきた

あるとき

はたっと思った。

 

 

 

 

 

これら

みな

効かないんじゃないだろか?

 

 

 

 

 

きくような顔(^-^)をして

治りますよー

楽になりますよー

 

的な宣伝をされているが

ただの宣伝で

意味がないのではないかと思った。

 

 

 

 

 

 

なぜならば、

どれか効いていれば

 

もう治って

気持ちが楽になっているはず。

 

それなのに

また次の何かセミナー等を

探している自分がいた。

 

 

 

 

 

「おかしいのではないか??

 いつになったら

 この旅が終わるのか・・・?

 

 

 

 今までと同じような

 救い(救いになっていないけれど)

 を求めても

 

 

 どうせもって2日でもとに戻る・・・・」

 

 

 

 

 

そこで

あまり今までの方法で

楽になる道を探すのをやめた。

 

たまには

本やセミナーを受けることもがるが

 

気になったからで

楽にしてくれるかどうかは

ほとんど期待していない。

 

 

 

 

 

 

話がそれたが、

 

そのくらい気持ちが苦しく

なんだろうと思ってきたが、

 

最初にもどると

 

「ぐるぐる思考(反芻)」

 

というものが

全員にあるものだと

私は思っていた。

 

 

 

 

 

でも、私だけが

気持ちの切り替えが下手なのだと

思っていた。

 

実際、下手(切り替えずらい習慣になっている)

だとは思う。

 

 

 

 

 

しかし、

人間の全員が

自分と同じぐるぐる思考が

あるわけではないことに

最近気が付いた。

 

 

 

 

 

私は、

最近は減ったしコントロールできているが

 

 

朝起きると

 

 

●あれをしないと

●まだまだダメだ

●あの人にまた会うのか

●自分の人生はこのままでいいのか

 

 

そんな思考が

起きたなり

一気にでてきていた。

 

朝から。

 

 

 

 

 

そして、

昼には

 

●あの人に失礼があったのではないか

●自分はもっとこうしておけばよかった

●自分はダメだなぁ

 

そんな思考が

 

ぐるぐると

何度もでてきて

 

半日とか

数日とか

 

長いと年単位で

思い出し、

繰り返し繰り返し、

苦しくなっていた。

 

止め方が分からなかった。

 

 

 

 

 

 

しかし、

最近、

身近な人に

朝起きたら何を考えるか聞いてみたら、

 

 

●今日は何しようかなぁしか考えない

 (どちらかというと何をして楽しもうかなの方)

 

●今日もまた主婦の一日がはじまるか

 仕方ないけどがんばろ

(めんどうと思いつつ、前向き)

 

 

しか考えないと

2人の人が答えた。

 

 

 

 

 

 

 

えっ!?

 

悩まないの?

 

と思ったが、悩まないで朝を迎えるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぜんぜん人によって違うんだ!

と気づいた。

 

 

 

 

 

嫌なことがあっても

1日たつと忘れてしまうとも答えていた。

 

この2人は

天然だったり、楽しいことが大好きな人生を送っている印象だったが、やはりでてくる思考もちがっていたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の中でぐるぐる思考がでているのは

悩みやすい自分のようなタイプ特有のもので

性格とかではないと思った。

 

思考習慣、思考特性、ともいえると思う。

 

 

 

 

 

 

 

この思考習慣が自分にあることに気づき

そこにアプローチする。

 

それがなかったら

 

●自己啓発の本を読んでも

●カウンセリングに行っても

●イケイケ系のセミナーに行っても

 

変わるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

また

解決策や対処方について

書いていきたい。

 

今日のメモはここまで。