■いままでの私にとって、
「自分を観る」とは、
おもに「思考」に気づくことだった。
最近は、自分に起きた
「感情」
「身体感覚」
「イメージ」
にまで気づく大切さを
感じるようになった。
■そうしていたらふっと、
「自己受容って、このことなのでは?」
と思った気づきがあった。
■自己受容とは、
以下と言われていた気がしていた。
・自分を愛する
・自分の好きや望みを優先する
「自分を愛する」と言われても、具体的に
何を意味しているのだろうと思っていたり、
・わがままとの境界線はどこでひくか?
・自己管理や社会との関係は?
・そもそもそれができないから困っている
そんな感想ももっていた。
■最近「あっ」と私なりに
気が付いた「自己受容」について。
「自己受容」とは、
以下なのではないかと思った。
今の自分から出た
「思考」
「感情」
「身体感覚」
「イメージ」などを
否定したり、
抑え込んだりせず、
そのまま、ただ受け入れて、
自分を観察することではないか。
●怒りが起きたら
・「怒りが起きてきた」と言語化する
・「もうつきあいたくない」という
思考がでているなぁ、と言語化する
・「胸のあたりが苦しくなってきた」
と身体感覚も言語化する
・数日たってもまだ気にしていたら
「またクヨクヨしてダメだなぁ」と
自分を責める思考が出た、
とただ言語化して受け入れる
●悲しみや寂しさが起きたら、
・「悲しみ」とラベルをはる
・世間の中で自分がぽつーんといて、
灰色で止まったような気がしたら、
「そんなイメージが、出た」と言語化する
・悲しくても
「頑張らないと」という思考が出た、
「いや、無理だよ」という思考が出た、
と、観て表現する
■つまり、
自分の内側に起きたものを、
そのまま言語化して受け入れる。
それが数日たってまだ出てきても
否定せず、また観る。
何が出てきても
ただ、そうであることを受容する。
それが「自己受容」なのではないかと思った。
※ヴィパッサナー瞑想的な作業
になると思う。
■その後、
必要なら現実的な反省や対応をする、
という順番であると思った。
つい、内側で思考したり感じたことを
我慢したり
否定したり
すぐに肯定的にとろうとしたり
してしまいがちであったが、
そのままいったん受容・共感する
といった感じだろうか。
※なお、こうした思考や感情の根底には、
幼少期に無自覚に身につけ、
大人になっても自分では気づいていないことの多い、
「ビリーフ」が関係しているように思っている。
これについては、また機会があれば書いてみたい。
■最後に、この
今、自分で行う自己受容とは、
幼少期に親や大人に
してもらえればベターだった
「自分に起きた気持ちや思いを
そのまま受け止めてもらう」
という体験を、
今、自分で自分にしていることなのかもしれない。
もっといえば、
ただ縁起として、
条件が揃って”それ”は”自分”に起きた。
その起きたものを、
ただただ、起きたものとして受け止める。
サレンダー(明け渡し)なのかもしれない。
■まとめ
・自己受容とは、まず自分に起きたものを、そのまま観て受け取ることではないか
・思考、感情、身体感覚、イメージなど、自分に起きたものをいったんそのまま受け取り、言語化する
・何が出てきても、何度出てきてもいい、否定せずそのまま観る
・その受容をした上で、次に、必要なら現実的な反省や対応をする
すべてに感謝。
万物万人のさらなる幸を祈ります。