悟りへの道 -49ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

先日、

他人が活躍している情報を得た時、

 

 

 

「いいなぁ」と

思い始めた自分Aが出た。

 

嫉妬心が浮かんだ。

 

 

 

自分Aが

”焦り”の自分を

スタートさせようとしていた。

 

 

 

ただ、

最近

その自分Aに

ほぼ気づけるので、

 

自分Bが

すぐにそれをとらえた。

 

 

 

 

自分Bが

ただ

その自分Aがさわごうとしているのを

 

ながめていたので

巻き込まれはしなかった。

 

 

 

しかし、

この嫉妬って

何なのだろう、

 

とあらためて

気になったので考察してみた。

 

 

自分A,自分B↓

 

 

 

 

 

 

心はすぐに収まったものの、

 

この

 

不安のような

悲しいような

怒りのような

ずるいと思うような

自分もほしいような

自分を改善しないといけないような

 

思考が一瞬で全部パッとでてきたが、

 

”焦りの自分”

って?

 

なんなのだろう。

 


 

 

 

 

 

 

賞賛やあこがれ

 

でおわることもある。

 

一方、

心がざわつくことがある。

 

なぜ違いがあり、

なぜざわつくのか、考えていた。


 

 

 

 

 

賞賛や憧れで終わる時は、

その分野が

自分とかぶっていないとき。

 

素直に賞賛しやすい。

 

 

 

 

 

 

自分と関係ない縁がない話の時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

 

自分が

少しでもその分野に

 

かかわっていたり

頑張っていた思いがあった時、

 

ざわざわするように思う。

 

 

 

 

 

 

マーフィーの本の

嫉妬の分野には、

 

「嫉妬は、

 あなたが一番欲しがっているもの」

 

と書いてあった。

 

対応は、「賞賛」の一択とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

でも

さらに考えると

 

たぶん

抽象度が低いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

小さいところでしか

物事が見えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

●いい、悪いで物事を分類している

●背景を考えない

 

このあたりが出来ていないがゆえ

ざわつきがでてくる。

 

 

 

 

 

 

 

例えば、

憧れが生じやすい

下記の人たちの状況は、

 

●芸能人

TVで活躍 → 顔がわれ自由がない

人気がある → 嫉妬や言動に注意する必要がある

収入が高い → その時点のもので固定されていない

 

●医者

権威がある → 激務、看護師との人間関係、休めない

頭がいい → 学生時代遊ばず青春を勉強に使った

収入が高い → 資産運用する暇がない、だまされやすい

 

●結婚が決まった女性

愛されている → 同居したらまた違う、見た目を努力してきた

収入高い男性 → 離婚したらどうなるか?自分の仕事は?

子供を生める → ママ友関係、子育ての悩みと喜び、

         産めない場合の治療の苦しみ・夫婦関係

 

 

 

 

 

 

さらに言えば、

例えば

医者が激務により

 

やはり大病となるかもしれないが

 

それが悪いのでもない。

 

 

 

それによって、

夫婦や子供との時間がとれ

心がフラットになり

 

働き方を調整できる

精神的にも家族関係も良くなる

病院で医師をするかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

万事塞翁が馬なのに

 

一時点だけを

見ている視点が

 

”焦り”

 

を生み出している。

 

 

 

 

 

 

 

芸能人で有名になる

医者になる

結婚する

 

はよいこと。

 

その逆は、

悪いこと(たいしてよくなっていないこと)。

 

その基準が

間違っている。

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうは

どちらでもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも

金持ちと貧乏でもいいなら

 

貧乏でもいいんだ、

 

という話でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金持ちになろうと思ったのなら、

なれるように動けばいい。

 

なれるかもしれない。

 

でもなれても

別の苦労があるかもしれないし

ないかもしれない。

 

または、

金持ちになうりょう動けなかったり

 

動けても

結果がでなくて

貧乏のままでも、

 

その葛藤や経験が

後々、

全然別のコトに生きてきたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちがいますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また

それなりの

好き嫌いもあってもいいが、

 

それが絶対という訳でもない。

 

好きが嫌いに

嫌いが好きに

ある日を境に変わることも多々ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

こっちでないとダメ、

 

こちらは良く、

こちらは悪い、

 

という「視点」が違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

しーん・・・

とした自分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bの自分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこにいると

 

ほんとうは

どちらでもいいのに

 

良い悪いにしがみついた

Aの自分が

 

騒いでいるだけに見えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bの自分なりに

 

その”焦り”が生まれたことを

静かに受け止め

 

自分Aを静かにさせつつ

 

 

 

 

 

 

 

 

自分はこうしたいのかなぁ

Aの自分がでてきただけかぁ

少しこうしてみよう!

いや、こうやって周りと比較し振り回されてきたのか

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 

どれでもいいと思う。

 

一番

Bの自分の視点で

 

しっくりする対応をとればよいと思う。

 

 

ただ、自分Aに

振り回されることだけは控える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、話は別だが

マーフィー的にいうと

「嫉妬」が一番よくないとのこと。

 

その嫉妬が

自分に結局帰ってくる。

自分に影響がある。

 

相手を祝福する

そして、それが自分もできると思う

 

すぐに

そういう思考が大事と述べている。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分Bとマーフィーで

また人生を人生のとらえ方を

よりよくしていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★こんな考えも参考になりました。

 引用させていただきました↓

 

 

嫉妬をしてしまうのは貴方の心が狭いのではないのです。それは、自分と他人を比べて、自分の方が正しい、自分の方が頑張っている、立派な生き方をしているといった憍慢心(きょうまんしん)」が出しゃばっているからです。この憍慢心は、気づきはしないかもしれないですが、誰しも持っているものです。取り除くことは出来ないかもしれないけれど、気付くことはできますから、自分の中の憍慢心を認めて許してあげることが出発点になるでしょう。
そして、他の人も心に驕慢という弱さを抱えているんだなという気づきを得ることができるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●肌の調子が少し回復してきた。

 

最近コーヒーを一日5杯ぐらい飲んでいた。

その頃と時期を同じぐらいから

不調だったので、

 

1-2杯にするように努めた。

またさらに戻していきたい。

 

 

 

●豊かさの意味が少しわかった。

 

ある動画で

豊かさには何種類もあると聞いていた。

 

その意味が、今日わかった。

やったぁ。

 

 

 

●今日、丸い石を庭で拾った。

 

先日も先々日も拾った。

3つ目だ。

 

毎日庭に接していて

石が気になったことは初めて。

 

 

 

最初に小さい丸い石をみつけ

「かわいい!」

と拾った。

 

つぎにまたもう少し大きく

気になる丸い石を見つけ

拾って洗った。

 

今日は、さらに大きな

石をみつけ3個一緒にかざった。

 

 

 

どうして気になるのだろう?

と思ってはいるが

何かの前触れのような気もしている。

 

かわいい石が3つも拾えて

ラッキーだな。

 

 

 

 

 

私も皆様も

ますます健康で、幸福で豊かでありますように。

以前、家族が亡くなった時。

 

大事な

その家族をAとする。

 

 

 

ある日を境に、

 

Aが死んだ・・・

Aが死んでしまった

Aがいない

Aがいなくなってしまった・・・涙

 

そんな風に思っていた。。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

 

Aが

死んだのではないことが分かった。

 

「私」が死んだのだった。

 

 

 

 

 

 

「私が死んだ」と書いたが、

 

悲しくて

悲嘆にくれて

死んだようになっている、

 

だから

自分が死んだ、

という意味ではない。

 

 

 

 

 

 

人というのは、

 

周りに置かれてモノで

 

「自分」になっている。

 

 

 

 

 

例えば、

あなたを説明してください、

と言われたら

 

例)

・アメリカ在住

・日本の北海道出身

・双子の兄(妹は嫁にいっている)

・仕事はサラリーマンで、デザイン担当

・習い事をしており多くの仲間がいる

・趣味は、ジョギング、美術館めぐり

・独身

・両親は日本で生きている

・父は会社経営者、母は専業主婦

 

と答えたとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

当たり前のように

こんな風な

答え方をすると思うが、

 

よく見てみると

 

ほぼ全部、

外面的な立場の説明。

 

 

 

 

 

 

 

つまり

 

自分の周囲にちりばめられた

 

周りのパーツ(環境)を

 

説明している。

 

 

 

 

 

まるで

「自分」というものが

あるように感じているが

 

自分自身を

 

・細胞はこんなにクールで

・声は2オクターブまででる美しさがあり

・耳は聴覚機能が敏感で雪の音も聞き分け

・骨は平均骨密度より高く歯と争える硬さがあり、

というように

 

説明することはない。

 

 

 

 

 

 

 

つまり、

自分とは

 

周りに置かれたパーツによって

浮かび上がったもの

 

周りのパーツのよって

決まった、もの。

 

 

 

 

 

 

 

さきほどの

体レベルの説明も

本当は正しくないと思っている。

 

(体も本当は

自分ではないが、ここでは省略。)

 

5秒前まで頭に

ついていた

髪の毛が

 

机の上に落ちたら

「汚い(捨てよう)」

と思うものだ。

 

5秒前まで

その髪の毛は

「自分」だったのに・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻すと

 

もし父親が急逝し

会社を継がないといけなくなったとする。

 

 

 

 

 

 

 

すると、

「自分」は

 

●アメリカ在住  → 日本在住 & 引っ越し

●デザインの仕事 → 親の会社の仕事 へ

●サラリーマン  → 経営者 へ

●習い事の仲間  → 社員をまとめる

●習い事     → 経営の勉強 が必要へ

●父がいた    → 母だけの片親になる

●独身      → 結婚も視野に入れた生活へ

●気楽      → 母を支える必要あり

 

と周りのパーツが変わる。

 

 

 

 

 

そう、

「自分」が決まっていたパーツが

 

7-8割変わり、

以前の

「自分」でなくなっているのだ。

 

1割かわっても

以前と同じ

「自分」ではない。

 

 

 

 

 

 

7-8割。

それはそれは、

大きな激変がある。

 

急遽帰国し、

慣れない仕事で

経営者になり

勉強しながら

母も支える。

 

 

 

 

 

父が亡くなった、

 

と思っていたら、

 

 

 

 

 

 

アメリカで

デザインの仕事をし

サラリーマンとし

趣味も習い事も楽しみながら

 

楽しく身軽でいた・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その

以前の

「自分」が

 

死んだ。

 

 

 

 

 

 

囲まれたパーツが変わり

前の

「自分」

が死んだんだ。

 

 

 

 

 

 

 

ぜんぜん

違うパーツに囲まれた

新しい

全く違う

同一人物でない

「自分」

が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

父の死によって起こった変化だったが

 

本当は、

父は

 

「自分」の周りにある

パーツの

1つだけだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

そのパーツの変化によって

ほかのパーツも変わったことが

大きかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いくつもパーツが変わり

 

 

本当は、

自分が死んだんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急なことでストレス大、

頼りにしていた父の死は悲しい、

経営が大変、

日本での生活も久々で大変、

母のことも気にかけて大変、

 

と感じていても、

 

 

 

 

父に関しては、

本当は

パーツの1つがなくなっただけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しい悲しいといって

以前の父が健在の

「自分」

に戻りたがっているのは、

 

父の死への

悲しさのみで見がちだが、

 

 

 

 

 

 

前のパーツに囲まれた

 

安定した

気楽な

楽しい

慣れた

難がない

 

生活を

求めているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう死んだ「自分」を

取り戻そうとしても

 

もう以前の

「自分」

は死んだんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

近いものは

取り戻せるだろう。

 

でも

同じ「自分」はとりもどせない。

 

 

 

 

 

 

 

 

今は

新しいものに囲まれた

「自分」

になっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上は例えだが、

 

 

 

 

 

 

 

人は

以前の

「自分」が死んだら

 

いろいろと

状況が変わったということになるので、

 

それはそれは大変さがあるかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

父が死んだ

父が死んだ

父が死んでしまったから、

 

と思いがちだが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうは

 

以前の

「自分」

が死んだことを

 

大変に思い

悲しがっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また周りのパーツが

変わることもあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パーツが変わったなぁ。

新しい自分が浮かびあがったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

よりよいパーツになるように

思考しながら

 

 

人生をまた見て行けたらと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ! 自分が死んだんだ・・・」

と気づいた話のメモ。

結局、

「幸せ」を求めている?

 

 

 

 

それが、

仕事とか、お金とか、結婚とか、

で得ようとしているし、

得られると思っている。

 

 

 

 

マーフィーは言っている。

清富者であれと。

 

精神的にも

物質的にも

成功するのが本当の成功と。

 

物質的に成功してもよいが

精神的な”成功”がないと

追い求め続ける幸せになると思っている。

 

 

 

 

 

物心両面の成功を

得ることでよいと思っているが、

 

今から書くのはちょっと違う話になる。

 

 

 

 

 

「思考」(自分A)が関わっている

幸せについて。

 

 

 

 

自分Aの中では、
(前々回に書いた3人の自分のうちの一人)

 

「幸せ」

 

を獲得しては失い、

 

また

求めてはさらに求め、

 

あれも

これも

もっと

 

高く

多く

人より

以前より・・・。

 

 

 

 

 

そこにすべての「幸せ」があると思っている。

 

 

 

 

 

お金

権力

人気

楽しさ

きらきらしたもの

平安

安心

安定

豊かさ

刺激

新しさ・・・

 

 

レジャーにいくのも

有名パフェを食べに行くのも

コンサートに行くのも、

ワイワイするのも、

 

 

逆に見えるが、

スピリチュアルだって

自己啓発だって

ヨガだって

カウンセリングだって

瞑想だって・・・

 

 

 

 

 

結局

その

「幸せ」

を求めている。

 

 

 

 

 

形を変えているだけで、

 

派手系の人も

地味系の人も

 

求めているものは同じ。

 

 

 

 

 

でも

その自分Aの中には

 

安定した幸せはない。

 

 

 

 

 

現れては消える

雲のような

煙のような

シャボン玉のような

 

つかんでもつかんでも掴み切れない

持っても持っても儚くこぼれおちる

幸せ。

 

 

 

 

 

 

自分B~自分C にしか

安定した

「幸せ」

はないと思っている。

 

 

 

 

 

「幸せ」とは

あくまでも

まとめた言葉であって、

少し違う気もする。

 

 

 

「幸せ」とは

別に表現すると

 

囚われない

揺がない

焦りがない

静寂な

安心感のある

信じる気持ちがもてる

ここにあるという感覚

 

ともいえるものが。

 

 

 

 

 

今書いていて思ったが

どこにも

お金とか

愛とか

地位とか、

出てこなかったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

自分Bにある

静寂と

 

起こることは

起こるだけという気持ちと

 

いいも

わるいもないという見え方と

 

究極

全部よいことに

必ずつながっている

 

そういう意識になる

 

そこに

「幸せ」

はある。

 

 

 

 

思考がほぼない

そこ

 

 

 

 

 

 

 

自分A に気づく

そこ

 

 

 

 

 

 

 

そこ

 

 

 

 

 

 

 

 

そこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、ここに

最初からあった。

 

気づいていかなっただけ。

見えなかっただけ。

奇跡記録(とても運がよい記録):

 

●親の介護について

 兄弟から相談を受けた。

 

 投げやりになっていたが

 怒らずに最後にはお礼を言って

 電話を切ってもらえた。

 

 どうなったか後日聞くと、

 その日方向性を見いだせたとの事。

 

 よかった。

 

 ※抽象度を上げる設定をした

 ※Bの自分の状態で、話を聞いた

  以上2点が効いたのかもしれない

 

 

 

●介護のために実家に帰ろうと思っていた。

 

 しかし、

 雨のせいかだるく、

 力が出ない。

 

 体調がすぐれないなぁと

 負担を感じていた。

 

 でも

 行かないとと連絡をしたら

 今日はいかなくてよいことになった。

 

 まわりまわって

 やはり一番よいようになることになっている。

 

 ついているな。

 

 

 

 

最近、物事の見え方が変わってきたと

繰り返し書いてきた。

 

具体的には、

思考がとらえられるようになってきた。

 

客観的に

その思考を眺められるようになってきた。

 

 

 

 

 

普通は、

その思考や感情に同一化しているので、

 

出たとたん

”それ(思考や感情)”が自分だと思い、

巻き込まれていく。

 

巻き込まれていくとも

普通の人は思わないだろう。

 

その思考や感情が

「自分」や「自分の人生」とさえ

思っていると思う。

 

 

 

 

 

そういう同一化が

本当に減った。

 

たまにはある。

 

でも、すぐに気づくようになった。

 

 

 

 

 

心がだいぶ静かになって

静かな頭の中。

 

静かな生活(人生)になった。

 

そんな毎日をすごしていると

感じている。

 

 

 

 

刺激を求めたくなったら

求めることになのだろうが、

(たぶん、意思とは関係ない動きとして)

 

キラキラすること、

ワイワイすること、

刺激を求めること、

って意味があるのかな、

 

とさえ思うようになってしまった。

 

 

 

 

 

思考自体をAの自分とすると、

Aを眺めるBの自分が常にいるようになった。

 

しかし、本当は、

Cの自分が真の自分のようだ。

 

Cの感覚はなんとなくわかっているが、

一瞥体験などはしていないので、

想像のCではある。

 

 

 

 

 

人を見ていると

「Aで生きているなぁ」

と気づくようにもなってきた。

 

そういう自分だって、

滅茶苦茶Aで生きてきた。

 

Aで苦しいなぁと思うことがあったから、

BとかCとかの自分があるらしいけれど、

なんだろう、

とずっと知りたいと思ってきた。

 

願えば叶うということになると思うが、

Bが確実に自分としているようになった。

 

 

 

 

 

少し周りの人間に

このことを話すようになったら、

 

苦労している人ほど、

Bに気づきやすい気がした。

 

一般的なある程度の人生の人は、

なかなかAのままで

Bの話はきょとんとしているきがする。

 

 

 

 

 

しかし、

やはり、

その苦労してBに気づける力がある人でも、

 

何かあると

Aの自分に同一化してしまう

ことも分かってきた。

 

なかなか、Bの自分をメインにするのは

難しいのだなぁと最近思った。

 

自分は、最近

Bの自分が自分になっているので

 

Aに気づくのを

簡単に感じて

人にもそれを伝えて

楽になればと思っていたが。

 

 

 

 

 

また、

Youtubeや記事を見ていて

例えば

 

すぐに落ち込んで死にたいというメンヘラの女子

 

いろいろな職場や元カレへの過去の苦しさを

吐露する女性

 

親のせいでひきこもりになったと思い

親にいろいろ要求する男性

 

それらの話全般が、

Aの自分にまきこまれたことによる

思考の問題なのではと思うようになった。

 

 

 

 

 

 

それらの人は

 

クスリを飲んだり、

イメチェンしたり、

親はこう自分を扱うべきと説明したり、

 

いろいろと対処方法を試したり述べているが、

 

そこじゃないのではないか、

と思ってしまう。

 

 

 

 

 

訳が分からない人には

 

変なことを

批判的なことを

 

と思わせてしまったかもしれない。

 

失礼に感じたら、申し訳ないが、

それでも、真理はシンプルなのではと思ってしまう自分がいる。

 

 

 

 

 

 

そして、

これらの人に限らず、

 

人の苦しみは、

自分だと思っている「自分A」に

巻き込まれている

 

ことのみが原因な気がしている。

 

 

 

 

 

縁があれば

書いたことが

 

誰かの助けになるかもしれないし

誰の助けにもなれないかもしれない。

 

 

 

 

 

ただ、

書いておかないとと思って書いた。

 

早く寝ようにと思ったのに。

 

これはCの自分に近い自分が

起こしたように思っている。

 

 

 

 

 

 

Bの自分でいることで

幸せ

平穏

な自分である時間が

大半になった。

 

 

 

 

 

前の自分と変わらない

自分がいるのに

 

 

 

 

Bの自分が

強くでているだけなのに

 

 

 

 

本当は・・・

 

ずっと前から・・・

 

 

 

 

幸せは

常にここに

すでにあったのかもしれない。

 

そして

今も。

 

 

 

 

 

 

隠されていたこと、とタイトルに書いた。

 

 

故意に隠されていたのかもしれないし、

自分が見逃していたのかもしれないし、

本人(指導者)が当たりまえで

見えなくなって伝えていなかったのかもしれないし。

 

 

 

 

最も最重要な大事なことは

伝えてくれていた

とは思う。

 

 

 

 

「潜在意識」が大事、と。

 

 

 

 

ただ、

最近勉強を続けてきて、

それだけじゃないと思うようになった。

 

 

 

 

潜在意識が大事と言われ、

簡単にそれが変えられたら、操作できたら、

多くの人の人生が

 

もっと変わっていると思う。

 

 

 

 

以前、野球やサッカーに例えた気がするが、

”球を投げる・蹴る” だけをすればいいのではなく

上達するには、

 

練習が必要

と書いた。

 

 

 

 

 

それに似ている。

 

 

 

 

 

 

もしくは、

”早起き” にも似ているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

”早起き” できれば、

人生はほぼ好転していくと

想像できると思う。

 

 

 

 

 

 

しかし、

1日だけ早起きして

「あれっ、人生が好転しないな?!」

と思わない。

 

 

 

 

 

 

毎日の早起きが大事、

と分かっている。

 

 

 

 

 

 

しかし、

潜在意識が大事、

希望を思考すれば人生がよくなる、

 

と言われると、

 

「自分は金持ちだ、健康だ」

と1,2回考え、

 

それらが起これ!と

早急に結果を期待してしまう。

 

 

 

 

 

 

潜在意識も

本当は”早起き”と同じだと、

思っている。

 

 

 

 

毎日続けることが必要、

 

言いかえると、

必要なことは、

 

練習とも言えるし、

回数とも言えるし、

時間とも言えるし。

 

 

 

 

よく読むと

マーフィー本にも書いてはある。

 

 

 

 

しかし、

99%ぐらいは、ほぼ

「潜在意識が大事」

という話に終始しているので、

 

1度読んだぐらいでは、

これに気づかない。

 

 

 

 

「潜在意識」の動画を多くだしている

神王TVのYoutubeでも

ここを言っていないと思っている。

 

しかし、神王さんの場合は、

有料の数十万円の講座を別途提供しているので、

そこでは

言っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

その”練習”という部分を押さえないと

大事な潜在意識の効果は、

3割ぐらいいしか発揮できない気がする。

 

 

 

 

 

大事なことはシンプルだが、

そのシンプルの先に

また大事なことがあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これらから学べることメモ:

 

・結果がでていなかったら

 やり方が違う可能性がある

 

・結果がでていなかったら、

 何か知るべきことを知らないのかもしれない

 

・大事なことの裏にある

 プラスαのコツが物事にはあるのかもしれない

 

・大事なことの裏にある

 プラスαのコツを自分は見落としている可能性がある

 

・大事なことは伝えられていても、

 それを実行するためのコツが隠されているのかもしれないし

 指導者がが当たり前で気づいていなく

 伝えられていない可能性がある

 

・Youtubeで無料で伝えられている情報は、

 大事なことは隠されているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

独り言。

 

 

 

 

いろいろなことに

思考がかかわってると

いうことがわかってきた最近。

 

 

 

 

物の見え方が変わってきて、

当然と思っていたことに

疑問が

 

浮かんでくることも

大きくなってきた。

 

 

 

 

思考が色々なことに関わっているならば、

以下はどうなのだろうと思った。

 

 

 

 

「仲が良い」

仲が良いのはよいと思われている。

それは本当か?

仲が良い、とはどういうことなのだろう?

 

 

 

「お金持ち」

お金持ちとは、結局どういうことなのだろうか?

「お金持ち」になるのも

”思考”のようなポイントというか、

何かコツがあるのではないか?

 

 

 

 

それを頭に入れて

答えをまってみたい。

 

 

 

メモ以上。

●奇跡記録(とてもよかったことの記録):

 

 

 

お金を拾った話を

何度も書いてきた。

 

2022年8月から8回、

拾いだしてきた。

 

全て外で拾ったものだけで8回。

(2回は、家の庭)

 

1円: 道

50円: 庭

35円: 家の近く

100円: スーパーの床

10円: 自販機

2セントユーロ: 道

50円: 庭

1円: 家の前の道

 

 

 

 

 

それ以外にも

義理の両親の残した家で

数万円や数千円の硬貨も発見している。

 

 

 

 

 

そして今回、

 

また外国のお金を拾った。

 

正確には

義理の両親の残した家の中で、

それも眼鏡入れの中だったので

 

見つけた、

の方が正しいかもしれないが。

 

 

 

 

この1年で何度

こういうことがあったことか。

 

 

 

 

 

私もみなさまも

ますます健康で幸福で豊かで

自由人生でありますよう♪

 

 

ありがとうございます。

自分用メモ。

 

よりよい人生のために

大事だと思うこと。

 

 

 

まとめると、

 

●思考をとらえる

 

●思考をほめる

 

●思考で準備する

 

●よい思考・言葉を顕在意識&潜在意識に増やす

 

●思考がの3つの不安(未来、ホメオ、自己)に

 なるべくエネルギーを使わない

 

・未来とホメオへは、準備

・自己へは、思考

 

●整え、整理

・数か準備

 

●日光

 

●完璧