悟りへの道 -39ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

Youtubeで見つけた

下記のブッダの動画の挿入歌。

 

 

個人的な”感想”ですが

落ち着きます。

 

 

 

※幸福の科学  大川隆法さんが作詞された

 歌のようです。

 日本人は宗教に悪いイメージがあるように

 ある意味「洗脳」されてきたと私見では思ってますが、

 宗教ぬきに、ご興味ある方は聞いて欲しいなぁ。

 

 

 

 

最後の方に歌が挿入されています。

 

 

 

歌だけバージョン

 

 

 

歌詞があるバージョン

 

 

技記録: 

 

今朝、目が覚めたら

・喉の痛み

・右耳の中の痛み

があった。

 

 

風邪をひきそうな時

喉や耳が痛くなる。

 

 

風邪ひいたら、まずいなぁ、

技かけしてみた。

 

 

 

●結果: 

 

5-6 → 0-1 にできた。

 

喉、耳の痛みも

あれっ!

感じられなくなった。

 

自分でかけながら

改善させるためにやっているのだが、

 

ほんとに改善するので、

毎回

不思議に思う。

 

 

 

「病は気から」

とよく聞くが、

 

自分に試してみて

改善し

 

「痛みって

 病気って

 何なのだろう・・・」

 

と思った。

 

これからいろいろ試して

知っていけたらと思う。

 

 

※これを書いている今(夜)

 まったく喉と耳の痛みがあったことも

 わすれて元気だった。

 

 

 

 

●効いたと思われるポイント:

 

・自分のヒーリング関係の技

・背骨に対する技

・丁寧にかけたこと

・先日のセッションの応用

・マインドブロックの応用

・外国人ヒーリングの応用

 

・とにかく、かけはじめると

 またげっぷが沢山でる

 ゲップがでるほど治っている感覚あり

 

 

 

 

 

 

 

 

私も皆様も万物万人すべてが

さらに健康で豊かで幸せでありますよう。

 

 

 

 

 

 

 

~ありがとう~

 

 

 

技記録:

 

色々な人と合い

普段見ないものを見たりなど

 

慣れない動きをすると

疲労なのかよく目の奥が痛くなる。

 

昼頃、早々に

痛くなってきたので

すぐに技かけをしてみた。

 

 

 

 

 

●結果:

 

5-6 → 1-2 にできた。

 

 

比較的短時間だったのに

アレっ効いてる!?

と自分でも効いて驚いた。

 

 

そのあとのことを

今思い出すと

 

全く痛みのことも忘れ(感じなかった)

普通に仕事をしていた。

 

 

 

今これを書こうとしたのも

また痛みがあったので

思い出して記録として書いた。

 

 

 

今の痛みを途中で

とってみたが

 

また 5-6 → 1-2 になった。

さらにかけ、 0-1 にできた。

 

 

 

痛みは幻想だという人もいる。

また痛みについても

調べてみたいと思った。

 

 

 

●効いたと思われるポイント:

 

・ 3段階でしっかり集中モードに入った

・ 自分の状態をしっかりと感じた

・ 技、自己流の浄化技、マインドブロックの応用技、本の応用技、のみ行った

・ 焦らず落ち着いてリラックスして行った

・ そういえば、ゲップが沢山でた(効く時にゲップが出る傾向がある)

 

  ~ ありがとう ~

  

 

 

 

今日も

自分を見張って

思考と感情と動きを

 

ずっと

見て見て見て

いた。

 

 

 

 

今日は

・新規の仕事への対応、

・懸案事項の打合せ、

・来客

 

等、いくつかたてこみ

疲れたせいもあるが

 

最後の来客時、

先方に今回は仕事を依頼しない

旨を伝えた。

 

 

 

 

今回は

他社が適切だったため。

 

全然大丈夫とのことで

了解いただけた。

 

 

 

 

しかし、

来客が帰った後、

 

パッ

パッ

パッ

・・・

思考が出てきた。

 

出た!

出た!

また出た!

とらえた自分ではあった。

 

巻き込まれにまで発展せず

昔の自分を

思い出していた。

 

 

 

 

・断って悪かったかな

・いつもお世話になっているのに

・気を悪くしてのでは

・もっと他に方法なかったか

・いや、やはり義理立てすると無理がある

・売り上げが厳しいという話が出ていたな

・嫌われたのではないか

・・・

こんな考えが

パシャ―

パシャ―と

写真をとるように

 

場面とともに

出てきたが、

 

昔はそのまま

それに巻き込まれまくっていた。

 

 

 

家事をして体を動かしても、

掃除をしても

洗面所に立っても

 

ずっと

ぐるぐる思考が

リピートしていた。

 

 

 

 

これが苦しかったし、

止め方が分からなかった。

 

 

 

 

昔は、

翌朝起床時、朝一でも思い出した。

 

 

 

 

でも今に至る

数年前は

さすがにそのおかしさに気づきだした。

 

 

 

 

朝一で

この考えがまた出てくるって、

何かおかしいのではないのか???と。

 

でも、

止め方が分からなかった、

という状態だった。

 

 

 

 

思考が全て、

最近ずっと書いてきている。

 

 

 

 

人生の苦しさは
 

思考

およびその巻き込まれ

 

につきるように思う。

 

 

 

 

今は

そこを見つめられる自分Bの視点ができ

ありがたい。

 

平安の状態もわかっており

そこに戻りやすくて

ありがたいなぁと本当に思う。

 

以前は苦しかったので、

なおさらだ。






思考を見つめ
巻き込まれず、

現実的には

悪意があったわけではないので

自責はせず、

 

次に生かす学びとすればよい

が最近の方針であるので、

 

「また仕事を依頼したいと思っているので

依頼できるよう努めればよい。

嫌われたらそれもそれで

そこからまた学べばよい。」

 

とした。

 

 

 

 

人の苦しみの原因は

思考

 

そして、

その巻き込まれ。

 

 

さらには

何かあっても

学び改善成長とすればよい

 

何事も

よいことに結局つながる

 

それだけだと

あらためて思った。

 

 

 

 

私も、みなさまも、

さらに健康で豊かで幸せでありますよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

技記録:

 

母がまた持病のせいか

発熱。

 

医者にいっても

対処療法のみ。

 

体へのアプローチの

技かけした。

 

 

 

●結果:

 

技をかけたが

熱に関しては

 

前回同様すぐには効かなかった。

 

 

 

ちなみに前回は、

翌日1℃下がるが

翌々日はあがり、

3日後にやっと平熱に下がった。

 

 

 

頭が

すぐれずボーっとする感じは、

 

すっきりしたという。

 

頭の感覚には効果があるようだ。

 

 

 

●考察:

 

熱に効かなかったと思われる理由

を考えてみた。

 

以下、今後気をつけてみたい。

 

 

・熱へのアプローチのポイントの絞り方が間違いだった?

 

・熱自体効きにくいかも

 

・熱を下げるのではなく、

 熱には高熱で菌を殺すなど理由があるので

 原因と思われる「モノ」を取り除くべきだったのでは!?

 

・または原因となる部位の不具合の「再生」に

 力を入れるべきだったのでは?

 

・技の一連のすべきことを抜かしていなかったか

 

 

 

●効いたと思われるポイント:

 

感情とか感覚については

スッキリしたとのことで

効いたと思う。

 

 

・ヒーリングに使う技すべてを使用

・感情・感覚には効きやすいようだ

 

最近、自宅に帰宅したとたん雨

がポツリ、ポツリ・・・

降り出すことが何回も続いている。

 

昨日も

帰宅したとたん雨になった。

 

濡れないということを

良しと考えたら

 

だいぶついているなぁ。

 

 

 

■車で外出、帰宅したとたん雨 @遠いスーパー

■車で外出、帰宅したとたん雨 @とても遠いスーパー

 

■車で外出、帰宅したとたん雨 @遠くへ外出1

■車で外出、帰宅したとたん雨 @遠くへ外出2

 

■歩いて外出、帰宅したとたん雨 @近くスーパー

■歩いて外出、帰宅したとたん雨 @ほかの家に行っていた

 

 


こんにちは。

 

 

思考の観察を続けている。

 

 

 

さらに貪瞋痴(とんじんち)

にわけている。

 

 

 

さらにすすめて

貪瞋痴の14種類に分け

とらえるようになったら

 

ただ思考をとらえるよりも

 

囚われ

思考・感情

 

が出にくく

穏やかになった気がする。

 

 

 

 

 

 

いつも書いているが

 

・モノサシ(価値観、常識、知識・経験等)

・比較(他人、自分、人より前よりもっと欲)

・自分が大事(大切にされたい、自分は重要に扱われるべき、思い通りにしたい)

 

この主な3つが

人間にはあり

 

これらが苦しみや問題の原因だと

基本思っている。

 

 

 

 

 

先日、

 

「期待・希望」

 

も大きな

苦しみの原因だった!

 

と気づいた体験をした。

 

 

 

 

 

 

「期待・希望」については

気づけていなかったなぁ。

 

ひとくくりに

「思い通りにしたい」

という気持ちで

 

とらえていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の思考に

あれっ!?

と突然気づくことが多いのだが、

 

先日、

期待・希望の思考が見えた時

こんな風に苦しみを作っていたのか!

 

と驚いた。

 

 

 

 

 

例)

●若い奥様方が集まって話をしていた

 

すぐさま

”自分にはこういう仲間がいない、作りたい、難しい”

 

という思考が出たのに気づく。

 

 

 

そこから

 

自己否定

嫉妬

 

の思考・感情がふくらみそうになったのに

気づいた。

 

 

 

 

・その場では人と話していないが

友人は少なからずおり仲間がいないわけではない。

 

・輪になって人と話すのはあまり好まないので

本当にワイワイする仲間が欲しいわけではないのに

もっていないものを人が持っているのをみて

楽しそうでうらやましいという思考がでた。

 

 

 

 

期待・希望から

苦しみがでていたのだ、と気づいた。

 

 

 

 

 

 

また別の話で、

その日の夜、

 

今日はアレとアレもできなかった、

 

という思考が出たのに気づいた。

 

 

 

 

それで

落ち込みかけたり

自分を責めかけた

 

思考が出たのに

気づいた。

 

 

 

 

これも

期待・希望から

でた苦しみだ。

 

 

 

 

こうしたい

あぁしたい

それがかなわない

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

 

よく考えると、

 

この期待・希望で

勝手に苦しみを作っている場面は

 

日常で山ほどあるように思った。

 

 

 

 

 

 

できる毎日の家事をし、

できる仕事をし、

付き合えている人と和をもって接し、

少しだけ仕事や悟りの向上や改善ができたら、

 

人間、

それでいいのではないかなと思った。

 

期待・希望をふくらませすぎて

いたのではないかなと思った。

 

 

 

 

 

未来を不安に思い

こうなったらどうしよう、

もっとこうすべきではないか、

 

と人は思いがちだと思うが、

 

できることしか

人にはできない、

 

とどこか諦める気持ちも

求める気持ち以上に

大事ではないかと思った。

 

 

 

 

 

期待・希望をもちすぎが

苦しみの原因

 

と書いたが、

 

もってもよいとは思う。

 

 

 

 

ただ、

自分を責めて終わっていなければ。

 

 

 

 

 

自分も

以前こういう生活をしたい、

 

と希望をもち

それが叶っている。

 

 

 

 

 

その時は

こういう生活をする!

 

と努力にだけ視点をもっていけていた。

 

 

 

 

 

でも、

その生活を手にしても

 

やはり

人間それだけでは満たされず

(※そこでは、満たされないようになっている)

 

心が空虚感があり

 

悟りの本を

読み漁るなどしてので、

 

期待・希望があってもいいが

 

最後は

悟っていかないと

本当の平安にはなっていかないとは思う。

 

 

 

期待・希望

にも注意しながら、

 

現状あるものに

しっかり接していきながら

(どこかで諦め、割り切り)、

 

また進んでいきたい。

 

 

 

 

 

 

 

※貪瞋痴について

分かりやすく書いてくださっている

記事をみつけましたので、ご参考まで。↓

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の心理学の究極は

初期仏教だと最近思っている。

 

心理学というと

非常に軽くなってしまうとさえ

最近思う。

 

というか、

心理学をいくら学んでも

決して苦しみは解消されることはないと

最近確信している。

 

真理にも程遠い。

 

 

 

 

 

人間の苦しみが

唯一解消される道があるとしたら

 

初期仏教、

悟り、

 

そこまでいかないならば、

物の見方の事実を知ること、

 

しかないと思っている。

 

 

 

 

ただ、

初期仏教と

日本に広がっている仏教(大乗仏教)は

まったく違うものなのでご注意を。

 

 

 

 

 

 

スマナサーラ長老は

(現時点の私の視点でだが)

何冊も本を出されているが、

 

内容が秀逸

と感じている。

 

 

 

他のどの本よりも

真理に近く

わかりやすい。

 

 

 

タイトルの本も

素晴らしかった。

 

図書館で借りたが

その場で読み始めて

 

あまりに引き込まれ

 

椅子に座って読むのが

止まらなくなってしまった。

(帰宅後、すぐに購入した)

 

 

 

 

 

 

あまりに素晴らしいと思ったので、

Amazonで注文する際に

 

レビューは満点では?

と思ったら3.7点ぐらいだった。

 

 

 

 

 

 

不思議に思い

レビューを読んでみた。

 

 

 

 

 

 

本はそれぞれの

感想があるのは当然なのだが

読んで気づいた。

 

 

 

 

・見えている世界が違う

 (まだ、悟りの段階に踏み入れた視点になっていない)

・「無常」を勘違いしている

 (スマナサーラ長老の言いたいことが理解されていない)

 

ということを感じた。

 

 

 

 

自分が視点が変わり

プチ悟りの段階にあると思っているから

おごっているように思われたら

申し訳ない。

 

批判のつもりではない。

 

 

 

 

ただ、

違いを知った、

違いがあるのだと学んだ、

 

といいたいとは思う。

 

 

 

 

人間はみな

自分と同じ見え方をしている

自分と同じ常識があると持っている、

 

そんな傾向があると思う。

 

 

 

 

それが今回、

 

やはり、

全然違うのだ・・・と学んだ。

 

 

 

 

見え方

見ている世界が違う人同士が

生きているのだから、

 

誤解や

好き嫌い

など普通に起こりうることだ、

 

と。

 

 

 

 

 

それらは起こるのは当然で

起こらない方がおかしいぐらい。

 

 

 

 

そういう違いがある、

と学びもあった読書だった。

 

 

 

 

感謝。

 

 

 

<< 後日追加 >>

・私は読みたいところから読むので

 読み始めたページ以降が

 なるほど!なるほど!の連続で

 ☆満点だと思ったが、

 

 あとで、最初から読んだ時、

 「ほかの方は最初から読んで

  ☆が減ったのかもしれない」

 と思った。

 

 最初から読むと

 逆に難しかったりもどかしく

 感じるかもと思った。

 

 

 

 

 

※下記、2冊あるが、

緑の表紙は横書きになっている。