抽象度が変わったのか、
今まで気づかなかったことに
あれっ、
と気づくようになってきた。
いろいろ考えがでてきた。
メモをしておく。
●自分軸とは?
自分軸とは、
感情が動くやりたいことをやる、ように思われている。
しかし、違うと思った。
思考にやられない平安を結局人は求めている。
そこがおさえられていないと自分軸のつもりでも、
矛盾が生じてくる気がする。
それではいいたいことを言ってよいのか、
会社は辞めていいか、
などの質問がよく学んでいる人から出るように。
結局自分軸が続かず次の救いを求めることになる、と思う。
●一瞥(いちべつ)体験をした後に
解放を求める人が苦しい件
一瞥の幸福感、安心感、をもとめ
その体験を再び、を求めているのではと思った。
それを求めても起こるか否かは一切手中にはない。
それより思考と感情、そして環境などに
視点を持って行った方がよいと思った。
しかし、この視点を持っていく場所も
ただ起きているだけなので
起きるかどうかも手中にはないが、
覚醒を求めるよりは可能性は高いと思う。
(”私”はいないのに、だいぶ矛盾しているが現状として)
宝くじを買い続ける=解放を求める、
毎日働き日々必要なものを買う=思考・感情への視点をもつ、
こられに似ている感じがした。
●私が近所の人と仲良くしたいと思いすぎた件も
妻が自宅を守り帰宅した夫と夫婦喧嘩してしまう件も
学校になじめずひきこもってしまう学生の件も。
会社が辛いサラリーマンも。
・社会的居場所
・ふと話せる人間関係
・自然とふれる
この3つが生活の中にあれば、
(少なくてもいいので)
問題と感じても深刻にならない気がした。
この3つが今の社会にはできにくくなっているし、
本人の生活に欠けている。
あの人はひどいからつきあわないじゃない、
夫は理解してくれないからいやになるじゃない、
学校に行かなきゃでない、
会社を休みたいじゃない、
やるべきことは、
この3つをきちんと生活に機能させること。
そしてその環境の中、
・読書をする
・修身など精神・作法学ぶ(人として、日本人として)
・体をよくする(食事、体力)
これをする。
しかし、基本はすべてに
思考と感情の動きが関わっているので、
その動きについても学び実践しつつ。