自分軸と自己愛の狭間~タイ料理をめぐって~ | 凛々かる生活 in パリ

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原始反射統合+クラシックバレエによる【4Bムーブメント】や、強みと資質を読み解く【クリフトンストレングスセッション】等をパリから提供しているSurrusca 亜伊子のリリカルな、そしてちょっとマニアックなパリ統合生活をお伝えするブログです

セッションの中で出て来た話題。

 

自分軸で生きたい。

自分の意見を主張できるようになりたい。

NOが言えるようになりたい。

 

だけど、それってワガママとどう違うのでしょうか?

自分らしく生きたいけど、自分勝手な人間にはなりたくない。

 

 

おお~深いっ!

 

 

こちらのクライアントさん。

ある日、お友達とランチすることになり、何を食べようか~という話になり。

クライアントさんは辛いものが苦手で、エスニック料理全般があまり好きじゃないそうで、それは古いお付き合いのお友達も知っていること。

 

ところが、お友達は「タイ料理が食べたい!」と言い出したんだそうです。

 

(ソムタム(青パパイヤのサラダ)大好き~💗)

 

クライアントさんは突然のタイ料理推しに驚いて、あまり乗り気で無いと伝えたそうなのですが。

 

お友達・・・

 

私、自分の意見を大事にすることにした。

これまでは他人の意見に合わせて自分を殺して生きて来たけど、これからはそういうことは止めて、自分らしく生きることにした。

私はタイ料理が食べたい。

あなたが嫌ならランチは来なくて良いから。

 

と、言って来たそうで、クライアントさんは、お友達のいきなりの方向転換宣言に驚き、そして圧倒され、思わず「わかった」と言ってしまったんだとか。

 

そして、レストランもお友達の自宅寄りで、クライアントさんの自宅から少し乗り換えに不便な場所に一方的に設定され、結局楽しいランチのはずが、得意でないタイ料理。

さらに、クライアントさんは「私の気持ちを無視され勝手に決められた」という納得行かないモヤモヤの気持ちがぬぐえず、そしてそんな気持ちになる自分に罪悪感もあり、全然楽しい時間にならなかったんだとか。

 

そんな経験から、クライアントさんは自分迷子が加速した、とお話してくれました。

 

クライアントさん自身、自分らしく生きたい。Noが言える人間になりたい。と、以前から考えて悩んでいたところ、突然のお友達の変貌ぶりを目の当たりにして、分らなくなってしまったと・・・・

 

これね~~

 

よく聞く話だし、私自身もこの「自分軸と自己愛」の狭間で思い悩んだ経験有りです。

 

まず。

 

変わろうと思うこと。

変わろうと決意すること。

そして実際の行動に移すこと。

 

これは、とっても素晴らしい✨

 

ただね。

他人を巻き込むのはいただけない。

 

今日からは私は変わるわ!

自分の気持ちを大切に!

 

は良いのよ。本当に。

でも、それはその人の決意であって、他人には何の関係も無い

 

自分が変わるために、他人に迷惑かけるのは違う!と、私は思っています。

 

それは、ワガママであり自己愛。

 

たまたま方針転換のタイミングに当たった相手にとっては迷惑極まりない話✋

 

 

自分の思い通りにしたい。

それが出来ないのはアレのせい、コレのせい、他人のせい。

私は悪くない。

 

自己愛は、意識が自分にあるようで、問題の原因は外にあります。

 

自分を大事にするため

自分を守るため

 

という自分の正義のために、問題を外に設定して相手のせいにする。

時に攻撃したり、嘘をついてでも自分を正当化する人も(しかも自分で嘘をついてる自覚が無い場合も)

 

クライアントさんのお友達。

自分軸を確立しようとして、いきなり自己愛の方に向かってしまったのでしょうね・・・・

 

途中で気づいてくれると良いんですけどね・・・・

 

クライアントさんには、無理してお付き合いを続ける必要も無いけど、絶交とか縁切りまで言う必要も無いし、考える必要も無いと思いますよ!と、お伝えしました。

 

なぜなら、人間は変化するから。

 

お友達が、ある日急に変わって、「自分の意見を押し通す」ということを始めたのと同じように、また何かを学び、気づき、変化する可能性は大いにあるから。

 

そして、相手だけでなく私達自身も変化するから。

 

時が流れ、またいつか良い関係になる可能性は大いに有り。

 

だって、元々、何か「合う」間柄だったからこそ友人同士になってたワケだし。

 

それが、たかがタイ料理1つで「二度と顔も見たくない」とか、「絶対許さない」とか、「絶交よ!フンっ!」とか。

 

それはちょっと勿体ないと思うのですよ。

 

許すも許さないもなく。好きでも嫌いでもなく。

今は、保留でもいいんじゃないかな?

 

そう、お伝えしました。

 

そして、「今回の件は、あなたの自分軸作りが始まるキッカケになるかも知れないですよ」とも。

 

 

自分軸というのは、矢印が自分向きです。

どんな時でも、自分の気持ちを理解して、尊重できてる。

健全な自尊心が確立されている、とも言えるでしょうか。

 

自分を理解して尊重できているから、他人の気持も尊重できる。

相手を尊重するのと、自分を抑えるというのは別モノで。

 

自分軸があれば、自分の意見を伝えつつ相手の意見も聞ける。

 

ダメな自分も受けれ入れているから、他人のダメな部分も受け入れられる。

 

 

そこが、自分軸と自己愛の違いかな、と、考えています。

 

自分の思う通りにしたいのと、自分がどうあろうかを考える、というのでは大きな違いがありますよね。

 

ホント、最近セッションでもプライベートでもよく話すことで。

そしてつい最近、クライアントさんの「健全な自尊心が確立される瞬間」というものに立ち会わせていただいて、その過程でも出て来たテーマなのだけど。

 

 

「主張」なのか「対話」なのか。ってこと。

 

 

一方的に自分の意見、価値観を言ってるだけになっていないか?

その「主張」を聞いてもらえないからと、腹を立てて「相手のせい」にしていないか?

 

自分の意見を伝えつつ、相手の意見を聞く耳を持てているか?

 

見た目だけ立派で、簡単な衝撃でポッキリ折れては人のせいにするようなハリボテの軸でなく、真っ直ぐで強くしなることのできる竹のような軸。

 

 

これを手に入れると、本当にラク。

あれこれ武装せず、丸腰でも自分を守れる。

他人を攻撃することなく自分を守れる。

 

 

 

ゼロストレス

ゼロプロブレム

 

は最初から望まないで✋

 

健全な自分軸を持って、ストレスと問題に向き合い、そのたびに統合して発達していくこと。

 

それが、人間の健全な発達なのだと、私は考えています。