悟りへの道 -20ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

全ての人は、モノサシが違う。

 

 

 

 

このモノサシが

人生に大変影響を与えていると思っている。

 

 

 

 

でてくる思考も大事だが、

「思考」自体は「モノサシ」がベースになっている。

 

 

 

 

 

こうあるべきだ

これが正しい

これが常識、

 

というモノサシ。

 

 

 

 

 

自分のモノサシに合わない時、「苦」(怒りや不満足など)が生じる。

 

 

 

 

 

 

しかし、

そのモノサシに絶対的正しさはない、

 

他人は

まったく別のモノサシの正しさをもっているから。

 

 

 

 

 

 

人それぞれモノサシが違うんだ、

と思えていたら、

 

まず怒らずにすむことが増えるだろう。

 

 

 

 

 

 

そしてモノサシが違うことをベースに

 

下記のように考えられたら

ただ学びや対策をとるだけの人生で

「問題」はなくなっていくように思う。

 

 

例)

考えが互いに違うが、

 

どうして自分はそう考えたのか

そうして相手はそう考えたのか

そのうえでどう付き合うか

どこまで付き合うか

どこを妥協するか

どう対策をするか

どこまでは譲れるか

絶対的譲れない条件が満たされなければどうするか、

モノサシ自体を変える必要を感じたら変えようか、

 

など。

 

 

 

 

 

 

 

簡単に書いたが、

 

本当は、

このように冷静に見つめること自体が

難しいのだとは思う。

 

スポーツの練習のような

「訓練」が必要かと思っている。

 

 

こういう自分も気を抜いていると

すぐに自分のモノサシで測ろうとする自分に気づく。

 

気づいて止まるから「苦」が少なくなって楽になれてきた。

 

止まるというのは、

以前より

それに気づくのが早くなり、

すぐに消火させられるようになったということ。

 

 

 

 

 

また、でも、

 

「どう考えても相手が悪い!」

 

としか思えないときでも

そこにも自分の判断(モノサシ)が働いているものだ。

 

それに対し、

どう考えていたから相手が悪いと思ったのか?

どういう行動を相手がとったら、普通だと思っていたのか?

どうしてそのモノサシ自体ができるようになったのか?

 

etc.

 

 

 

 

 

 

モノサシに気付き、

よりハッピーに過ごしたいものですね。

 

 

 

 

 

万人万物が

さらに幸多き日々でありますよう。

 

 

 

 

 

自分のブログを少し読み返していた。

 

それは違うなぁと思うことが多々あった。

 

恥ずかしい気持ちがでかかったが、

「今の自分」と比較していた。

 

 

 

 

思えば、何のために「今の自分」と比較するのか?・・・

 

比較しても

「今の自分」の方が成長していたら

「過去の自分」をどうして恥ずかしいと思わないといけないのか?・・・

 

などなど、

 

比較がでて、優劣の気持ち、慢の気持ちとか、

でていたような気がする。

 

こんな風に

人は当然のように無意識で

「比較」が発動して

「苦」を作っていたりするのだと思っている。

 

「比較」はいらない、という話は別の機会にするとして。

 

 

 

 

 

さて、話を戻し、

 

マーフィーの法則について凝り始めた時期に、

最下部のようなブログを書いていた。

 

 

 

 

 

いい言葉、いい想像、

が大切と気づいた、と。

 

ふだんの頭の中は、

「悪い想像」 でいっぱいだった、と。

 

 

 

 

 

そこで書かれていた「悪い想像(考え)」とは、

 

最近書いている

「苦」の原因とだいぶ似ていて、驚いた。

 

 

 

 

 

 

その頃から少し気づき始めていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

こんな趣旨のことを書いていた自分。

 

不安、恐怖、疑念、

恨み、妬み、批判、

嫉妬、怒り、人のせい、

劣等、人と比べ自己否定・・・等、

 

なにかあれば、

そのどれかを

頭の中で思ってきた気がする。

 

それをせず良い思考をしろって、

 

「うそー、

では何するの?

 

私することなくなっちゃうじゃない。」

 

 

 

 

 

ここでわかった。

だから「苦しかった」んだなぁと。

 

「することなくなっちゃう」

ぐらい

 

”苦” の原因のどれかをしてきたのだから、

 

苦しくないはずがない。

 

 

 

 

 

おまけに真面目な性格も加わり、

「苦」を増大させていたように思う。

 

真面目であることは良い面も沢山ある。

 

では、

真面目による苦の増大とはどういうことかというと、

 

真面目だと「これが正しい!」というルールが強めである。

 

つまり、モノサシ、常識、価値観、

それをしっかり守っているし、守る努力もしている。

 

守っていない人への怒り、

真面目でないのに認められている人への怒り、

真面目に守っているのに己の評価が十分でないことの怒り。

 

”モノサシ” が多く、強固なため、

周りをそれで測りまくり

自分自身にもそれで測りまくり

 

それに合わないものや状況にたくさんの「苦」を感じていた。

 

 

 

 

 

さて、

なぜ私は、良い想像ができなかったのか?

環境等で、不遇だったのか?

 

そうではなかったと思う。

 

今思うと、比較的恵まれていたとさえいえると思う。

 

 

 

 

 

それなのに

人生が「辛い」と思っていた。

 

なぜ「辛い」と思ってしまうのか?・・・

 

自分でも本当に不思議だった。

訳が分からなかった。

 

表面上は普通に社会生活をしていても

頭の中に

なぜかいつも苦しさがあったのだ。

 

 

 

 

 

思考がうるさすぎたこと、

その思考への巻き込まれがひどかったこと、

それによりさらに悪い思考ぐせがついていたこと、

 

らが大きな要因のように思うが、

当時はそんなこと分かるはずもない。

 

 

 

 

そして、さっきと逆のことを言うが、

自分が不遇でなかったと思い気付いていなかったこと。

 

苦となる思考が出やすい思い込みを

小さいころの環境で

自覚なく作っていた。

 

いわゆるアダルトチルドレン的な

状態だった。

 

(※しかし、今の私は親を悪く言うのは

  よい対処だと思っていないのでご注意を)

 

 

 

 

 

だから

いろいろと道を追い求めたりしていた。

 

どこかに答えがあるはずだ!

と、いつも探していた。

 

しかし、苦しかった原因を明確にしてくれたり、

真理を教えてくれる出会いはなかったように思うし、

出会っていたのかもしれないが気づけなかった。

 

 

 

 

最後の最後には、

 

「もう誰にも頼らない、

 どこにも答えはない、

 道は自分で探す」

 

という心境になった。

 

そして今へ。

 

 

 

 

 

 

今あらためて思うのは、

 

やはり、人が真に楽になるには

悟り的視点をもてることが大事だと。

 

色々な心理学、生き方のコツも

大いに活用すれば実社会は生きやすくなると思う。

 

でも、自身もいろいろな本を読んだり学んできたが、

もって2日でコツは忘れてしまうのだ。

 

 

医療でいうと、心理学は対処療法的な「薬」かなぁ。

 

悟りは、病になる本当の原因を知り、

病自体が発生しない生活をするような感じかなぁ。

 

さらには、病気があったとしても、

その良し悪しにもこだわらず平安に生きる感じかなぁ。

 

 

 

 

 

 

悟りに縁があってもなくても、

 

万物万人が

ますます幸多き日々でありますよう。

 

 

 

 

 

 

悟り的視点がもてる効用のようなことを

書いてみたい。

 

親の介護問題、

先日、家族間で意見の食い違いがあった。

 

 

 

 

昔なら、

相手はどうしてこうなのかと思い、

 

イライラ、不満、落ち込み、怒り、etc.で

ストレスで気分は憂鬱、

 

しばらく

負のエネルギーがたまりにたまり

それを放出したいような

うまく放出できないような

無意識だが、不快さ執着していたと思う。

 

 

 

 

それが悟り的視点が持てるようになった今、

まずは落ち着いている。

 

じっと状況を上からみて、

 

視点が違うので、色々な気づきがあり、

結果、よい対処法が浮かび、

 

反芻も執着もすくなく、気分の切り替えも早い。

また次のことに取り組める平安。

 

相手が悪いとか、

ひどいことが起こった、

のようにとらえない。

 

どう対処しようか、

何が大事か、

どんな気づきや学びが必要か。

 

結果、1つ成長できた経験になるな、といった捉え方。

 

 

 

 

例)

 

いやいやいや・・・まてよ

 

相手をものすごく批判する思考がでているな

 

わーわー頭の中でいいはじめ感情の出かかり

気分も下がりかけている

 

巻き込まれには気を付けてと、何が大切か・・・

 

みな意見や常識が違う(モノサシ)

 

あっ、相手の立場からしたらこういう気持ちかもしれない

 

そうか、”相手が悪い、相手は変われ”は、やはりない

 

今、そういう状況が起きているだけで、

自分がどうするかだけなのだ

 

この状況に対して

自分が取りうる選択肢のAを選ぶかBを選ぶか

どちらに覚悟を持つかだけだ

 

 

 

 

 

と、冷静に対応。

 

こんな風に対処できる。

 

 

 

 

 

ただ、

時折まだ、

一瞬のうちに思考・感情に巻き込まれそうになることはある。

 

少々巻き込まれたり、

感情がでてもいいが、

ただ、出ただけ、とわかっておき

それを眺められていることが大事かと思う。

 

 

 

 

****************************

余談だが、

ふと頭に浮かび書きたくなったので書いておく。

 

 

 

釈迦はその気づきを伝えよと夢で言われ、

ある賢者は人々が幸せになるのだから伝えなければと思い立ち、

 

賢者たちの話と比べておこがましいのはご容赦いただき、

 

私もブログで少々悟り的視点について書いているが、

まだまだとの思いがあった。

 

そう思いがちな性格傾向が大いにある。

 

以前の自分に比べたら

ほんとうに楽になれたのだから、

役に立つものは必ずあると思う視点をもつことが大切だ。

 

また、相性というものもある。

私の言葉だから、理解しやすいという人もいるだろう。

 

身近な人から聞ける利点というものもある。

 

富士山でいう5合目まではきたのだとしたら、

経験者として、富士山登頂初心者の人にはアドバイスできるこはあるはずだ。

 

完璧じゃないと、まだまだだと、

完璧主義、勇気がない、性格とも気づけた。

 

 

 

思いの発露があったときは

天が役に立ちなさいと言っている時だと思いたい。

 

 

 

 

 

どうでもいい独り言。

 

facebookを見ていると

友達では?ということで

おススメがでてくることがあると思う。

 

 

 

なんと、今回、

つきあいのある業者さんの私生活、

親戚複数人のアカウントらしきものが

複数表示されていた。

 

知らなくてもよいことを知らされた気分である。

といいつつ、クリックしたのは自分だが。

 

 

 

特に親戚Aさんについて。

 

グルメの親戚とは思っていたが、

インスタ映えする華やかな食事を通り越し、

 

見たことのないような

彩り、高級感のある食事の写真が次から次へと。

 

調べると、1万円以上のランチ、夜は数万円以上が

あたり前のようだった。

 

 

 

それだけの原資もあるのだろうが、

何よりも

食に、時間とお金をかけ、興味があり、エネルギーをそそいでいるんだなぁと思った。

また、芸術にも関心があるようだった。

 

 

 

私が、悟りとか初期仏教に関心があり、

時間もお金もエネルギーもかけているといったら、

不思議そうな顔をされるのかもしれない。

 

 

 

ひとそれぞれの人生があるんだなぁ、と

あらためて思った。

 

 

 

若干、自分もそうすべきでは?という

思考がでかかった。

 

そうしたいと思ったらそうすればいい。

 

もっともっと自分ももっとの欲かもしれない。

 

いったん思考をみつめてみてから

決めればいい。

 

 

 

 

今の私は、より悟り等について知れたら嬉しい気持ち。

 

でも親でも連れて、

たまには食べたこともない美味しいものを

食べにいってもいいかな、という気持ちにはなった。

 

その時は、

親戚の記事でおいしそうなお店を参考にさせてもらおうと思う。

 

 

 

 

仕事用のホームページを更新。

 

アップロードしようとしたら、

FFTTPソフト表示がおかしい。

 

 

 

他のPCに

FFTTPソフトをダウンロードして

無事、アップロードできた。

 

 

手順

●FFTTPソフト ダウンロード(bitに合わせて)

●サーバーよりFTP情報用意

●FTP情報入力し、アップロード

 

 

 

参考にさせていただき、

とても役に立った動画とURLを記載しておきます。

ありがとうございました 

 

FTPソフトのインストール・設定方法↓

 

 

ロリポップのFTP情報の見つけ方↓

 

『煩悩の教科書 あなたも菩薩になる 』

荒 了寛 , 苫米地 英人

 

 

煩悩の教科書 あなたも菩薩になる

 

 

 

 

 

 

この本を今読んでいる。

 

荒和尚は、ハワイにて天台宗を広められた方。

苫米地さんは、荒先生を師匠と仏教を学んだ、

そういう関係での共著らしい。

 

以前この本の中の「慢」についてふれた。

 

 

 

 

 

 

 

あらためて最初から再読すると・・・

 

いろいろな悟りや仏教関連の本はあるが、

学問としての仏教と荒和尚の人としての深さからか

大変分かりやすいし心に入ってくる。

 

分かる!と思っても人間すぐに忘れるので

何度も学ぶ必要はあると思ってはいる。

 

 

 

 

 

特に、P.52からの

「すべては3つの煩悩からはじまる」

 

3毒の貪瞋痴(とんじんち)の解説は、

今までの認識と違う視点も入っており

なるほどなぁと思う。

 

 

 

 

人は自分の心の動きを何も見ずに

無意識で過ごしているものだ。

以前の自分は、その最たるものでした。

 

同化し、巻き込まれまくり

「この苦しみはなんなのだろう」

とよく思っていた。

 

 

 

 

この本のように、分析・解説されると

はっ! とした気づきというか自覚のようなものが生まれる。

 

同じことを自分がしたときに気づきやすくなる。

 

 

 

 

よい本をありがとうございました。

万物に感謝、ありがとうありがとうありがとう。

 

 

煩悩の教科書 あなたも菩薩になる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦しみや不満足について。

 

 

 

人が他人に不満足になる時って、

 

・〇〇 された

・〇〇 してくれなかった

・〇〇 であるべきなのに、違う

 

という思いがある気がした。

 

 

 

その裏には

 

〇〇 しないのが、  当然

〇〇 してくれるのが、当然

普通は 〇〇 なのが、  当然

 

という価値観(モノサシ)がある。

 

 

 

自分の希望と違う状態でいてはいけない、

自分の思い通りの他人であってほしい

 

という欲がある。

 

 

 

 

 

結局「基準は自分」にあるのだ。

 

自分の価値観で、

相手が〇〇を「しない、した」と

その良し悪しを判断している。

 

 

 

そして「自分の基準は正しい」と信じており、

そうでない

という視点もないし、

一切気づけない。

 

 

 

この話は、

 

だから他人は悪くない、

他人を許せ、

 

ということではない。

 

 

 

 

”怒る” 必要はないということ。

 

 

 

自分のモノサシに気づき

 

自分の基準と違っていただけ。

そこから何を学べるか、

そこから何を工夫していけるかか、

 

考えることが大事なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り返し言葉を変えながら

下記が

主な 苦の原因 と考えてきた。

 

自分でも油断して生活していると

巻き込まれているので時々復習を兼ね書きたい。

 

 

・モノサシ

・欲

・比較

・自己価値観

・知らない

・勘違い、思い込み

 

 

具体的に言うと

 

・価値観、常識、正しさ、普通はという思い、こうあるべきという思い

・欲しい欲、避けたい欲、思い通りにしたい欲

・今より人より以前よりもっと or 手に入れたものは手放したくない

・自分は価値がある、勝っている、認められたい、嫌われたくない

・無知、経験不足、視野が狭い、抽象度が低い、などのその時点の実力

・完全に勘違いしていて、本人は思い込んでおり、事実でなくともそう見てしまっている

 

になると思う。

 

 

 

 

 

 

最近思うのは、

 

本当に上記のモノサシ等の事項が

つくづく苦の原因になっていると思う。

 

相手が悪いとか、世間が悪いとか、自分が悪いとか

ではなく、根本を見つめないといけないなぁと。

 

 

 

 

また、自分からモノサシ等で積極的に判断しなくても、

” 思考をみつめず油断” していると

 

それらモノサシ、比較、欲の気持ちなどが容易に起こり

妄想しはじめてしまうものだなぁも感じている。

 

 

 

いつも入れ忘れるが、

「 ”思考をみはりとらえる” ことをしない」

 

つまり、思考を自分だと思い

「思考と同一化している」

 

のも大きな苦の原因になっていると思っている。

 

 

 

 

今まで読んできたブッダ関連の本には

あまりでてこないように感じていたのは

 

「自分をみつめる」

 

というような書き方をされることが多かったからのように思う。

 

 

 

 

 

・モノサシ

・欲

・比較

・自己価値観

・知らない

・勘違い、思い込み

 

に加え

 

・思考を自己と同一化している(思考を見張れていない)

 

に気を付け、また歩んでいきたい。

 

 

 

 

奇跡記録:(運がよい事の記録)

 

●植木

植木屋さんのプロの視点で植木がきれいになった

 

→ プロに依頼

→ 幾度か依頼先に失敗しても10回中1回はいい人との出会いがある

 

●ケガ

剪定の際、梯子から落ちる

骨折や枝が刺さるなどもなく

指一本の突き指ですんだ!

 

→ 本当についている

→ 私は運がいい、今日もいい日だと、さらに自己に刻む

 

●早起き

植木屋さんのおかげで早起きして仕事がすすんだ

忘れていた早起きしようと思えた

 

→早起きする

→すべきことに集中する

 

●できると思う心

銀行に行く時間がない、車も混んでいる

とあきらめそうになったが

完璧主義の考えを変え、7割できた

 

→細分化

→1割主義

 

●10割

自分が10割できないとあきらめがちな

思考をしていることに

あらためて気づけた

 

→完璧主義に気づく

→あきらめない

 

●家族へのアイデア

家族対応についてよいアイデアが浮かぶ

 

→投げ出さない

→1割主義

 

 

 

ありがたいことばかりで感謝。

夢がかなう私の人生、恵まれていてありがたい。

明日もさらによい日になります。