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悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

だいぶ感情がでなくなってきたが、

まだ

時々

プチ 「イライラ・怒り・不満」 が出たりする。

 

ここで巻き込まれず

まず眺められるようになってきたので

すぐ収められることがほとんどなのだが、

 

どうしてイライラ・怒り・不満が

バッと出たのかな、

とすぐに考えたりする。

 

 

 

その時々で思っていたことは

・自分は何も悪くないのに失礼なことをされた

・自分は何もしていないのに変な態度をとられた

・自分は配慮したのに相手は配慮しなかった

・自分はあれだけしているのに相手はしてくれなかった

・これをするのが常識なのに相手はしなかった

・ある会社が無料をうたい、実際は有料で騙された

 

全部まず

「相手」

が悪いという

「思考」が出ていたと思う。

 

また

「自分を認められていない」

という「思考」も。

 

それら「思考」が

「イライラ・怒り・不満」

の原因だった気がする。

 

 

結局、これも

自分の物差し(常識、価値観、経験・知識、勘違い)

の問題でしかないと思った。

 

自分のモノサシだけしか視野に入らず

それで図って

相手悪し

と思っているにすぎない。

 

そして、

自分は常に認められるべき

と思考が出ていた気がする。

 

 

 

自分のモノサシで

イライラしたり

いかったり

不満をもったり

しているだけなのだ。

 

 

 

そのモノサシが万能だと

思ってしまっている。

 

 

 

そのように

自分のモノサシだけで

物事を計るのはなぜか?

 

自分で考える静かな時間をもてない

or 

もつ習慣がない

 

せいだと思っている。

(前々回のブログで書いたように)

 

 

 

 

私がよくするのが、

 

①自分に落ち度がなければ

 決して自分は責めなくていい

 

 落ち度がれば

 次に繰り返さないようにすればいい

 

②そして、

 自分のモノサシだけで見ている前提で

 待てよ

 どういう改善案・対策・考え方があるかな

 

と思うこと。

 

 

 

 

そこには

相手が悪い!

は出てこない。

 

 

 

 

今後も

静かな心で

思考をみながら

真の自分を感じつづけたいと思う。

プチ悟りから

仏教が伝えていことが

腑に落ちるようになってきて

 

それも

日本に伝わっている大乗仏教でなく、

 

初期仏教が

本当に釈迦が伝えていたことであり、

 

これは宗教というより

あがめるものもなく、

人間が生きる道徳・心理学・コツ・真理

のような気がしている。

 

 

 

 

少々数冊目を通したが

知識だけの方と

分かっている方とが

なんとなく区別がつくように

なってきた。

 

この本の著者は

分かっている方だなぁと

思った。

 

この本は特にわかりやすかった。

 

 

 

 

 

 

 

でも、

前回のブログでも書いたが、

分かりやすくてよかった

よくわかった

ではなく、

 

「さて、このことはどういうことだろう。

 自分のあの問題ともからめて 

 どうかんがえればいいんだろう」

 

とまで

落として考えないと

知識だけの獲得で

自分のものにならないと思っている。

 

1節読んで

じっと思いを巡らし

考えに考えて

自分に落とすことで

本当に

自分の人生に生きてくる思っている。

 

 

 

図書館で借りていたが

早速注文した。

Amazonでは中古しかもうなかったが、

買えてよかった。

ありがたいな。

 

 

先日、

「知識を得てばかりでは気づきはない。

 自分で考えて、

 自分の言葉に落としてこそ

 本当に自分のものになる」

というようなことを書いた。

 

 

 

そうは書いたのだが、

多くの場合、

・知識だけ得て分かった気持ちになっている

 

それで人生が変わっていれば

知識だけでよいことになる。

実際は、そうでない(=知識だけの獲得ではだめ)。

 

 

 

自分が

少し楽になってきたのは

少し悟ってきたからなのだが、

 

悟りというと難しくなるし

できるかどうかという視点もあると思う。

 

 

 

それを

多くの人が経験できるよう

近い状態にするには

どうしたらいいのかなぁと

思っていた。

 

 

 

釈迦が言っていたが、

煩悩(多くの欲など)は

無知からはじまり

無知は

智慧(ちえ)がないためであり

智慧をえるには

静かな心で正しく物事を見ることが大事、と。

 

要するに

静かなる心をもつことが大事だということだ。

 

 

 

 

静かなる心を

もつ工夫を生活に取り入れる

 

ことこそ、

知識をただ知識としてでなく、

自分で考えて

自分の力にしていく

 

近道ではないかと思った。

 

 

 

静かなる心は、

呼吸法とか

ヨガとか

整理とか

散歩とか

お風呂とか

自然の中にいるとか

・・・

心が鎮まる

方法はいろいろあると思うので

 

自分に合った方法で

心を静めていく

 

そういう取り組みを

まずしていくことが

大事ではないかと

思った。

 

 

 

 

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●最近、

金運爆上がりという

「白ヤモリ」

を2回家で見かけた。

 

金運UPくるなぁと

思っていたら、

 

今日

さっそく

お金を2回拾った。

 

 

この1年で

何回お金を拾ったことか・・・

家族からも

「本当によくお金を拾うね」

と驚かれている。

 

 

 

①自販機で10円

 

120円のコーヒーを買うために

200円を入れたら

おつりが90円!

 

10円拾った。

 

 

②病院で1円

 

病院に行った。

座る椅子の足元に

1円が。

 

1円拾った。

 

 

 

設定で

最近毎日

 

100万円は当たり前で、

数千万円~億、

稼いでいることになっている。

 

 

 

お金が入ってくることに

抵抗がないというか

当たり前になってきていたので

 

そのせいで

実は、

白ヤモリや

1日2回お金を拾ったのかもしれない。

 

 

 

楽しい気持ちになり

ついているなぁ。

 

 

 

 

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●白ヤモリ2

 

数日前に

10㎝強の大きさの

白ヤモリを見つけたが、

 

昨日だったか、

一昨日だったか、

 

今度は

子供の白ヤモリを見かけた。

 

ヤモリは

ゴキブリ等虫を食べてくれ、

家を守ってくれ、

縁起がよいという。

 

 

 

かつ、

白ヤモリは

金運爆上がりとか。

 

 

 

また出会ってしまった(*^-^*)

 

ついてるなぁ。

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●白ヤモリ

 

最近、子供ヤモリを家で最低3匹見かけた。

築古になってきた

木造家屋のせいだと思っているが。

 

調べるとヤモリが家に出ると

縁起が良いと言われているという。

 

そして、

今日は、

 

なんとなんと

 

”白い大きめのヤモリ”

を見かけた!

 

白ヤモリを検索してみると

通常のヤモリ以上に

★ 幸運の兆候!

★ 金運が爆上がり

★ その家は災害から守られる

★ 人間関係の改善

★ 行動するとき

 

らしい。

 

うーん、やりました!♪

 

 

 

 

●金運UP

 

最近、

モヤモヤしたり

ごちゃごちゃ考えそうになったら

 

太陽に

あたるようにしているのだが、

それに加えて

 

「整理」

をすることにしている。

 

とても

気持ちが良いし

終わった頃には

頭の中がすっきりしている。

 

 

そして、

先日、

 

整理中にお金を見つけた!

小銭だけだったが

わーい😃

 

たぶん

亡くなった家族が

しまいわすれたものだろう。

 

 

ついてます。

 

 

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●父の気持ちが上向く

 

父が怪我をして

運動もできなくなったら

気持ちまで落ちてきてしまったようだった。

 

もう生きている意味がない、

とまで言うようになった。

 

設定を変えて元気になるようにしたら、

 

酷い気分10だったのが、

7ぐらいに下がった、とのこと。

 

食欲も出て

家族への配慮もでてきた。

 

よかったー。

 

 

最近、悟ったような状態になったので

いろいろ

 

それについて調べていたら

仏教に行き当たった。

 

万物が相互に非常に

関連しあっている

影響しあっている

関係しあっている

 

というような内容があった。

 

そして

良いも悪いもない、

というような内容もあった。

 

 

 

 

 

関係はしあっているでしょうねぇ、

良いも悪いもないでしょうねぇ、

頭ではわかっているつもりでいた。

 

しかし、今日

はっ! 

っと気づいたことがあった。

 

 

 

 

その人をAさんとしよう。

ある関係者にAさんという方がいる。

 

嫌味を言う(そう解釈しているのだが)、

人の悪口を言う、

それぞれ頻度多めに・・・etc.

 

ほかにもあるが主に

そんな特徴があった。

 

 

 

 

 

昔だったので、

 

自分に向けられた時は

抵抗の気持ちが出て

 

いろいろと反応してしまっていた。

 

 

 

 

最近は

静かなる心で思考と感情をみられるようになり、

他人もそういう目でみられるので

 

Aさんより

以前のような言葉を投げかけられても

 

自分の心が動かなくなった

のを感じるようになった。

 

 

 

 

 

今日は、

そのAさんが

 

あっ!

悪い人ではなく良い人でもあったのだ・・・

 

と気づいた。

 

 

 

 

 

 

何故かと言うと

主人との縁をつないでくれた1人でもあったと

気づいたのだ。

 

Aさんがいたから

主人が私と一緒になってくれたと。

 

 

 

 

 

どういうことかというと、

 

Aさんは

主人の関係者の人である。

 

 

 

 

主人は以前

 

「自分のある方面の関係者は、

 単純な人が多い。

 (一面だけで判断、人のうわさ悪口、

  不勉強、深く考えないなど)

 

 自分はそれをいいと思っていない。

 

 自分は深くものを考えるので、

 ギャップを感じている。

 

 自分が好きなのは単純じゃないタイプの女性」

 

と話していた。

 

 

 

 

 

Aさんの様子を

思い出していた時、思った。

 

 

「あっ!

 主人の身近にいたAさんはじめ

 関係者の方々が”単純タイプ”だったおかげで、

 

 主人は

 自分はそういうタイプは苦手と自覚し

 

 単純じゃない人がよいと

 

 単純じゃない考えるタイプの

 私が輝いて見えたのではないか?

 

 Aさんらがいてくれたから

 私が主人と結婚できたのではないか。」

 

と思ったのだ。

 

 

 

 

 
嫌味や人の悪口を言うAさん。

それゆえに主人が私と結婚したくなった。

 

ほんの一例を書いたが

一切の事も

全ての人も

学び(先生となりうる、よきこととなりうる)と

あらためて思った。

 

 

 

 

すべてのご縁は

すべて先生であり学びの場、

 

それが実感できた視点がもてた日だった。

 

 

 

 

感謝。