悟りへの道 -21ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

荒先生の本で、気になった言葉をメモ。

 

●最澄の名言を思い出す

「最下鈍の者も十二年を経れば必ず一験あり」

 

 

“自分にできる範囲のことを継続すること”

 

 

 

 

 

●荒先生の文章と同じではないが、

奇跡のリンゴ 木村さん が

以下の趣旨のことを言っていたという。

 

「稲づくり。

稲は自分が作った!

という自分だけの手柄という気持ちが人にはある。

 

稲を植え、田んぼを整えるなどはしたかもしれない。

果たしてそれだけで育ったのか?

 

水、

土、

虫、

太陽、

微生物、

風・・・

 

自分の力以外の

自覚のない

これら多くの力があったこそではないか。

 

そのくらい人間は、

 

自分がやった、

自分一人の手柄だ、

自分の力だけで今の自分の成果がある、

 

と傲慢に生きている。」

 

 

 

今朝、下記の本を読んだ。

 

目次だけでもとパラパラしたら

読むのが止まらなくなった。

 

煩悩の教科書 あなたも菩薩になる

 

 

仏教や悟り関連について

大変わかりやすく書かれていて

おススメの本だと思っている。

 

 

 

 

しかし、おススメなのは、

今の自分の見え方からだとは思う。

 

他の方からしたら難しすぎたり簡単すぎたり

ということもあると思う。

 

よく、良本と聞いて読んでみたが、

そうかな?と思う時があるが、

 

それは、

・自分と相手の段階が違ったこと

・自分が「良本」のイメージが高すぎたこと

などある。

 

にしても、おススメです。

 

 

 

 

 

 

さて、タイトル通り、笑った。

この手の本を読んで

まさか大笑いするとは思わなかった。

 

 

 

 

 

特に

「世親」、

「阿頼耶識 あらやしき」、

「末那識ま なしき」、

 

根本煩悩の

「貪・瞋・痴、慢・疑・悪見」

(とん、じん、ち、まん、ぎ、あっけん)

の解説など自分にとって分かりやすかった。

 

 

 

 

 

そして笑ったのは

「慢(まん)」の解説。

 

「慢」とは

他人と比較して

自分のほうが優っていると思いあがる心。

うぬぼれ。

 

人間はだれしも

「俺の方が優れている」

「あいつより俺のほうがましだ」

と思っているもので

この慢心から離れることができない。

 

そして今、

なるほど自分は慢心していた、と

気づく心にも

過去と違う、他人とは違う、

という慢があり。

 

さらに修行して達観し慢とは縁がない、

と思ったらそこも慢心になる。

 

 

 

 

 

「慢」は7つに分けられている。

 

①慢: 正しくとも自分は、相手と同等、相手より優れていると思う心(他人は他人と思えず比較している)

 

②過慢: 自分と同等なのに相手より自分はすぐれている、自分より優れているのに自分と同等と考える心

 

③慢過慢:相手の方が優れているのに自分ほうが優れていると思う心

 

④卑慢:相手が圧倒的に優れていても自分は少ししか劣っていないと思う心

 

⑤我慢:自分は優れているという優越感=うぬぼれ (一般的な我慢の使い方とは違う)

 

⑥増上慢:本当は悟っていないのに悟りを得たと思う心

 

⑦邪慢:対抗意識や見栄から本当は自分にはまったく備わっていないことさえ「ある」と思い込んでしまう心

 

 

 

 

 

 

これら7つに笑いました。

 

ある、ある、

自覚が山のようにあります。

 

そういう「慢」の「思考」がでることを

「なんだろう?この考え?」

と自覚していたものの

 

こういうことだったのか、

 

と声を出して笑ってしまいました。

 

 

 

 

苫米地さんは、下記のように言っていた。

 

「正しい自己認識ができるかが大切だが、

人は都合のよいセルフイメージを作り出し生きている。

人は常に慢からはなれられない。

 

 

 

 

荒さんは、下記にように言っていた。

 

自分は自分、人は人、と思って過ごせばいいのに

つい人間は比べてしまう。

比べた結果に一喜一憂してしまう。

そこに悩みや迷いが生まれてくる。」

 

 

 

 

慢がないということは、ただ

おごるなとか、

現時点の自分の現実を知れとか、

卑屈になれということでもなく、

 

煩悩・欲にふりまわされず、

比較するな(自分は自分、人は人)

自分に集中し

己の立場でなすべきことに努め、

平安を生きろ

 

しいては

その平安から

気持ちの良い自分や生活を心がけ

それは周囲によい影響を与え

可能なら

親切し、人との交流、多くの人への幸せへの願いや行動

もしていく

 

ことなのではないかなと思った。

 

 

 

 

 

とにかく「慢だらけ」の自分に気づき

朝から久々に大笑いした話。(笑)

 

 

 

 

奇跡記録:(運がよい事の記録)

 

●親からのお金ゲット

 

実家に行った際親にお小遣いを渡した

沢山もらって悪いからと

断ったが親から気持ちのお金をもらった

 

またお金がはいってきてしまい

ついているなぁ

 

 

●最近体の調子がよい

 

本当にありがたい

 

 

私の人生は幸せだなぁ。

私の人生はますます幸せになります。

まわりのすべてありがとうございます。

 

最近、真理や悟りについて

目覚めている人が増えている気がする。

 

自分が関心があるから目についている可能性もある。

 

Youtube、書籍、

そして古舘一郎さんの本もそう。

 

 

人生後半、そろそろ仏教にふれよう (PHP新書)

 

 

 


 

 

 

 

古舘一郎さんは

「釈迦の言葉を熱弁すると友人が離れていく」

とのこと。

 

 

 

”初期”仏教とは

最適な「心理学」だと思っているが、

 

日本においては「宗教」

だと思われてしまうことが多いのだと思う。

 

 

 

 

「悟り」に

全く関心がない方

縁が出始めた方

縁により悟り的視点が出てきた方

悟り的視点をさらにあげようとしている方

 

と色々な段階があると思っている。

 

 

 

でも

段階がどこにあろうと

ただその段階なだけなのだと思う。

 

 

 

それが起こる「縁」があったから

その「縁」しかなかったから

そうなっているのだとは思う。

 

 

 

 

 

では何も変えられないのか?

 

 

 

 

本人の希望があり変わりたい、

「心の平安」 が欲しいという思考が出た場合、

 

今の「縁」を

より平安な心が出やすい「縁」に変えていくことは有効だと思う。

 

 

 

 

今の自分が思うには、

あたり前を行うことを大事にしつつ、

 

「瞑想」も有効的だし(短くてもいい)、

「思考」を見はりつづける、

「呼吸」を深くするのもよいし、

「言葉」を変える、

「読書」などなど

いろいろあるとは思うが

 

ピアノや英語やスポーツのように

 

習得するまでコツコツ学び続けることも

とても大事だとも思う。

 

 

 

 

ここまで書いてきたが

矛盾があるようにみえるとと思う。

 

「自由意志」がなく

「縁」で決まっていると言うのに

「平安」を求める行動をとるとよい、

 

とはどういうことか?

 

 

 

 

その希望がでたり

行動の変化が起きるのも

流れの一つ、

 

ということだと思っている。

 

選びつつも、

なるがままだが

楽しんでいく。

 

でも

楽しめなくても

それもそれが起こったので

それでいい。

 

 

 

 

良くても

おごらず

 

辛く感じても

己を悲観せず卑下することもなく、

 

良き思考を選ぶようには努め、

 

自分の内面を見つめ

平安を深め

また進んでいきたいものですね。

 

よく悟った人や一瞥体験をした人が、

「人生は決まっている」

ということを言ったりする。

 

 

 

悟り的視点はある時からでてきた自分。

しかし、悟り や 一瞥体験 はたぶんしていないので、

 

「人生はすべて決まっている」

「自由意志はない」

「縁起による必然で、全ての事が起こる」

 

以上を実感する”神秘”体験はない。

 

 

 

 

しかし、最近、

 

すべてのことは、お互いに影響しあい

そうとしかならないように

一寸違わず起こっている・・・

 

その関係性は感じるようになってきた。

 

 

 

 

自分が選んでいるようで・・・

選ばざる負えないような・・・

絶妙な「縁」で・・・

そうなるべく・・・

そこに進んでいる

そう行動している。

 

 

 

 

一方で、近年では

「引き寄せ」が流行ったように

自分が望めば現実化が作られる、

とも言われている。

 

縁で何もかも決まっている?

いや、現実は創造できる?

 

果たしてどちらなのか???

 

 

 

 

 

両方正解なのかなと思う。

 

 

 

 

 

「望み」は

正しく発すれば叶ったりする。

 

では、その「望み」はどこから出てきたのか?

 

「望み」自体も

多くの「縁」から必然で生まれていたのではないか?

 

そうなると、

結局「縁」により起こったことになり

「自由意志はない」とも言えるのではないか?

 

 

 

 

 

さて、

よく「思考」の話を書いている私。

 

「(自動)思考」には、

長い間巻き込まれ、悩まされてきた。

 

では、

どういう「思考」が出るのかも決まっているのか?

 

ということが、以前より少し気になっていた。

 

 

 

 

先日、

「あぁ、”思考” もたぶん決まっているんじゃないかな」

とふと思った。

 

 

 

 

ある「思考」が出た時、

どうしてその「思考」がでたのか?

を考えていた時、

 

遺伝やこれまでに形成したものの見方や

さまざまな人・社会との関わり、

住まい、食べ物、性別、天候など、

 

の素因や刺激によって「思考」が出ると思った。

 

 

 

 

これら各要素の「縁」があり、

絶妙なタイミングで互いに関わり流れており、

 

そう「思考」するしかない「縁」で

その「思考」が出ているんだ・・・

 

と思った。

 

 

 

 

今回のブログをここまで書いていて

以前読んだ本を思い出した。

 

『神さまとのおしゃべり』 さとうみつろう さん。

 

 

 

その本に、言葉は違うと思うが

こんな内容のことが書いてあった。

 

「もし、誰かが医者になったとしたら、

 医者になったのは自分が希望して努力して

 なったように思いがちだが、

 

 そうならざるえないような

 絶妙な背景(縁)があり必然だった

 

 自分の意志でなったのではない

 

 

 

 

 

・・・えっ

 

「どういうこと???」

 

読んだ当時は、まったく理解できなかった。

 

 

 

 

 

「あと何が書いてあったかなぁ」

と検索してみたら、

下記の方がこの本の要約をまとめてくださっていた。

(↓ <(_ _)>)

 

 

 

 

  • この世は望み通りとのこと
  • 固定観念に気付くこと
  • 肯定(●●たい、でなく、そうである)が大事なこと
  • 宇宙の出来事はきまっていること

とあったが、

 

マーフィーの法則は本当、

モノサシで人は生き、そして、苦しんでいる、

なりきることが大事、

人生は決まっている、

 

と最近思うようになってきたので、

似たことを書いてくれていたんだと思った。

 

以前は理解できなかったのに

今日は理解できている自分にも気が付いた。

 

 

 

 

でも、以前の自分の状態からは

到底理解できなかったなぁ。

 

でもその「縁」があったから

少しずつ頭に蓄積され今の自分がある。

 

当時まったく理解できなかったが

あの時この本を読むことも

必然であり、その縁あっての今の私とも思った。

 

 

 

人生も思考も決まってるというと

それならと人生を投げ出すという

思考が出る場合もあると思うが、今の私はこう思う。

 

 

 

決まっているなら

自責することもなく

他責することもなく

 

瞑想状態のように

ゆったりと構え

 

肩の力をぬいて

起こること

やろうと思ったこと

やらなかったこと

を楽しんでいきたいなぁと。

 

そうしようと思っても思えなくてもベスト。

叶っても叶わなくてもそれがベスト。

 

叶うときは叶う。

叶わなくてもそれはベストな流れにのっている。

 

良し悪しはない。

この一本道の人生が最良の道につながっている。

 

 

 

 

紅葉の季節もお互いに楽しめたらいいですね。

もみじさらにお幸せにもみじ

 

 

 

 

 

 

 

他人に対して、何か不満の「苦」が生じた時。

 

よく、こんな風に言われることがある。

 

「人それぞれ違うからねぇ~」

 

 

 

 

そう他人にアドバイスされたり、

自分でも、そのように考えて納得しようとしたり。

 

しかし、

頭でわかっていても

 

切り替えられずイライラが続いてしまったりして、

そう思いきれないから苦しいのだと思う。

 

 

 

 

悟り的視点になり、

どういう感じて思考が動くか

何を考えているか

書いてみたいと思う。

 

 

 

思考は常にみはり、

平安な心でいるよう常に意識しているうえで、

 

何か他人に対して苦を感じそうになったら、

 

「人それぞれ違うから」

が普通に最前列にドーンとくる感じだ。

 

 

 

 

以前は頭でのみ理解していた。

 

しかし、ある日、ストーンと

「人はみな違う・・・まったく違うんだ・・・」

 

と心底思う感覚(目が覚めたような感覚)が起こった。

 

人が自分と同じなんてありえないんだ、と

目の前に突き付けられたような

見えなかったものが見えたような納得だった。

 

 

 

 

どこで

人はみなある程度同じはずだ、

人は基本は似た感覚のハズだ、

 

と思いこんだのだろう。

 

今となっては不思議だが

そのくらい”思い込み”に気づかず人は生きている。

 

別の言い方をすると、

どこかの段階での経験から

それが正しいかのように認識し”思い込み”で生きている。

 

 

 

 

話を戻すと、

苦となりそうになったり反応しそうになったら、

みな常識が違うから、と引いた視点が出て

 

すぐに考えの立て直しができる。

そのうえで、どう付き合うかを考える。

 

 

 

 

時に、もう少し思考が深まる時があり

つづけて

こんな風な視点がでる。



1つめは、
自分も本当にそれ(常識)がいつも出来ているのか?


自分のことだけ甘く見て、相手を責めそうな思考に巻き込まれているだけではないか?

相手の価値観からみたら
自分も常識がないことをしているのではないか?



2つめは、

その価値観自体を疑う視点。

 

あれっ、どうして自分はその価値観を大事だと思っているのか?

 

その価値観は、いつからできたのか?

 

どうしてできたのか?


それは本当の本当か?


そこから何を得ていたか?

 

大事だと思い込み

年齢も変わり、時代も変わっているのに、

 

今は年代、時代に合わない可能性は本当にないか?
etc.





そんな風に見ていくと

他人を責めたり不満が生じるのではなく、

 

自分が深まり、

よりよい対応のアイデアが生まれ、

 

ただただ次への学びになってくる感じ。

 

 

 

 

暑さ寒さも彼岸まで。

残暑と初秋がよりよきものとなりますよう。もみじ

 

 

以前、最下部のようなブログを書いた。

 

なんども書いてきているが、

苦(不満足、不快)の原因は以下だと思っている。

  • モノサシ(常識、価値観、正しさ)
  • 比較
  • 思い通り通りにしたい(欲)
  • 自己愛(認められたい)
  • 思い込み・勘違い
  • 知らない

 

 

 

 

最近は、瞑想も少しするよう心掛けている。

 

自分の思考を見つめ続け、

思考や感情に気づいてはきた。

 

泡のように消えていくのを

眺めて終わることが8割とは書いてきたが

2割は気づかないうちに巻き込まれていることがあった。

 

完全にその考え(思考)にはまって日常になっていたり、

無意識で悩んだり、不安になったりの

自分になっているということだ。

 

 

 

 

最近、その2割にも比較的気づくようになり、

 

受け流し

頭を空っぽにする(執着しない)方法を

見つけられたかもしれない。

 

言葉にするのは難しいのだが、

ある程度確立できたら

また書いてみたいと思う。

 

 

 

 

でも、以前は巻き込まれは自覚しても

その感情・思考の反芻が起きてしまうことがあり

 

自分のことながら

それはそれは大変だったなぁと思う。

 

ある、不快・不満の考えに

無意識ではまると

頭も重くフリーズしたようになり

時にはイライラ、時には不安、怒り、妄想しまくり

胸も苦しくなったりするものだ。

 

まさに貪瞋痴(とんじんち)の3毒で、

怒りや嫉妬や後悔、投げやりな気持ちなど

3毒に自分が麻痺させられたような

感じであったと思う。

 

 

 

 

誰だったかが言っていた。

「仏教とは、宗教ではない。

 釈迦の死後、仏教として扱われただけ。

 釈迦の教えは、心理学であり医療。」

 

原始仏教や釈迦の直々の教えの書は、

なんだ!もうここにあったんだ!・・・

 

という童話の「青い鳥」のような感覚がある。

 

また1つ1つ精進し、ブログも書けたらとおもう。

 

 

 

 

 

 

↓何度も読んでいる本。

Amazon Audibleでも聞いているが

やはり本自体を読むと頭に残り方が違い

”今の自分には”素晴らしいと思ってしまう。

超訳ブッダの言葉

 

 

 

 

奇跡記録:(運がよい事の記録)

 

お金が最近思わぬ形で入ってくる。

ヤモリを家の中で数匹みかけたからかなぁ。

 

そのいくつかを記録しておきたい。

 

 

●兄弟から

 

今までの人生で

年下の兄弟ゆえもあるのだろう

お金を千円以上くれたことがないような

兄弟から、

 

(きっかけはあるのだが)

まとまったお金などくれたこともないし

要求もしていないのに

5千円や1万円を4-5回に分けもらった。

 

 

●親から

 

まさかというタイミングで

万札をもらった。

 

 

ついてるなぁ。

奇跡記録:(運がよい事の記録)

 

望んでいたことが

良くも悪くも現実化したのかもしれない。

 

偶然だったことを記録してみたい。

 

 

 

●欲しかった書類が届く

 

ある仕事で、2つのデータが必要だった。

 

A社、B社にそれぞれ連絡し

送付してもらう必要があった。

 

A社だけに連絡し、

B社に連絡するのを後回しにしていた。

 

B社からも連絡がほしい、と思っていた。

 

すると、先日、ポストに

依頼したのでA社から書類が届いた。

 

そして、なんと同時に、

連絡していないのにB社からも勝手に向こうから書類が届いた。


 

 

 

●想像したことが起こる(反対編)

 

先日、家全般のトラブル用に

「緊急24時間駆けつけサービス」

を検討していた。

 

営業マンから

8-9割が、

水道、ガラス割れ、鍵関係のトラブルが占める、と聞いた。

 

「鍵問題なんて起こるものかなぁ」

と鍵トラブルについて想像した。

 

すると、

なんとその夜、玄関ドアのキーケースが破損。

鍵がかからなくなった。

 

防犯上

緊急駆けつけサービスを依頼した。

 

偶然なのか、

思いをはせてしまったからなのか。

 

また思考とともに

あらわれる現実をよく観察してみたい。

 

つい1つ前の記事で紹介したソフト。

 
 
 
なんと、
「読んでココ」のような
取り込みができるようだ!
 
 
早速試すと、
PDFをとりこみWord化できた!!
 
読んでココ、を買いなおそうかと思っていたので
買わずに済みそうだ。
 
 
 
 
読み込み精度も高いよう。
無料で多くのことができる、感謝。
 
 
 

 

 

 

 

●ソフト