いつの時代も文句言う奴は必ずいる ~パリ統合散歩・17区サンサーンスの家~ | 凛々かる生活 in パリ

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原始反射統合+クラシックバレエによる【4Bムーブメント】や、強みと資質を読み解く【クリフトンストレングスセッション】等をパリから提供しているSurrusca 亜伊子のリリカルな、そしてちょっとマニアックなパリ統合生活をお伝えするブログです

パリって街は、本当に路地一本でガラッと雰囲気も治安も変わるのだけど。

 

我が家からほんの少し歩くだけで、めちゃくちゃ豪華な高級住宅街!!

 

同じ区なのに・・・同じ最寄り駅なのに・・・こうも違うのかっ💦と思うほどのギャップ。

 

さて、今回はそんな高級住宅街をお散歩。

 

さすがは高級住宅街。

8月中旬とあって裕福な皆さんはバカンス真っ最中で不在。

営業しているお店もスーパーとケバブ屋さんぐらい。

 

街はガラッガラで、本当に静か。人の気配無し!!

 

そんな通りをテクテク歩いて約20分。今回の目的地はこちらの建物~~

 

(地上階のお店、全て夏休みw)

 

 

カミーユ・サン=サーンスが人生最後に暮らしたお家に到着。

(やはりプレートの位置が高く、知らなかったら気づけない💦)
 

私はサン=サーンスの、交響曲第3番「オルガン」が大好きの大好き💗

 

この曲が私の前世の恋人(?)、フランツ・リストに捧げられているのだと知った時の鼻血ブー――感は本当に衝撃的でしたねぇ(マニアック)

 

確実に私の人生を豊かにしてくれているサン=サーンス先生がこちらに住まわれていたのかと、人気の無い通りに佇み感慨深く建物を見上げる私。

 

(アルジェリア旅行中に、86歳でお亡くなりに・・・当時としてはご長寿?)

 

たま~~に通りがかる犬の散歩中の人からは、相当怪しげなアジア人に見えたことでしょうなニヒヒ

 

さて。サン=サーンス先生。

実は今年、逝去から100年という記念年!!

 

3歳で最初の作曲。

13歳でパリ音楽院入学。

18歳で最初の交響曲を書き上げ、

22歳で当時の最高峰であったマドレーヌ寺院のオルガニストに就任。

 

なんとも華々しい、天才に相応しい経歴のサン=サーンス先生。

 

それと同時に、若い頃は、新し過ぎる作風で批判され、老いてからは古臭いと評された大作曲家。

 

いつの時代も、バッシングからは逃げられないのでしょうか滝汗

 

サン=サーンスの書簡から・・・・・

 

「私は最初の頃は革命家と言われた。しかし私の年齢になるとただ先祖でしかあり得ない」

(wikipediaより)

 

はあチーン

切ないねぇ汗

 

私の敬愛する作曲家、A・ピアソラも若い頃は「革命家」と言われ、「タンゴを壊した男」なんて批判の嵐だったけれど。

 

新しいことをする

または

何かを発信するということ

 

それはイコール、

 

他人からの批判は避けられない

 

ということでしょうか。。。。

 

ってことは、86年の生涯の中で300曲以上も書き上げ発信し続けたサン=サーンスのメンタルって、すんごい強靭てこと!?

 

そんなことを考えつつ、来た時と違う道で帰路に・・・・・

 

大きい通りの交差点でふと見たら、ちょいと遠くに凱旋門の姿✨

 

(この交通量の少なさを見てっ!)

 

凱旋門て、テレビでも写真でも正面ばかりで、横からってあんまり見ないよね(笑)

 

貴重な(?)、横からの凱旋門です笑い泣き