悟りへの道 -48ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

ある方のツイッター。

今の自分にとって

良い事が書かれていた。

 

(引用させていただきすm(__)m)

 

 

 

”愛される人”と

自分を思っていないが

結構あてはまっていた。

 

※ 昨日のブログにも書いたが、

  「自分は足らない、自分は嫌われている」という

  HSP的にも

  そういう思考のクセが自分にある ※終


 

 

 

 

 

 

ということは、

「愛される」要素はあるのに

自分の考え方やその思考のクセが

 

愛されることをブロックして

しまっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

愛される、愛されない、は抜きに

出来ていないなと思った項目があった。

 

①いつも笑顔

⑤自分軸をもっている

 

の2つだった。

 

 

 

 

 

 

 

よって、

今日はこの2つを心掛けてみた。

その結果をメモしたおく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「①いつも笑顔」:

 

いつもより

自分の姿が何かに写った時

笑顔を作ってみただけだが、

 

 

 

 

実行してみると

 

・いつも笑顔が少ない自分

・厳しい真面目な顔をしているのが

 どこかで、いいと思っている自分

 

がいるのに改めて気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

厳しい顔が多いのは、

 

・自分で仕事を回しているから

・矢面にいつも自分がたち対応することが多いから

・仕事の今後を深く考えている時間が多いから

 

かつ

・人から好かれていないと思っている

・笑顔を作って好かれるには自分は足らないと思っている

・これらの考え方のクセがある

 

等の理由が大きいが、

 

 

 

 

 

「いつも笑顔」の方が

得があるならば、

 

まわりの人も楽しいだろうし、

 

同じ顔ならば

笑顔を増やしてみた方がいい

と思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

よく、

「貢献」

が大事と聞くが、

 

大きなことをしなくても

 

 

自分の厳しい顔を

もう少し笑顔にするだけで、

 

十分な

手軽にできる

「貢献」ではないか!

 

と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「⑤自分軸をもっている」:

 

自分の判断基準

自分の信念

自分の意見

 

のことを言っているのだと思う。

 

 

 

 

 

これも大事だと思う。

 

 

 

 

私的には

プチ覚醒状態の現状、

少し別な見方をした。

 

 

 

 

 

 

というのも、

 

今日たまたま

矢作直樹先生のYoutubeが

オススメにあがり

見てみたら、

 

最初~1分ぐらいのところで

ピンとくることをおっしゃっていた。

 

 

 

 

 

 

「長堀(優)先生もおっしゃっていましたが

 

自分に意識が向いて

周りに惑わされない

影響を受けないように

 

その通りなんです。

 

いきなり

そこにいければもちろん素晴らしいんですけれども

 

なかなかそういう風にはいかないように

 

わざわざ

娑婆っていうか肉体をもって

生まれている訳ですね

 

世間は不安だかけ

これももちろんちょっとね

いけば

先生の表現をお借りすれば

 

視点をズラせば

何でもなくなる。

その通りですね。 ・・・」

 

 

 

 

 

これ↓にピンときた。

 

自分に意識が向いて

周りに惑わされない

影響を受けないように

 

 

 

 

 

 

最近いつも書いている

ワーワー騒ぐ自分A(本当の自分ではない)と

それを眺められる自分Bのことを書いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分Aが自分だと思っていると

人生が大変になっていく。

 

自分Bが増えてくると

平安が増えていく。

 

もうそこに平安がある感覚が増えていく。

 

 

 

 

 

 

自分は何を大事にするか

一番重要な事は何かという

 

自分なりの軸

も大事にしつつ

 

 

自分Bの視点

自分の中にいる視点

「自分に意識がむき

 周りに惑わされず

 影響を受けない」

 

をよりもっていきたいなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

いつも

自分Bで自分Aを眺め捉えると

いう表現でそのことを

思っていたが

 

・自分に意識を向ける

・周りに惑わされない影響されない

 

という表現で自分Bをとらえるのも

いいな、と思った。

 

 

 

 

 

 

昨日、人間関係のことを書いたが、

 

・笑顔を増やし

・自分軸(自分Bとして自分により意識を向け)

・他人を大きくとらえず

・自分の姿をプラスに想像する

 

ことをしたら

 

今日

ささいなことだが

 

道行く人への

自分の気持ちが

変わるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

逆に、今までは

道行く人を

全然関係ない人なのに

 

敵のような怖いような

そんな前提で

とらえていたなぁ、

 

とも実感した。

 

 

 

大変だったなぁ。

よく生きてきたと思う。

 

どうして人生が大変なのかな

と良く思ってきたが、

大変だったと思う。

 

 

 

表面上は

大変にみえないが、

 

そう

心の中(思考や感情、そのクセ、自分Aに同化し、反芻多し)
が本当に大変だった。

 

悪い思考がでて

リピートして

それが辛かったなぁ。

 

そういう点では、本当によくやってきた。

 

 

 

 

 

 

過去の私と

同じ感覚で世の中をとらえ

 

今、

頑張っている人も

本当によくやっていると思う。

 

目に見えないけれど、

 

その思考と感情が

その自分Aが

 

本当に大変なところ、だよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に意識をより向けて

笑顔という小さな貢献の人生を

生きていきたいなと思った今日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も感謝。

 

自分、みなさまと日本にますますの平安と幸福あれ。

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●人との交流について:

 

昨日、人と関わるときに

 

相手を大きくみすぎたり、

嫌われている自分の姿をまず想像している、

 

ことを変えていきたいと書いた。

 

 

 

そのせいか、

 

近所の人に朝から早々、

話しかけられたり、

挨拶されたり。

 

効いている感じ♪

 

 

 

 

●時間の使い方を改善できた:

 

いつも用事から帰宅すると

気が緩んで

 

かたづけもしないで

休みだしたりする

 

それが気にかかり

次の仕事に取り組むのも

遅くなる

 

という時間の使い方になりがちだった。

 

 

今日は、

1つ手をつけてしまう!

とふと思い、

 

帰宅後

荷物も片づけないのは同じだが、

 

仕事を5分でもいいから

しようと仕事に取り組んだ。

 

 

おかげで

仕事も終わったし

気分もいい。

 

 

これから片付けだが、

最近本当に

いろいろアイデアが浮かび

試そうという気力もあり

 

ついているなぁ。

 

 

 

 

さらに人生がよくなっている。

 

私の人生良い事しかおこらない。

 

私も皆様も

ますます

健康で、豊かで、幸せな人生でありますよう。

ある方が

「苦手な人の対処法」をブログに書いていた。

 

「苦手の人がいたら、

 その人を

 ピンポン玉やパチンコ玉ぐらい

 小さく想像し、よく四方から眺めてみる。

 

 そうしたら見え方がかわり

 大した事じゃないように思えてくる。」
 

そういえば

昔出た高額なセミナーでも同じことを

教えてくれていたのを今思い出した。

 

その時は

なんとなく効果が出た気がしたが、

すぐ忘れ今やっと思い出すぐらい、上手くできないと感じた。

 

今は、

少し覚醒(していないが)ちっくに

視点が変わったので

す~っと

「あぁ・・・」

と受け入れられたような気がする。

 

 

 

 

そう、

先日、下記のようなブログを書いた。

 

まだ修行が足りないなと

嫌な出来事に感じ

気になってしまった件↓

 

 

少しまだ気になっていたので

この方に

この対処をしてみようと思った。

 

 

 

 

 

相手の方を

パチンコ玉ぐらいの小さい姿に想像した。

 

・・・

 

だいぶ気が楽になったのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

そこで思ったのは、

 

●ふだん相手を

 視覚で普段みている

 そのままの体の大きさに感じていた。

 

●もしくは、恐怖がある場合は

 それより少し大きめに感じていた

 

●さらには、

 実際の視覚的大きさは違うのに

 小さい姿で想像しても違和感が全くない

 

ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

そう、

人間は頭の中で

姿を想像しってものを考えている。

 

それは

自分についてもあたはまる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとに偶然、

ブログに書こうと思っていたことがあった。

 

「姿」

 

についてだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の姿について

書こうと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

たぶん普通に社会生活はしているが、

私にはHSP的な要素があり

(だから悟りなどに興味もあるのだと思う)

 

・人に苦手意識

・人は怖い

・人が自分を嫌っている

・人は自分を悪く言っている

・人はどうせ自分に魅力を感じない

・人は自分といて楽しくない

・人は味方じゃない

 

逆に言うと

・自分は人に嫌われている

・自分は価値がない

・自分は何かしたり特技がないと評価されない

・自分は人を楽しませられない

・自分は魅力的でない

・自分は味方がほとんどいない

・自分はまだ不足している

 

そんなふうな考えが

根底にあり生きている部分がある。

 

現実には

そんなことがないのに

 

おかしな考えだと思うが、

そんな思考回路が

ある。

 

常にその回路のクセが

第一に働いてくる。

 

 

 

 

 

そういう

考えが出てきたら

 

思考をとらえ眺めたり

設定をはじめ

 

色々な対処法が今はあるので

巻き込まれずやれているが、

 

ふと先日

ここに

 

 

自分「姿」が関係しているのに気づいた。

 

 

 

 

 

あぁ!こんな風に想像しているんだ!

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

思考をいつも見つめるようにしているとは

書いてきた。

 

外に行く用事がある際に、

 

苦手な人

(勝手に苦手と想像しているだけだが)

と会うかも想像し、

 

・あの人と会ったらいやだなぁ

・あの人に会いたくない

・外出するのが嫌だなぁ

 

と思った。

 

 

 

 

 

「また、こういう

 思考 = 自分A、が騒ぎ出したな」

 

と思った。

 

自分Bが思考を眺められ、とらえられた。

 

 

 

 

 

その時、

 

自分の「姿」も

自分が

想像していることに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

そういう「思考」が

でたと同時に

 

自分の「姿」も

自分が想像していたのだ!

 

 

 

 

 

 

●苦虫をつぶしたような厳しい顔

●気をはりながら歩いている

●会ってしまった時の為に身構えている

●周りの景色と歩いている自分の姿

●ドキドキしながら歩いている自分

●さきほど列挙した一連の人が苦手と思っている思考

●さきほど列挙した一連の自分に価値がないと思っている思考

●怖い!自分には魅力がない!と思う感情

●会った時の姿とその恐怖と不快感

●その後の気持ちが落ちつつ怒りのような気分の姿

 

 

 

 

 

 

こんな自信がない自分の姿

こんな自分は嫌われると思っている自分の姿

こんな自分は魅力がないと思っている自分の姿

 

 

 

 

 

こんな風に自分の「姿」を想像していたんだ!

と思った。

 

 

 

 

 

悪い

思考だけじゃなく

 

画像の悪い

「姿」も想像し

 

こんな風に自分を思っていたら

人生辛いに決まっている。

 

 

 

 

 

※ここで誤解ないよう

言っておくが、

 

だから

必ずこれを変えないと幸せになれない、

幸せではない、

とは思ってない。

 

今でも、幸せな部分は多いし、

いや十分幸せとも言えるし、

 

このまま幸せにもなれるし、

なればいいと思っている。※終わり

 

 

 

 

 

 

 

話をもどすと、

 

あぁ、

魅力がない嫌われ者の自分を

 

自分はいつもいつも

 

悪い思考とともに

自分の姿として

想像していたんだ、

 

ということに気づいたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

自分Bが

いつも自分を見つめ

思考をとらえられることが多くなったのはいいが、

 

この

自分の姿の想像も

変えたほうが

いいな

 

と思った。

 

 

 

 

 

 

 

〇〇したら自信をもつとか

〇〇したら好かれる

〇〇したら魅力的になる

 

と人は考えがちだ。

もちろん過去の自分もそうだった。

 

 

しかし、

そういう手法は十分してきたし

効果がなかった。

 

 

もう今

そうなってしまっている自分を

想像しようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

●自分っていつも人から好かれているなぁ

●魅力的でみんなが寄ってくる自分

●敵とかいなくて人気だからなぁ自分

●友人も多くいるだけでムードまでよくしてしまう自分

●みんなに好かれて友達みたいなもんだから

 いつも人気が出ちゃう自分だなぁ

●こんな素晴らしい自分は幸せをふりまいている自分だなぁ

 

と。

 

とてもよいと思った。

今後も続けてみてまた何かあれば

アップデートした気づきを書いてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

苦手な相手の姿は小さく、

自分の姿はよい姿で

 

そのように想像しているかをチェックして、

 

「思考」および「姿」の重要性も

 

学べた自分。

 

 

 

 

 

 

また成長できてしまった。

ついている。

 

 

 

 

 

こういう

あっ!これって!?

という気づきが本当に多くなった。

 

 

 

 

 

 

 

自分の成長とともに

必要な人の成長や日本の成長の

少しでも助けになったらありがたい。

 

 

 

そうならなくても

それもベスト。

 

 

すべてのことは結局よいことにつながっている。

自分の人生はよいことしか起こらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●仕事が・・・

 

最近、

FBをあまりとっていなかったかもしれない。

 

でも、

当たり前になっていたが、

 

昨年より

確実に

仕事が忙しくない・・・。

 

ほかに諸々あり

忙しくはしているが、

 

忙しくない、というのは

 

具体的には

イレギュラー対応が

グッと減ったということだ。

 

通常業務、

イレギュラー業務、

未来を考える業務、

があるが、

 

自分でコントロールしにくいのは

イレギュラー業務だ。

(これも早めに予防策をとることで 

 今後は減らしていける事項とは思っている)

 

毎日

豊かさ(お金、時間、精神的)を

獲得することを設定しているせいかも、

ハッと思った。

 

叶って時間的豊かになっている自分。

 

 

●年中無休だった仕事が・・・

 

上記にイレギュラーが減ったと書いたが

昨年から少し前までは

とにかく

年中無休状態だった。

 

しかし、

今日は

午前中仕事をしたら

午後はゆっくりとしてしまい気づくと仕事をしていなかった。

 

それでも

まわる。

 

それでも

大丈夫という精神的な

捉え方もできるようになった。

 

時間的豊かさ

精神的豊かさ、

 

そんな世界に入れつつある自分。

 

 

●自分から撒いた仕事が・・・

 

誠実に(しめるところはしめるが)

お客様・取引先にはベストをつくしたいと

仕事をしている。

 

不都合があったようなのですぐに

対応しようとした。

 

かつ、

必要ならこんな対応もしますと

相手がよりよくなるように

選択肢の幅も広げ、

 

自分の仕事を増やすことになるのだが、

そんな提案もした。

 

「自分で提案事項を増やし

 また忙しくなるなぁ」

とちょっと後悔しつつ

いやいや、

これが大事!と思っていたら、

 

先方より

様子見でよい、

このままで大丈夫、

ということになり、完了した。

 

また

さらに豊かな時間が増えた自分。

 

 

時間的、精神的、金銭的豊かさが

さらに広がっている自分。

ありがたい。

 

 

 

 

私も皆様も

ますます健康で幸せで豊かでありますよう。

 

 

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●車にのってから雨

 

夜だったので

特に雨がふりそうな雰囲気も

感じていなかった

 

いろいろな荷物を何度も

車に入れ込んで

さあ出発!と走り出したら

 

雨が降り出した

 

荷運び中はふらずに

ラッキー

 

 

●犬がすべらないよいアイデア

 

老犬を洗ってあげる際

犬の足が弱く

ずるずるすべってしまっていた

 

それを自分の足で

とめてあげながら

洗っていた

 

今日は、ピン!と

下にすべりにくい敷物をしけばいい

と思いつく

 

早速敷いてあげたら

滑り度10→3 ぐらいに減少

 

わぁついていたなぁ

 

 

●親に考え方を伝えられた

 

親が

いろいろ心配する

思考のクセがあり

 

マーフィーはじめ

よい思考をすることの効果を

今日は伝えられた

 

スルーされるかと思ったが

 

しばらくして

「教えてもらったこと、すごくいいよ!

 よい考えをするということだね」

と親から言われる

 

伝えられてこと

理解までしてもらえたこと

少し喜んでもらえたこと

 

本当についています

 

 

 

 

本当に自分は

人に恵まれている

ますます健康で豊かになっている

気持ちもいつもおだやかで幸せ

 

それが

周りの人にも

太陽のように伝わり

みんなでますます幸せなです。

 

ありがとうございます。

 

 

●久々に

嫌なことがあった。

 

 

 

 

以前の表現で

「嫌なこと」

とはなるのだが、

 

正確には、

今の自分的には、

 

「思考と感情がざわざわ動き続けた」

ことがあった、

 

と言った方がいいとは思う。

 

 

 

 

 

 

仕事関係で

あるコンサルティングを受けている。

しかし、

今日はさすがにこの状況を再考したくなった。

 

 

 

 

 

以前より

 

客観的になり

自分をコントロールできるし

自分Bの視点をもつ時間が多いので

まだましだったが、

 

いったん落ちた気分になり

やれる仕事はすすめたが

最後には早く床についた。

 

自分Bの視点で

落ち着いてはいたが、

 

やはり気が重く

過ごした。

 

 

なぜかなぁと考えてみた。

 

 

 

 

 

 

 

内容は指摘いただいた通りだったり、

毎回学びがある。

 

それを改善したいと思っている。

 

その改善点を確認し

仕事を

よりよくしていく為に

コンサル自体も受けている。

 

 

 

 

 

 

しかし、

今日は

やはり

”違うのではないかなぁ” と思った。

 

 

 

 

 

 

人の上に立ち

人を導くような人は

 

他人をあまり気にせず

ストレートな物言いや態度をとる

傾向があると

 

経験上思っている。

 

 

とびぬけていく人は

そのくらいの感覚が

大事なのだろうが、

 

 

 

今日は、

機嫌がわるかったのか

自分がわるかったのか、

 

怒ってしまっている感じがした。

 

 

 

 

 

 

 

何を言っても

だーかーらーさー!

のような対応だった。

 

質問も故意なのか誤解しているのか

ずらして答えるか

答えない、など。

 

毎回

1-2回は

そんなやりとりがあるのだが、

 

今回は

終始その態度で

 

さすがに多すぎではないかと

思った。

 

 

 

 

 

 

 

自責するタイプなので

相手がすべて悪いという

ベクトルにはいかない。

 

 

 

 

 

 

まず自責が始まり

(それも自分Bが今は気づいているが)

 

自分が不用意な発言をしたかもしれない、

自分の資料の文章がよくなかったかな、

 

自分の添付資料の付け方が悪かった、

言葉がまとまっていない説明になった、

 

逆に資料がうまく出来過ぎていて

かわいくなかったか?

などなど、

 

これらが

ガンガン言われた原因かなとも。

 

そこはそうだったとしても

それが原因でなかったとしても

 

よりよくなるよう

改善するつもりである。

 

 

 

 

 

 

以前から

そういう面はあり、

 

仲間へも

その言い方厳しいなぁと

思っていたら

 

早々に

辞めてしまった人も

見てきている。

 

 

 

 

 

 

 

分からない分野の勉強だったので

自分は

必死についてきた。

 

 

 

 

 

やめたら

知りたいことが知れないから。

 

それに

そういう態度で辞めるのは

負けたような気もしていたし、

 

自分が改善できる部分があるはずと

思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

自分が足らなかったから

ここを反省しようと

今まで来たが、

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

今日は

今日の一連のコンサルを

再考してみて

 

今日の態度はちょっと

行き過ぎだ、

 

という考えが出てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

毎回気になっていて

自分の問題&改善点としてきていたが

 

さすがに

これは

「自分の問題」

ではない気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

先生が、

 

しょうがなく答えている、

めんどくさいこと言うと思いながら答えている。

 

 

 

先生の調子が悪い日もあるとは思う。

先生も嫌なことがあった日もあると思う。

 

 

しかし、

さすがに、

 

感情をコントロールできなかったり、

自己コントロールができてない、

先生の問題なのでは?

 

と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

必要だから

必死についてきたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、

こんなエピソードがある。

 

 

・・・

 

身内が癌で、

 

最初に担当していただいた

「医師」がいた。

 

今は、別の医師に

担当してもらっている。

 

 

 

 

 

 

 

初めて会ったタイプの医師で、

説明をしない上に、

一部説明した話も的確でなくあやふやだった。

 

・ステージや状態の説明も人それぞれだから

 意味がないと言わない

・それは説明しても仕方ないでしょ、と言わない

・だーかーらー、言ったでしょ、・・・

・無視・・・・等

 

とにかく

高圧的

めんどくさそうに仕事をし

知りたいことを教えてくれなかいまま

 

受診を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくたってから、

転院した。

 

今は、以前と比べると

天使のような

よい先生に診てもらえている。

 

 

忙しそうではあるが

 

説明が的確にあり、

見通しを言ってくれ、

今すべきことへの言及もあり、

応援も最後に言ってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

以前の医師の時は、

 

なんとか身内の

癌をよくしたくて

こちらの態度が悪くならないようにと

 

医師に低姿勢に

機嫌をみながら

質問も1つぐらいに絞り

言葉も気を付けてきて

感謝もしてきたが

 

そういう問題でなかったようで、

結局最後の最後まで

態度はかわらなかった医師だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その医師にも

もちろんお世話になった。

 

一次対応として

ほんとうに

ありがたかったのだ。

 

 

 

しかし、

 

その医師の対応の不信感の方が

当事者および家族で

大きくなってきてしまって、

 

転院を希望することにした。

 

 

 

 

 

 

今回のコンサルのことは、

あの時の医師に

 

似ているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

学んで

よりよい仕事をしていきたい、

ために

 

受けていたコンサル。

 

 

 

 

知らなかったから

学ぶ必要があり

 

必死で受けてきたコンサル。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

この教え方はさすがに・・・

 

 

 

 

 

 

 

はじめて、

 

別の環境でも

学べるのではないか?

という気持ちが出てきた。

 

 

 

 

 

 

そう思うと

あそこに当たってみようかという

アイデアが浮かんできた。

 

 

 

 

 

 

 

話は変わるが、

自分Aをとらえてはいるが

 

どうも

気持ちが重かったので

 

設定の技をかけてみた。

 

 

 

そのコンサルタント先生と

今までの状態のまま関わることは

 

なくなっていくように設定した。

 

 

 

 

 

 

新しい人と縁があるのかもしれないし、

先生が人が変わったようになるのかもしれないし、

(=以前のコンサル先生、ではないという意味になる)

 

私が忙しくその仕事から

コンサルが不要になり関わらなくなるのかもしれなし、

 

逆に私がやはり自分のここが

改善点だったんだと猛反省し

その変化の影響で先生が人が変わったようになるかもしれないし、

 

とにかく

今までとは同じではないように設定した。

 

 

 

どれになるか

それ以外のアイデアになるか

 

分からないが、

 

一番いい方向にいくと思う。

 

 

 

 

 

 

そして、

自分Bの視点を深めながら、

 

今日のことを気にしている感情を

浄化するように設定した。

 

 

 

 

 

 

すると、

7-8ぐらい気になっていたのが、

 

思い出せても

まぁいいかと

 

感情の動きが減った。

 

 

2-3ぐらいの

感情の動きに変わった。

 

 

 

 

 

 

 

よかった。

 

やっぱり設定はすごい。

 

 

 

 

 

 

 

相手が悪いとは思わない。

自分も反省点を改善する。

 

でも、

新しい可能性を設定したから

きっとさらによくなる。

 

自分の人生よいことしか起こらないから。

(^^)/

 

 

 

 

 

私にも皆様にも

ますます幸せと豊かさ、健康、よい人との出会いが

多くありますように。

 

現在の仕事の関係では、

基本は、

人と会うことが最近は特に少ない。

 

以前は、

往復3時間半ほど

電車を乗り換え職場に行くこともあった。

 

 

仕事以外でも

人と会うことが少ない生活をしている。

 

買物も

ネットが中心。

 

 

 

 

 

 

私が、

思考がだいぶ減ってきて、

その思考自体にも気づき、

 

出た思考を眺められ、

思考に巻き込まれることが

 

ほぼ減ってきたのは、

 

 

 

その

 

「人と会わない」

 

生活のせいかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 

その生活は、

 

インドの修行僧や

日本の修行僧の

 

山に入り

人とあまり接することなく

刺激は少なく

むしろ同じことを継続することが多い

 

そんな生活

 

それに

似ているかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前は、

悟りを求める修行僧は

山に入って修行をする

 

と思っていたが、

 

逆のような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

山に入って修行をするからこそ

修行僧は

悟れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し話は変わり、

 

今日は、

めずらしく

用事を済ませるために

いくつか外出をした。

 

 

 

 

 

 

 

早速思考が出てきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとしたことで、

 

思考が

ダダダッーと出てきていた。

 

すぐに気づけるので

巻き込まれは

ほとんどなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

この生活をしながら

思考に気づくのは

大変かもしれない・・・

 

と思った。

 

 

今の生活は、

 

たぶん

とても

思考に気づくには

有難いものなのだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻すと

今日の外出時、

思考に巻き込まれることは

ほぼなかったのだが、

 

少しだけ

巻き込まれたことがあった。

 

2回、

人にイライラする感情が出た。

 

 

 

 

 

 

 

いつも

人と接しない生活の中で、

イライラするとしたら、

 

仕事の進み方に

イライラが出がちだったが、

 

外出すると

人へのイライラが圧倒的に出やすい。

 

 

 

 

 

 

 

それは、

 

自分の思い通りに行かない、

もしくは、

自分の希望しないことが起こる、

 

から、

と思っていたが、

 

もしかしたら

ちょっと違うかもしれない。

 

 

 

 

 

 

今日こんなことがあった。

 

例)

■ある道で男性がきたなと思ったら、その足音が

 いつまでも同じペースでついてくる。

 それも3-4m以内。

(ぬかすか、離れるか、してほしい。

 自分がペースを変えようか、曲がろうか、

 そのうち襲われるのかも)→不快

 

■別のある道でも

 一緒になった人がいたが、

 相手はとても歩くペースが速かったのに

 あっ意識されたかも!と感じた後、

 (女性で、瞬時に関心をもたれ品定めされた気がした)

 相手が急にペースを落として

 自分の後ろにまわり

 歩きだした

 

 

これらに

嫌だな(イライラの感情)と

いう思考が出た。

 

 

 

 

 

 

 

これは

上手く処理できなかった例。

 

ほかにも

たぶんあった気がするが

 

思考をかわせたり

自分Bが気づいたので

 

大丈夫だった。

 

 

 

 

 

 

 

この2つだけは、

すぐに

かわせなかった。

 

なぜだか考えてみて

分かった。

 

 

 

 

 

 

同じ道を歩いていて

しばらく

意識せざるえない状況が

できていたのもあるが、

 

たぶん、

ボーっとしていて

自分Aが中心になっていた。

 

 

参考↓

 

 

だから

自分Bがすぐに出づらくて

少しだけ

巻き込まれた。

 

すぐに

ある対処をとって

切り替えられたからよかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

相手に意識されて

イラっとした感情と思考が

出てつもりでいたが

 

たぶんそうじゃない。

 

 

自分A中心で

自分が歩いていた。

 

自分Bをわすれるぐらい

ボーっとした

状態でいたからだった。

 

 

 

 

 

 

 

よく

言われているのは

 

その観察する自分Bで

常に自分Aを見ていること

 

そのくらいしないと

自分Aになってしまうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はちょっと

油断していたなぁ。

 

 

変なことを書くなぁと

もし

ここまで読んだ人がいるならば

思うかもしれないが、

 

そのくらい

ふつうの人間は

自分A(←本当の自分じゃない)に

ふりまわされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日

それ以外の場面で

切り替えられたのは

 

自分Bを意識する気持ちで

世の中を見ている

思考を見ている

ことが多かったからだと思う。

 

 

だから、

すぐに自分Aや

世の中の見方に巻き込まれそうになるのに

気づけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局

自分だったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分Aに

だいぶ気づけるようになった

と思っていたが、

 

自分Bを忘れがちになる自分がいる、

 

ということに

気づけたし、

 

そうだと

簡単に自分Aに

巻き込まれやすい

と、

 

あらためて気づくことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも

思考がだいぶ減ってきているのは

確か。

 

 

自分の中に

平安が増えたのは

 

本当に幸いなことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もよい日でした。

そして自分の人生はいい事しか起こらない。

すべてに感謝。

 

 

皆様のますますの強運と健康と幸せを願って・・・。

 

 

 

 

 

 

<解決した方法>

 

●Amazonの返品時(数品返品)

下記のようなエラーがでて

返品手配がすすめられなかった。

 

しかし、1品や2品を返品しようとすると

画面が進みエラーは出なかった。

 

エラー画面↓

 

 

 

解決した対応:

Google Chromeで閲覧していたが、

MicrosoftのEdgeに表示ブラウザを変更して

返品手続きをした。

 

そうしたら、一発で返品画面が

最後まですすみ返品申込をすることができた。

 

解決完了♪

 

 

ある方の話で、

こんな話を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

”何かをやる前に

まず自分に負けていたら

その時点で負ける。

 

武道でも

自分に先に勝ってこそ

勝てる。

 

先に

「自分に」 

勝たないといけない。”

 

 

 

 

 

 

その話を朝

ふりかえり

 

「あぁ、自分に負けていたなぁ。

 毎日、負けている生活だったかもしれない。」

 

と思った。

 

 

 

 

 

「自分A」のことを

「自分B」が

ほぼ気づけるようになったが

 

それは

不快な思考や感情がメインで

 

日々のことも

気づいているつもりで

 

負けていた気がした。

 

 

 

 

それに、

ハッと気づかせてもらった。

 

 

 

 

どういうことかというと

いつも

 

自分に甘く

仕事をしていた

 

自分に気づいたのだ。

 

 

 

 

 

甘いというのは、

自分Aのままに

という意味だ。

 

※参照

 

 

 

 

集中すべき仕事の途中で

よく気がそれて

 

気づくと

メインの仕事が

ちっとも進んでおらず

 

数時間たっている。

 

 

 

こんなことがよくあった。

それは

忙しいからだと思っていた。

 

 

 

 

その気が散っている状態、

 

あれもやろう、

あっちも気にしないと、

あれはどうだったかな、

 

と「自分A」が

言っていた。

 

そのままに

メインの仕事を中途半端にし

 

自分Aが言うままの

次の事にとりかかっていた。

 

 

 

 

 

そんな仕事の仕方をしていることに

うすうす気が付いてはいたが、

 

必要なことだと思っていた。

 

しかし、

これは

「自分A」のまま

 

現実逃避したくて

難しい仕事をさけたくて

行動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全部「自分A」が言っていたんだ。

 

ホメオスタシス、

 

もしくは、

神王TV的には

現状維持機能ともいえるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、

午前3H、午後3Hは

集中タイムを作る!

 

と決めて

常に思考(自分A)を見張りながら

仕事をした。

 

 

 

 

 

 

よけいなことをしようと

自分Aがよくでてきたが、

 

それは休憩中でいいと

頭を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

だいぶ仕事が進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この自分Aに勝つ

ということが

 

 

「自分に勝つ」

 

 

というこどなのではないかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は

ひさびさの

梅雨の晴れ間で

 

太陽がとても暖かく

気持ちよかった。

 

 

 

 

 

 

人生の大半

自分Aであったが、

 

そういう点では

自分Aもかわいいが、

 

でもやはり、

自分Aに勝っていかないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に勝てた日、

 

太陽から多くの元気をいただいた。

 

ご褒美をありがとうございました。。。

先日、美容院に行った際、

雑誌の広告に

 

下記の辻さんの本が紹介されていた。

 

 

 

 

作家・辻仁成さん の 最新作。

 ↓ ↓ ↓

 

 

 

 

 

 

 

Amazon では

下記の目次が紹介されている(引用)

 

 

 

 

 

 

雑誌の紹介ページにも

抜粋して

内容が紹介されていた。

 

 

 

 

 

 

 

目次でも

読んでみたいページはある。

 

辻さんが嫌いなどでもない。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

美容院で見た時思ったことは、

 

なんだか既視感のある

まだこの手法が使われているのか

 

あぁ私には不要だな、

 

だった。

 

 

 

とても

勇気をもらえそうなことが

書いてあるのに

 

とても

その文字の多くが

霞(かす)んで見えた。

 

 

 

 

 

そして

実際、必要な人に

力を与えるであろうが、

 

それは一時的なもので・・・

対処療法的な・・・

また次を求めてしまいそうな・・・

 

そんな内容に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

私には不要だな、と書いたが、

 

正確には、

不要になったな、だと思う。

 

 

昔の自分だったら

飛びついていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだか

そういう見え方に

なってきてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

TVを見ていても

何十年前から同じパターンで

やっていて、

 

 

今回の辻さんの本しかり、

 

各種

心の持ち方の本も

著者だけが変わっただけの

同じ本に感じられるし、

 

 

世のサラリーマンも

何十年前から

かわらない姿で

街中を歩いている気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分Bが多くなり

 

ある意味

達観しているのかもしれないし

冷めているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

はしゃぎたい時ははぎゃぐが

はしゃぐべき

明るいのがいい

 

など

それが”良い”

とは思わなくなってはいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

洋服も

清潔感と似合う服は着たいが、

 

最新の服をきるのが

”良い”

という気持ちだったら

 

少し違う

ような気がしてきてしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう見方になってきた

(良し悪しや自分Aに巻き込まれない)

 

自分が

 

こんな見方で

違っていて凄いでしょう、

 

と鼻につくような傲慢的に

聞こえてしまうかもしれない。

 

 

 

そういうつもりで書いていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、

世の中の味方が変わってしまって、

 

”幸せは

そこにはないよ

そこじゃないよ”

 

そんな気持ちはある。

 

 

自分Aで生きて楽しんでいる人には

 

とても

余計なお世話な話だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さんざん思考がうるさくて

 

恵まれているのに

なんで苦しいんだろう

 

これは何なのだろうと思い

生きてきたからこそ

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとなく自分のために

 

そしてこの言葉が必要な人に

 

言葉を残したい気持ち・・・

 

それが

それが”起こっている”のだろう。

 

 

 

 

 

 

しかし

本当は

 

残したい自分も

残したい人も

 

 

 

 

 

 

 

 

現実には

 

いない

 

のだけれど。