パリって街は、本当に路地一本でガラッと雰囲気も治安も変わるのだけど。
我が家からほんの少し歩くだけで、めちゃくちゃ豪華な高級住宅街!!
同じ区なのに・・・同じ最寄り駅なのに・・・こうも違うのかっ💦と思うほどのギャップ。
さて、今回はそんな高級住宅街をお散歩。
さすがは高級住宅街。
8月中旬とあって裕福な皆さんはバカンス真っ最中で不在。
営業しているお店もスーパーとケバブ屋さんぐらい。
街はガラッガラで、本当に静か。人の気配無し!!
そんな通りをテクテク歩いて約20分。今回の目的地はこちらの建物~~
(地上階のお店、全て夏休みw)
カミーユ・サン=サーンスが人生最後に暮らしたお家に到着。
(やはりプレートの位置が高く、知らなかったら気づけない💦)
私はサン=サーンスの、交響曲第3番「オルガン」が大好きの大好き💗
この曲が私の前世の恋人(?)、フランツ・リストに捧げられているのだと知った時の鼻血ブー――感は本当に衝撃的でしたねぇ(マニアック)
確実に私の人生を豊かにしてくれているサン=サーンス先生がこちらに住まわれていたのかと、人気の無い通りに佇み感慨深く建物を見上げる私。
(アルジェリア旅行中に、86歳でお亡くなりに・・・当時としてはご長寿?)
たま~~に通りがかる犬の散歩中の人からは、相当怪しげなアジア人に見えたことでしょうな
さて。サン=サーンス先生。
実は今年、逝去から100年という記念年!!
3歳で最初の作曲。
13歳でパリ音楽院入学。
18歳で最初の交響曲を書き上げ、
22歳で当時の最高峰であったマドレーヌ寺院のオルガニストに就任。
なんとも華々しい、天才に相応しい経歴のサン=サーンス先生。
それと同時に、若い頃は、新し過ぎる作風で批判され、老いてからは古臭いと評された大作曲家。
いつの時代も、バッシングからは逃げられないのでしょうか
サン=サーンスの書簡から・・・・・
「私は最初の頃は革命家と言われた。しかし私の年齢になるとただ先祖でしかあり得ない」
(wikipediaより)
はあ
切ないねぇ
私の敬愛する作曲家、A・ピアソラも若い頃は「革命家」と言われ、「タンゴを壊した男」なんて批判の嵐だったけれど。
新しいことをする
または
何かを発信するということ
それはイコール、
他人からの批判は避けられない
ということでしょうか。。。。
ってことは、86年の生涯の中で300曲以上も書き上げ発信し続けたサン=サーンスのメンタルって、すんごい強靭てこと!?
そんなことを考えつつ、来た時と違う道で帰路に・・・・・
大きい通りの交差点でふと見たら、ちょいと遠くに凱旋門の姿✨
(この交通量の少なさを見てっ!)
凱旋門て、テレビでも写真でも正面ばかりで、横からってあんまり見ないよね(笑)
貴重な(?)、横からの凱旋門です